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無事卒業証書を手にする人たちをスクロールしながら,中退届を提出しに行く.

中退,新卒内定白紙化.

自分は今月末で大学院を中退する.
新卒で勤務する予定であった会社の内定も白紙になった.

時系列で話すとどこから話せばいいのかわからないけれど,とりあえず修論は途中までしか書いていないし,もちろん出せていない.まあ傍から見たら,不器用なクズ人間なんだ相変わらず.

言い訳をさせてもらうと
おそらく自分は"研究室運"が限りなく悪い.
ただ誤解しないでほしいのだが,決して入った研究室が劣悪な研究室というわけでなく(卒論時代を除き),単に自分が能力不足なおかげさまで自爆し続けている.

だからまだ研究室の選び方とかから分かっていないのだと思う.
今日たまたま見つけた記事だけれど,確かにぃ〜となった.


正直,死にたいと思うまでになった.

2021年の下半期(大学の夏休み開始〜2022の年明けくらいまで)は,コンスタントに希死念慮があった.考えられうる原因は後述.

自殺に至るまでのレベルとして,以下の段階があると言われているらしいが,

希死念慮:死にたいと思う
自殺企図:自殺の計画を立てる
救急外来(ER)・救急科・救命救急センターのスタッフのための手引き

(DSM-5を読めばもっと詳細が書かれているはずです.)

自分は,希死念慮までだったのかなと自己判断している.
たとえば,
散歩に出かけて歩道橋の上から下に通る高速道路や川を見下ろすが,同じ橋を通る歩行者や,車,自転車などを見ては,逆に自分が見られているような気がして「辞めよう…」と思ったり,
オーバードーズについて調べたが死ぬことよりも後遺症の方が嫌だと感じ,やたらと調べた知見だけ溜めて,実行へ至ることはなかった.

当時タイトルに釣られるまま見たら,予防された.

あとは1年半前に亡くなった祖母のお仏壇を見たり,お葬式のことを思い出すと,自然と涙がこぼれ,希死念慮の強さがピークのときは,死のうとする体力すらもう無かった.

ただ今なら言えます,絶対死んでは駄目です.
だから自分は逃げることにしました.

死にたくなるまで

シンプルに,シェアハウス管理人しながら大学院行き,2度も就活し直したことが自分にとって容量オーバーであったのだと思う.この時期,連絡取る系の全てのチャットアプリ,メールアプリの返信が不可能になった.開く気すら湧かなくなった.

これまでの詳細については,イワネスマサエンジンで詳細に話しているので是非お聴きください.メンタル落ちている時期と被りますが,このタイミングでは希死念慮は無かったですね.

学業,シェアハウス,就活,その他と分けて話していきます.

学業(大学院)

本業の学業では,劣等院生っぷりを極めに極めていた.
まずコロナ前は2度酒の失敗で迷惑をかけた.もうそこからしんどい.
さらには入学当初からなかなかテーマも決まらず,結局最初の1学期が終わった.内心終わったと思った.だが流れで外部との共同研究に参加することが決まり,そこでの成果を出そうということになった.

だがそもそも自分は院進した理由が「研究・実験のやり方から知り,(ざっくり言うと)何かしら研究し終える」ことであったため,共同研究へ参加した所でついていくどころかの顛末だ.
それも「どうやらこの研究室では外部との共同研究は初めての試みらしい」という状況…メンバーも年下しかいない…必然と取り仕切らなければいけない立場になる…えでも外部から来た実績皆無の自分…後輩のほうが何本も論文書いて学会出ている…それでもやらねばいけないらしい.終わりの始まりだった.

それもオンライン.
馬鹿面引っさげて何とかMTGに出るが,それが仇ともなった.

