見出し画像

家庭環境と家族について


私うさぎの、異常で通常で日常で普通だった家庭環境。当たり前だったこと。

父は手を出さないけれど、暴言や態度で示す人で。借金を作っては母に工面させる人でした。
たとえば
・思い通りにならないと
怒鳴る、ドアを強く扱う、自室の机の上をぐちゃぐちゃにして暴れる、ドタドタと足音で威嚇する、『あ"ぁ"ぁ"ーーー!!!』と奇声(怒鳴り声?)をあげるなどをしていました。
・むくれる、無視する。
『なんとかしろ』とだけ言い、それ以降は『会話にならない』と母を責めて、無言になって、相談というものをしませんでした。
・借金の取り立ての明細書を投げてよこす。
なのに、相談なしに(あって否定しても)新しい借金を作ってくる。
・家事は母に押し付けるが、母も働きに行くのが当たり前と、バイト先を勝手に決めてくる。
・姉が働きだすと、その稼ぎを収入額として考え、余裕があると勘違いし、さらに借金をつくる
・子どもは育ててやったのだから、稼いだら俺に返すのは当たり前だろという言動をとる。
でもたぶん、父の借金返済額は父の給与では足りなかったと思います。私の学費は、高校のときは高校の同窓会の支援を頼っていたこともあったし、大学は完全に奨学金です(もちろん今自分で返済しています)。中学生のときから(少しですが)、バイトもして、全て家に入れていました。それが当たり前だし、そのためにバイトをしていました。
・市県民税(?)を滞納していたので、滞納金が膨れ上がって、それの返済に苦労していました(もしかしたら、今もかもしれません)。

母はその父のお金の工面、お世話をしていましたが、私が中学生のときに病んでしまいました。
私は主に父の見張り役、盾、両者の伝言板、母の愚痴の聞き役、メンタルのナースとなりました。生活は姉が担当してました。
母の行動は、たとえば、
・寝ている
・憂うつそうにしている
・家庭菜園に出かけている
・興奮状態
・異常な行動や自傷行為
 *大量服薬、リストカットが日常茶飯事
(私は、今でも夜中に起きる癖は治りません。耳をすませて、なんの音がするか確認する癖です。薬を出す音とか、台所でお皿を割る音とか、手首に包丁を叩きつける音とか。母と姉と私は、家が狭いこともあり、また、看病のこともあり?同じ部屋で寝ていたので、母のイビキが聞こえると安心していました。)
 *急に外に行って、ドブ(側溝?)に正座する
 *父が不倫していないか確認するために、父の会社の駐車場まで連れていけといい、実際に行く
 *車の免許を持っておらず(田舎で車社会なので珍しいです)、姉が免許を取ってからは、よく3人でドライブや外食に出かけました。父が長距離トラックドライバーということもあり、昼間家にいることもあったので、そのストレス発散だと思っていました。
 *その昔の価値観のため、【精神科】というものに激しい拒絶反応を示しました。私が中学生のときに、なんとか説得して心療内科に連れていきましたが、受付の問診で座ったときに、突然帰ってしまいました。高校生のときから通いはじめましたが、薬はちゃんとは飲まない人でした。そして、先生に平気で嘘をついていました。
という感じでした。
私に関することでは、たとえば、
・私が母を看病して当たり前
 *中学生のときに自傷行為を止めにいかないと(夜中で寝ている場合でも)、『お母さんのことどうでもいいんだ?!?!死ねばいいと思ってるんでしょっ?!?!?!』と叫びながらやってきました。
止めにいっても、『止めるな!お母さんこれで落ち着くんだから!!!あんたにこの気持ちがわかるわけない!』と怒られていました。
大人になると『気が狂うから忘れなさい』という割に、『あのときあんたはなにもしてくれなかった!』と責められました。
 *休日は母と姉と一緒にいるのが当たり前で、友だちに誘われても遊びにいかず、たとえ約束したとしても「お母さんの具合が悪くて行けなくなった」と断るように言われていました。
 *また、近所の人には、『娘がよく看病してくれる』と自慢していました。
・『死にたい』と毎日のように口にし、私の答えを待っている。
この経験から、私は死にたいと言う人に対して、落ち着かせるためのある程度の返答のテンプレートを何種類か持っています。 
・私の口座(バイト代、奨学金)を使うのも生活費として当たり前
 *学生時代は、私の口座のキャッシュカードも通帳も母が持っていたので、渡してほしいと言ったら、『死ねばいいのね!』とめちゃくちゃ叫んで、怒鳴られ、『あんたは、お母さんたちを見捨てるんだ!』と責められました
 *社会人になると、キャッシュカードと通帳は持っていましたが、お金は全て渡していました。
ある日、「生活費としてあげてるつもりだよ」と言えば、『あんたの感謝の気持ちでしょ?!』と怒られました。
・愚痴のメールが大量に来る。電話がくる、不在なら着信履歴が大量になる。
学生時代も社会人時代でも変わりませんでした。私も不安になって、すぐに対応していました。
「不安になるから、少なくしてほしい」と言うとそのときは納得するのですが、すぐにもとに戻りました。
 *うちは貧乏でしたが、母は世間体を気にする性格のため、
『そとの人には、お家のことを絶対に言ってはいけないよ』
『そとの人を信用してはいけないよ』
と口を酸っぱくして言われて、私は育ちました。
中学生のときに、スクールカウンセラーに母のことを相談しようとしました。その日は不在で、帰宅すると母から『スクールカウンセラーから電話きて、「いつでもきてね」だって。あんた、なに言おうとしたの?!うちのことっ?!』とめちゃくちゃ怒られました。
守秘義務の立場の人でさえ、信用できなくなりました。
それ以降は言いつけをちゃんと守って、30才まで誰にも言いませんでした。
だから、箱入り娘とよく言われていました(上品とかお嬢様に見えるとかではなく。貧乏だと言わないし、かなり世間知らずのためと思います)。
 *母に『(借金で生活がどうにもならなかったら)一緒に死のうね』と言われて、本気で「うん」と答えていました。

