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自分の部屋って?

私には、実家に自分の部屋がない。
産まれたときから、家を出た今も。
自分の部屋がないということは、
一人になれる場所がなかった。
常に衆人環視。

3LDKで、
母と姉と私の部屋が一部屋、
父が一部屋
物置兼誰か来たときに通す部屋が一部屋
だった。

母は精神科で空間恐怖症と言われており、
扉などで部屋を密閉するのを嫌った。
カーテン?のような布で区切っていた。
その向こうがトイレで、
別室の父が廊下を通るときは、
ビクビクしていた。

3人の部屋の片隅に私の机がある。
片隅に服がある。
別の部屋の窓際にハンガーがかけてある。
廊下に本棚と学用品がある。
トイレに私のぬいぐるみスペースがある。
家のあちこちに私の痕跡がある。
私だけの場所はない。
服の場所。
ハンガーの場所。
下着の場所。
布団の場所。
机の場所。
本棚や教科書の場所。
私の家族のハムスターの場所。
部屋にも廊下にもトイレにも、
私の痕跡はあった。
もちろん、貧乏だし、家が狭いから、
自分の部屋がないのは、
当たり前で、普通なことなのかもしれない。

母は私が中学生のときに病んでから、
働けなくなった。
姉は私が就職するまでは働いていたが、
私が社会人2年目の春に線維筋痛症と診断され、
毎日体調が悪くて、ほとんど出社できていなかった。
2人はずっと布団に横になっていた。
部屋で常に一緒だった。
起きてから寝るまでずっと一緒だった。
学校や会社に行く以外は、一緒だった。
常に私は、母の求めるうさぎを演じていた。
演じられないと苦情がくる。
『もっと楽しくして』
『ずっと笑っていて』
『楽しいうさぎでいて』
『疲れてるのはわかるけど、
それを怒った口調でお母さんに言わないで』
『怒らないで』
『泣かないで』
常に私は、姉からの要求に応えていた。
『ゴンちゃん(仮名ではないです。
うさぎのことを姉はそう呼んでいた)、
肩、手、足を揉んで』
『ニャンちゃん(仮名ではないです。
うさぎのことを姉はそう呼んでいた)、
一緒にテレビ観よう』
私が本を読んでいても、
スマホで遊んでいても、
なにをしていても、そう言う。
好みじゃない番組と言っても言う。

いつのまにか私には自由な時間が失くなった。
自分でいられる時間がなくなった。
母と楽しくおしゃべりしてるのは、確かに楽しい。
愚痴を言うのも、わかってもらえてる感がうれしかった。
姉を揉みながら、イヤホンで音楽を聴けるのも、よかった。
唯一の楽しみだった。
好みじゃないテレビだって、発見はあった。

別に、しゃべりたくないとか、
本を読みたいとか、
スマホで遊びたいとか、
好きなテレビをみたいってことじゃない。
ただ、自由な時間がほしかった。
一人でなにかに没頭する時間がほしかった。

今になってわかる。
私が本当にほしかったもの。

気持ちを吐き出す時間がほしかった。
期待通りに演じなくていい時間がほしかった。

パーソナルスペースがほしかった。

自分だけの部屋がないということが、
どれだけ辛かったかを実感したのは、
一人暮らしを始めてからだった。
一人暮らしを始めて、まず感じたこと、
【言葉にできない安堵感と安心感】
だったと思う。

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