慶長19年(1614)7月26日は方広寺の鐘銘に徳川の抗議があった日。銘文「国家安康 君臣豊楽」は諱「家康」分断の呪詛で豊臣が君主で楽しむ意図か、と大坂の陣は徳川の難クセと言われる。この時代、諱の分断に見えるは豊臣の脇が甘いとも。誤解を招かないように文章を推敲するって大切ですね。

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