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家庭環境

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家族に関することをまとめ。母からのメッセージとかもここに入れてます。
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#毒親

母からのメールをピックアップしてみる

母からのメールをピックアップしてみる

noteの仕様が変わってから、興味のあるテーマの記事を知る機会が多くなりましたね。

警察に相談実績を申請したほうがいいの?
ってなってます。
そもそも、相談実績として残してもらえるのか…?

そこで、過去のメールから
証拠をさがしたんです。
そしたら、サムネのメールがありました。

でも割と『幸せに暮らしてね』とか多かったです。

『助けて!』とか

関係なさそうだけど、
見つけた画像も載せます

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日記というパーソナルスペースについて

日記というパーソナルスペースについて

私は日記を書かなかった。
家族に不都合なことは書かなかった。
読まれる前提で書いていた。
家族に対してだ。

私には、私の部屋というものがない。
共用の部屋もない。
家族のスペースの一角に私の机が置いてある。

なにをするにも把握されている。
寝るのも母、姉と一緒だ。
28才で家を出るまでずっと。
パーソナルスペースは、トイレだろうか。
それも、早く出てくるように急かされたなぁ。
父が来るのを恐れ

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家庭環境と家族について

家庭環境と家族について

私うさぎの、異常で通常で日常で普通だった家庭環境。当たり前だったこと。

父は手を出さないけれど、暴言や態度で示す人で。借金を作っては母に工面させる人でした。
たとえば
・思い通りにならないと
怒鳴る、ドアを強く扱う、自室の机の上をぐちゃぐちゃにして暴れる、ドタドタと足音で威嚇する、『あ"ぁ"ぁ"ーーー!!!』と奇声(怒鳴り声?)をあげるなどをしていました。
・むくれる、無視する。
『なんとかしろ

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お金について

お金について

私には、お金を自分で遣うということが、とてもストレスだ。
小さい頃から全て母が遣っていた。
親戚から貰ったお年玉も、貯金として口座に入れていたが、引き出すことはなかった。
全て給食費として引き落とされていた。
お小遣いも、取っておいて、家族がピンチのときに助ける役目だった。

お金の決まりごとがあった。
学生のときは、生活費として、奨学金とバイト代を渡していた。
渡すといっても、入金される口座を母

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お母さんについて

お母さんについて

私から見た母はとても優しく、
人のことがよくわかる人だった。
私は、「エスパーかも。」と恐れていた。
私の考えていることは筒抜けだと思っていた。
今になれば、
メンタリストやコールドリーディングなどの情報があり、
表情を読み取る能力が高いと理解できるが、
中学生の私にはわからず、怖かった。

とてもよく働き、父に尽くし、
対人関係もよかった。外向きには、、、

家の中、特に私に対しては、
・愚痴を

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お父さんについて

お父さんについて

父は、怖い存在。
話し合いができない。
一方的に言い、
思い通りにならないと怒鳴る。
ゔぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙とか奇声をあげる。
態度で示す。
足音がドタバタするとか、
ドアを強く締めるとか。
自分の机の上をグチャグチャにする音を響かせるとか。
床を殴るとか。
物を投げつけるとか。
私はこれらの音が怖くて、
音に敏感に反応する癖がある。
残っている。

借金をしてくる。
自分で返済できると思っているが

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自分の部屋って?

自分の部屋って?

私には、実家に自分の部屋がない。
産まれたときから、家を出た今も。
自分の部屋がないということは、
一人になれる場所がなかった。
常に衆人環視。

3LDKで、
母と姉と私の部屋が一部屋、
父が一部屋
物置兼誰か来たときに通す部屋が一部屋
だった。

母は精神科で空間恐怖症と言われており、
扉などで部屋を密閉するのを嫌った。
カーテン?のような布で区切っていた。
その向こうがトイレで、
別室の父が

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お姉ちゃんについて

お姉ちゃんについて

私から見たお姉ちゃんは、なんだろう
私がいないとだめな姉、だろうか。
私は、姉に愛されていると思っていた。
私は、姉を助けている、
姉の役に立っていると思って、
うれしかった。

姉は、私の10こ上で、
私が中学生のとき(姉は23くらいか)から
母の代わりに家事全般をしてくれていた。
料理が上手で、
掃除はちょっとあれだけど、
洗濯物もふんわり仕上げていた。

私と姉は、異父姉妹だ。
姉が10才の

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手紙・お母さんお父さんへ

手紙・お母さんお父さんへ

なんであなた達が私の親なのでしょうか。
なんであなた達は子どもをつくったの?
生まれてこなければよかったと私は思う。
どうしてあなた達は家族をつくったの?
私はひたすらに怯えていた毎日を送っていました。
怒るタイミングのわからない父。
わからないというのは、とても恐怖で。
私には甘いということがわかってからは、私が全能感と敗北感を受け持つようになった。
そのしんどさ、わかりますか。
お母さん。

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社会人2年目から精神科に通ったお話

社会人2年目から精神科に通ったお話

社会人2年目から会社のお局様にイジメられ、会社で過呼吸を起こして、精神科に通いはじめた。

会社でのイジメ?の詳細はこちら。

母の通っている精神科で、
母と姉と診療室に入った。
説明は母と姉がした。
私は言葉をもっていなかった。

精神科で貰ったお薬は、名前は忘れたが、
脳内物質を変えるものだった。
抗うつ薬だっと思う。
具合が悪くなると、出社できず、母には、
『おまえの体調は悪くないのに精神科

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毒親からの脱出

毒親からの脱出

過去の辛いことだけでなく、
どうやって脱出して、
一人暮らしをしたのかを書こうと思います
(これもしんどいけれど)。

結論は、やはり、他人に頼ることでした。

私には自我がなく、
なにをやるにも決めるにも母任せの私が
(ファミレスでの注文、服選び、休日の過ごし方、買いたいモノの許可制などなど)、
一人暮らしをしたい!なんて思える筈もなく、、、

28才からSNSで他人とお話しするようになりました

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