「本当に分かってる?」と聞かれ,
「分かってる」と答えれば「じゃあ何言ってたか全部説明してみ」,
「分からない」と答えれば,周囲を待たせ,めちゃ説明してくださり,メモも取るが結局リアルタイムでは理解が追いつかない.結局「何が分からないのかが分からなくなる」レベルにまで落ちる.挙句の果て,教授はTwitterでこの有様を愚痴っている,「暖簾に腕押し」…これワイだ…ごめんなさい…と思うだけ.

何とか実験だけはこなした,ただ実験後に処理しなければいけないたくさんの事務手続きを残し,自分は不登校大学院生へとみるみる様変わりしていった.

1年前(2021年春)も中退しようとしていた.でも周囲から止められて何故か続けてしまった.思えばあの時振り切って辞めていれば良かったと心底後悔している.なぜ他人の意見を頼って甘い蜜吸いに行ってしまったのか…どこまで行っても馬鹿は馬鹿だ.

中退するかしないかとすったもんだしていた不登校期間,進捗が落ちないように周囲は進めてくれていた.で,また復帰した時に思った,「自分居ないほうが進むじゃん」

だから今はもっと進めやすくなったと思う.使えない人間は居ない方がいいのは,考えずとも自明の理である.

当時は「ああ自分は何もやっていない」と思い焦り,分析手順の考察,コーディング(途中でだいたい挫折),修論の文字を埋める,疲れたらサーベイ,関連研究の調査…結局やっていそうでこれは何も進捗は出ていないのである.
ますます怖くて本当に眠れなくなった.目が乾くせいか,涙が止まらない.喉が締まるし腹痛来るから食欲も失せていく…

なんでこんなにも研究できない人間なんだろうと情けなく思うばかりであった.

「じゃあお前学部でなにやってたんだよw」(学部研究室のお話)
〜そういえばここでも死にたくなっていたなぁ〜

卒論は出したが,小学生の夏休みレベルにも届かないクオリティであった.ただ大学は(おそらく院も),4月からの進路さえ確定していれば,どんなクオリティであれ卒論(および修論)さえ出せば卒業出来てしまうところである.

ちなみに
教職必修科目の「解析」が鬼単であったが,4年生時点の学期末試験で合格点に満たなかった場合,4月から教員になる人のみ個人的に担当教員から再試験に呼ばれ絶対合格してしまうというシステムがあった.

つまりは直近で教員になる予定はないが,教員免許が欲しい学生がこの科目を4年生時点の学期末試験で合格点に満たなかった場合,再試験に呼ばれることなく単位を落とし教員免許は取れない仕組みらしい.

んーガイダンスでそんなの説明されていないぞ?闇だ.

卒論の話へ戻すと,確か取り組んだテーマは「エージェントの印象評価」だったかと思う.もう詳細はほぼ忘れかけている.

とりあえず2次元キャラを作成するアプリでひたすら顔のパーツ作って,それらのパーツらの全ての組み合わせ通り分の顔を作り,それらの中から2つピックアップして,被験者に「どっちが性格的な温かみ/冷たさ感じますか?」「パット見だけで友だちになるならどっち?」をひたすら聞きまくってアンケートの結果を分析して提出,指導教員からCという評価を頂いた.指導という指導をされたっけか.

今くらいの頭が当時あれば,ディープフェイクでおなじみのGAN(敵対性生成ネットワーク)を使えばよかったと思う…

し,まあ阪大がGANでやってたよね.
でも意外と最近ニュースになるあたり,個人的には遅いなぁと感じる.

このとき研究室自体は,教員が熱心に進めているピクトグラム研究にあやかり,卒論生も半強制的にピクトグラム研究に従事しなければならないような雰囲気であった.しかし自分は年中反抗期のガキなので,ピクトグラムにはない「顔の6表情(日本人は4表情とかとも言われているが)」から目をつけ,顔にこだわり始めた.

ただ研究室全体として

  • 公開叱責常習

  • 研究室内で自分は浮いていた,仲いい人が本当に1人もいなかった,びっくり.ぽっくり.

