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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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#豊臣秀吉

家康が腹を決めたのは、秀頼が眩し過ぎたから。

家康が腹を決めたのは、秀頼が眩し過ぎたから。

うっそ~ん!

「おもしろい」

とつぶやきながら、茶々が不敵な笑みを浮かべる。

大坂の陣の引き金となった「方広寺鐘銘事件」は家康から難癖を付けたのではないの?
なんで豊臣方が仕掛けた事になってんの?

これには参った。。。
いったいどこまで徳川を美化するのでしょう。
いくら可能性はゼロではないにしても、私には強引に思えます。

過去記事にも書かせていただきましたが、茶々に対しては、その他のエピ

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妻たちを見ると家康の狙いがわかる?!

妻たちを見ると家康の狙いがわかる?!

英雄色を好む

と言うけれど、戦国の三英傑の正室や愛妾の数を見ると、うなずけるものがあります。

織田信長は妻9人(子27人)、豊臣秀吉20人(子4人)、
そして徳川家康21人(子16人)。

あくまでも確認できるだけでこれだけいるのですが、実際にはもっとたくさんの側室や子供がいた可能性もあります。

宣教師のルイスフロイスは、秀吉の愛妾は300人いたなどと言っているぐらいなので、公にされていない

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今回は大阪人として物申す!

今回は大阪人として物申す!

「殿、決してお忘れあるな。わたくしはどこまでも、殿と一緒でござる」

石川数正は自ら裏切ったのか、それとも家康の命でスパイとして送り込まれたのか。
どちらの説を採るのか、ある意味楽しみにしていましたが、なるほどこうきましたか。

大坂の繁栄ぶりや秀吉の言動を冷静に観察し、自らの独断で相手の懐に入り込んだわけですね。
捨て身の言動には迫力すら感じました。
演者の松重豊さん、とても「孤独のグルメ」での

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織田の血は永遠に

織田の血は永遠に

今回は別の話題をと思っていたのですが、「どうする家康」のお市の方(北川景子)や茶々(白鳥玉季)の演技から、どうしても書きたくなったことがあります。

織田家は死なぬ

~その血と誇りは、我が娘たちがしかと残していくであろう~

お市の方の言葉にはとても重いものがありました。

現に浅井長政との間に設けた3人の姫たちは、日本史に大きな影響を与えたのですから。

茶々(後の淀君)と徳川との確執は、すで

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フロイスが見た日本のクリスマス

フロイスが見た日本のクリスマス

早いもので、もうクリスマスの時期となりました。

まずはm.Aさんの記事を紹介させていただきます。

彼女は主に西洋史関連の記事を書かれていて、サバサバした文体で無駄な言葉は一切なく、端的で解りやすい記事なのです。
日本史しか知らない私にとって、いつも興味深い学びがあり、見識が広まります。

本日の学びは「ビーダーマイヤー時代=わびさび時代」でした!
詳しくは是非とも記事を読んでくださいね。

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他にもあった!各時代の「合議制」

他にもあった!各時代の「合議制」

何かと話題の今年の大河「鎌倉殿の13人」ですが、何が面白いって、主人公やタイトルが「鎌倉幕府」でもなければ「源氏政権」や「北条執権」でもない「13人の合議制」という点が新鮮ですよね!

今までは、脇役に押しやられていた人たちにスポットを当てた所が大きな魅力でしょう。

そもそも「合議制」とは、国政の執行機関を、複数の人の意思によって取り決める制度のことで、現代の内閣も、国会の衆参両議院のすべての委

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本名は「忌み名」だった

本名は「忌み名」だった

武将の名前ってややこしくないですか?

