人気の記事一覧

家康が腹を決めたのは、秀頼が眩し過ぎたから。

異形者たちの天下第3話-8

3週間前

歴史探偵エッセイ 2024in京都④

4か月前

大河ドラマ「どうする家康」第45話

方広寺鐘銘事件はホントは京都大仏鐘銘事件

7か月前

「徳川家康が 豊臣秀頼に言いがかりを付けた日」です ♪

11か月前

慶長19年(1614)7月26日は方広寺の鐘銘に徳川の抗議があった日。銘文「国家安康 君臣豊楽」は諱「家康」分断の呪詛で豊臣が君主で楽しむ意図か、と大坂の陣は徳川の難クセと言われる。この時代、諱の分断に見えるは豊臣の脇が甘いとも。誤解を招かないように文章を推敲するって大切ですね。

大坂の陣のきっかけ・方広寺鐘銘事件は家康の言いがかりだったのか

★歴史情報サマリーβ版★(0046)

3年前

『1.618 BLOG』 → http://s.ameblo.jp/kayaori-saraki/ ┗🆕『メガネ・ジプシー』 国立博物館横の豊国神社。隣が方広寺。[国家安康][君臣豊楽]。家康がイチャモンをつけ、大坂冬の陣を起こした“あの鐘”がコレ。ポイッと地べたにあった記憶ありだが、今回は元の鞘。

真田丸

7年前

慶長19年(1614)10月11日は家康が大坂の陣に向けて駿府を出陣した日。7月に方広寺鍾銘事件が起き徳川と豊臣の交渉は続くが豊臣方は秀吉が残した莫大な金銀で浪人衆を召抱えるなどして互いに戦の準備を進めた。駿府を出た家康は二条城に入り11月に奈良経由で大坂に向かい冬の陣が始まる。

慶長19年(1614)7月26日は方広寺の鐘銘について徳川からの抗議があった日。銘文「国家安康 君臣豊楽」は諱「家康」分断の呪詛で豊臣が君主で楽しむ意図ではと。こうして大坂の陣は徳川の言いがかりから始まったとされる。ただこの時代は諱の分断に見えるのは豊臣の脇が甘いという指摘も。

❖関ヶ原とゴーストライター❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年12月28日)