  • 全面否定からの次のToDoの指示がない
    ⇢次までに「〇〇やろうと思います」と伝え,何とか指示を仰ぐが「いやもうこの時期なんだからみんなもう1本論文書けてるんだよ?」と言われる.その方法が分からないんだ,馬鹿だからかなぁ??笑と思って会話自体も終わる.

  • 喉が締まったように感じ,喋れなくなり,胃炎みたいなお腹の痛さに見舞われる.もしかして:ヒステリー球

  • 指導教員の口癖が「10数年もこの道(=大学教員)やっているから,僕は教育のプロなんですよ」
    ⇢非常勤講師をやったから言えるが,学生の士気ぶち殺すような指導する人間の自称「プロ」は本当に痛すぎる.でも当該教員は,高等学校の教員免許の更新取得講習とかでも講師をしていた.ホント訳分からない世界だわ.

今思えばおかしすぎる研究室だった.自分は墓場にいたんだと思う.
毎週の研究会は,窓の外を見ては「自分が上から落下し,窓を通過する自分の身体」のイメージをずっとしていた.要は飛び降り自殺している自分を目撃者視点で妄想していたというわけです.この頃も死にたかった.

でも研究したこと無いまま学生終わるのもムカついたから,外部へ入院(院進)することにした.
ら,研究終えないまま辞めることになるなんてね.このときは何で予想すらもしなかったのだろうか.

シェアハウス

以下記事を読んで頂ければ大筋理解ができるかと思います.何故か「家の赤字は管理人のせい」みたいです.

学校ある中で,住む家(シェアハウス)も業務過多.
だけであればまあまあまだしも,こんなMTG1回でもしんどいのに,継続的にこんな感じって死にたくなりませんか?ここでだけで言いますが,助けてください,家入一真さん…というお気持ちです.

シェアハウスに関しての記事はシリーズ化検討中なのですが,気が向いたら音声や画像編集して記事作っていくという,ただいま低めのテンションです.あしからず…

就活

周囲が早期やもとからインターンしていた会社で内定を貰って終えていく中,修論提出学期になってもNNT(無い内定)でした.またもやここでも劣等感は加速するばかりでした,採用側も見る目あるから,無能がバレてるんだなぁと思っていました.

ですが,こんな状況下,就活が息抜きでした.
以下マガジンの記事らの作業ももちろん,四季報(会社,就活など)を見まくって,「〇〇から融資受けてるのかあ」となるの,何かクセニナルタノシサありません???あと日経新聞気になるとこだけでも読もう.私の履歴書とかもだし,普通におもしろいコラムとかあったりするヨ!!

度々の再掲で失礼しますが,やはりこのラジオでのほうが,時系列に沿ってきちんと話していますね.でもすごいなこの時の笑顔…あの時期を考えるとありえないくらい自然な笑顔だ…

し,この続きで録ったこの回

と,人材業界にブイブイなマサさんのお話はやはり新鮮でした.

就活は2回したけれど,新卒内定頂いた会社の時期の就活こそ,「就活」って感じであった.でもこの時間は時間的に見れば,研究にもっと捧げろよって言われていたかもしれない.まあ内定が無かったのだから仕方がない…

まとめと,to be continued…

思ったより字数が多くなってしまったので,一旦このタイミングで記事を区切ろうと思います.

まとめると,劣等感に完敗した劣等生ということです.
確かに,自分は劣等感とかコンプレックスに"カンパイ"したいために生きているけれど,そっちじゃない,自分がしたいのは乾杯🍻,こっちよ…

あとラジオの裏話の記事で書かれていたこの言及,言われたことある史上5本指に入る貴重な褒め言葉だと勝手に受け止めています.

彼女、不器用だからこそ普通の人よりも面白いエピソードが色々あるんだろうね。
11/7 ラジオの裏話/内出血/ハワイのタクシー/勝者を決めることへの葛藤

次の記事は「死にたくなくなるまで」についてになります.
病院にも行ったりしました.それ以外にも多少有益な部分もあったりするかとおもうので是非ご覧くださいませ.

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