現代のように名字と名前だけのシンプルなものではなく、何やら長々としています。実はそれらフルネームの中に、氏素性までが表されていました。

そんな武将たちの名前の意味を、整理してまとめてみました。

フルネームには複数の情報があったたとえば有名な戦国三英傑を例にとってみます。
それぞれのフルネームは以下の通りです。

織田信長ー平朝臣織田三郎信長
豊臣秀吉ー豊

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雑賀という名字

雑賀という名字

 

和歌山城を訪ねた時、2階の展示場の隅っこに「雑賀鉢」を見つけました。

その鉢をひっくり返したような形から、雑賀衆の兜の事を総称して「雑賀鉢」というのです。

それは名だたる戦国武将にような華美な装飾は一切なく、家紋を主張するわけでもなく、ごくシンプルな実用的な兜でした。

正直、ちょっと物足りなぐらい、武骨で愛想の欠片もないデザインに、いかにも雑賀衆らしさを感じてしまいました。

和歌山城

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山伏の夢

山伏の夢

ある山伏が筑前福岡藩を訪れ、藩主黒田長政に、「昨日不思議な夢を見ました。殿が五か国の太守になる夢でございます。」と告げました。

長政は「おぉそれは何ともめでたい夢ではないか!」と喜び、「では正夢になった際は、そなたにご祝儀を渡すことを約束しよう!」と伝えました。

山伏の期待は外れました。

次に肥前佐賀藩を訪れ、藩主鍋島直茂に、「昨日不思議な夢を見ました。殿が五か国の太守になる夢でございま

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早世のレオン

早世のレオン

3月17日は戦国時代の武将、蒲生氏郷の命日であります。洗礼名はレオン。キリシタン大名でした。ご存じでしょうか?

蒲生氏郷は戦場に立てば剛勇無双でありながら仏道、儒学に精通し、和歌を詠み、茶も一流(利休七哲筆頭)でした。

氏郷は信長に見出だされ娘婿となり、信長の死後は秀吉に臣従して各地を転戦。家康とも親交が厚く、天下統一後は会津120万石の大大名となった武将です。

美談・逸話に事欠かない人物で

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世界が学んだこと (エッセイ)

世界が学んだこと (エッセイ)

自国の《独裁》が完了に近づいた《独裁者》は、
➀ 必ず、
➁ 次のステップとして、
弱い国(=大きな犠牲を出さずに制圧できる、と独裁者が考えた国)を侵略する。

これが、今回、世界が学んだことの《本質》だと思います。

・ロシアとウクライナがもともと兄弟国だったからだとか、
・プーチンが旧ソ連の領土を取り戻そうとしているからだとか、
・自国の防衛ラインが侵されそうになっているからだとか、
いろいろ

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三英傑それぞれの二条城

三英傑それぞれの二条城

今、レキジョークルの「奥の枝道 京都編」を執筆中なのですが、歴史豊富な京都を調べるにあたり「二条城」の変遷が気になりました。

現在の豪華壮麗な「二条城」は徳川家康によるものですが、その事に関しては著書にてたっぷり書かせていただきました。

実は他に、戦国期において天下人が変わるたびにこの二条界隈に建てられた城が他に3ヶ所もありました。

それらの時代背景を書き記したいと思います。

一)織田信長

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戦国2世武将の憂鬱

戦国2世武将の憂鬱

戦国の世でなくとも、いつの世も
父親が偉大であればあるほど、家督を継ぐ者は大きなプレッシャーを持つことになります。

維持すること自体が苦労を伴うものなのに、それは出来て当たり前のことでしかなく、さらに家を大きく拡大できてこそ、初めて評価されるのですから、ある意味初代よりも、その立場は大変なのです。

戦国の世を生きた、2世武将たちは、偉大な父亡き後どうだったかを妄想を交えて、比べてみました。

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時の権力者を苦しめ続けた宗教集団

時の権力者を苦しめ続けた宗教集団

(トップ画像出典:アゴラ)

「一揆」は誰も得しない日本史を紐解くと一向一揆という事件をしばしば目にします。

一向一揆とは、一向宗による権力への対抗運動です。
さらに、
一向宗とは浄土真宗の事です。

阿弥陀様に心を帰依するだけで極楽浄土へ行けるという、お手軽な浄土真宗は、爆発的な勢いで信徒を増やします。

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信仰心に篤い者は命知らずで、驚くほどの強さを持ちます。

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