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早世のレオン

3月17日は戦国時代の武将、蒲生氏郷がもううじさとの命日であります。洗礼名はレオン。キリシタン大名でした。ご存じでしょうか?

蒲生氏郷がもううじさとは戦場に立てば剛勇無双でありながら仏道、儒学に精通し、和歌を詠み、茶も一流(利休七哲筆頭)でした。

氏郷は信長に見出だされ娘婿となり、信長の死後は秀吉に臣従して各地を転戦。家康とも親交が厚く、天下統一後は会津120万石の大大名となった武将です。

美談・逸話に事欠かない人物でありながら、歴史の教科書にはほとんど載っていない、知る人ぞ知る人物です。

関ケ原の戦いの5年前、1595年3月17日に京都伏見にて40歳の若さで亡くなりました。

この人が生きていれば今日の歴史はまた変わっていたかもしれないと、後世で語る人は少なくありません。氏郷について菊池寛はこう述べています。

人物からいって戦国6・7位であり、会津120万石に封ぜられているのだから、当時すでに家康・利家・政宗と肩を比べていたことが分かる。わずか40で死んだのはいかにも惜しい。もっと生きていたのならば、関ヶ原の戦いなどでは天下の形勢にも影響を与えたであろう。

菊池寛

氏郷にまつわる美談・逸話

そんな氏郷の逸話は枚挙にいとまがありませんが、いくつかご紹介します。
【家臣を大切にした氏郷】
・氏郷は家臣を大事にすることで有名でした。「知行と情は車の両輪、鳥の両翼なり」とし、家臣に対して情が深く、知行(給料)も気前よく与えたそうです。秀吉から会津120万石を与えられた際も、家臣で1万石の知行に値する者には2万石与え、2万石に値する者には3万石与え、それでも不足しようものなら自分の領地すら削って与えてしまいました。夜話好きで怪談や武辺話を好み、屋敷に家臣を招くと、頭に布をかぶり、自ら風呂を焚いてもてなしたそうです。「情深く知行も良いらしい」と、噂を聞きつけ、天下の名士が蒲生家に仕官を求めて集まってきました。氏郷は他家を解雇された者や脛に傷のある者も、見所があれば出自を問わず登用したそうです。

【謎の鯰尾兜の武将】
・氏郷は新たに仕官した者に、「わが軍の旗本に銀の鯰尾なまずおの兜をかぶって先陣をゆくものがいるから、その者に劣らない働きをするように。」と伝えました。どのような人物だろうと思って戦場に赴くと、それは氏郷だったという話があります。

【氏郷の見込み違い】
・筒井家家臣に松倉という者がおり、臆病者とのことで放逐され、蒲生家に仕官を求めてきました。氏郷は見所があるとして召し抱えると、早速、戦で活躍したので、氏郷は自分の眼に狂いはなかったと大いに喜び、恩賞を与えて昇進させました。松倉はその次の戦でも奮戦しますが、敵陣に深入りして討ち死にしてしまいます。氏郷は近習に「松倉は志が高く、(臆病者の謗りを受けたので)人に後れをとるまいとしてしまったのだろう。そのような者だと分かったうえで、もう少し出世を先延ばしにしていれば死なせることはなかったのに、私は見る目がなかった。」と涙して悔いたそうです。

【気前の良い男】
蒲生家に佐々木のあぶみという名物があり、同僚の細川忠興が噂を聞きつけて欲しがりました。家臣は天下に二つとない名物をあげるくらいなら、無いと言って似たような物をあげたらどうかと進言すると、「今無いなどと言っておいて、その人が死んでしまったらどんな気持ちになるだろうか。それは恥ずべきことだ。」と、その鐙を忠興に快くあげました。それを聴いた忠興は鐙を氏郷に返そうとしましたが、氏郷はついに受け取りませんでした。鐙は氏郷の死後、息子の元へ戻されました。

【氏郷の明察】
・氏郷の元に玉川左右馬そうまという有名な学識者が推薦されて仕官に訪れました。玉川の噂を聴いていた氏郷は喜んで最初のうち厚遇しましたが、10日ほどで金銭を渡して放逐しました。家臣は疑問に思い、あれほどの智者を召し抱えないとはどういうことかと氏郷にたずねました。すると氏郷は、「最初なかなかの知恵者だと思っていたが、私をほめちぎって取り入ろうとする一方で、私の家臣を誹謗し、自分の見た目や人脈を自慢してきた。そんな者はいかに智者であろうといらない。」と語りました。
後日他家に仕官した玉川でしたが、そのやり口で家中を掻き回し、家勢衰退の原因を作ったとのことで追放されたそうです。家臣は氏郷の明察に感心したそうです。

おわりに

最後まで読んでいただきありがとうございました。

信長・秀吉・家康・政宗など、戦国の英傑に、その武勇・才気・人望から一目置かれ、そして惜しまれつつ早世した蒲生氏郷。

没後427年となりましたが、その波乱の生涯を偲びつつ。

その人の美談、逸話は、その人を示す、計器そのものである。

菊池寛

追記
先日のつぶやきに蒲生氏郷の辞世の歌を掲載しました。40歳の若さでこの世を去る自らの人生を、花に喩えて詠んだ歌です。このような美しく儚い歌を戦国武将が詠んだことに感銘を受けた次第です。


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