兄弟は3人兄弟で、11才と10才離れた姉、兄がいます。
私が25才のときに、異父兄弟であると打ち明けられました。

私が生まれたときの祖父母は、父方のおばあちゃんがいましたが、母と仲が悪かったです。
というよりも、母は、実兄以外の親戚とは不仲でした。

中学生のときから、私の目標は
「お母さんと生き延びること」
になり、お母さんが絶対的な存在でした。
また、母から
『うさぎ(私)がいるから離婚できないのよ。
うさぎのためなのよ』
と言われてきたため、私がいなければお母さんが辛い思いをしないで済んだのに、という、なんとも言えない気持ちで暮らしていました。
《私がいるから、お母さんもお姉ちゃんも辛い思いをしてるんだ。私が産まれてきたのが、生きているのがいけないんだ。》みたいな感じでした。

《子どものためにこんな、クソみたいな家族を作るなら、家族なんていらないし、子どもいらないし、結婚したくないし、彼氏もいらない》
と30才まで恋人がいたことなかったです。
恋人どころか、友だちもいなかったです。
それはそうですよね。
人を信じないし、本音を言わないし、遊びにも行かない人と友だちになろうなんて思えませんから。

私が社会人2年目(25才)のときに、姉が線維筋痛症と診断されました。
毎日痛みで叫んでいました。
その対応も私がしていました。
姉は、あまり会社に行けなくなりました(フルタイムからパートへと変更して、雇用はされていました)。
父の借金や生活費などの支払いが滞り、私が支払いました。2年ほどで社会人1年目で貯金したお金が底をつきました。確実なのは、貯金額120万円以上を渡していることです。というのは、月々のお給料から貯金しようとしていたお金を渡すこともあったから、記録がないのです。

私は助ける側の人間として、責任感と誇りをもち、意識していなかったけど今思えば優越感もあったのかなと思います。
《私なんかよりも、お母さんとお姉ちゃんは大変で、かわいそうな存在》と思っていました。

今ではこの話しをすることも増え(言語化することができるようになったため)、
『かわいそう』
『つらかったね』
『傷ついたね』
『よく生きてきたね』
などの言葉をよく頂き、ときには泣いてもらえますが(普通の心がなく、泣けない私の変わりに泣いてくれてるのかなと思うとありがたいです)、私は全くもって日常の話しをしていて、カワイソウな話しをしているつもりがないのです。ただ、私のことを知ってほしいだけなのです。みんなには、部活の話しや、恋愛の話し、友人の話し、休みの日の過ごし方、会社の話しなどがあるのかもしれませんが、私には家の話ししかないのです(これから家の話し以外を増やしていこうと思います)。
その当時の私ならば《私は愛されてる!》と思っていましたし、カワイソウな存在だとは思っていませんでした。
つらかったのは、借金の苦しさでした。
 姉の痛みの叫びを聞くことでした。
 母が『死にたい』と思うことでした。
 父に怯えながら暮らすことでした。

こんな家庭で、母のために母と生き延びてしまったので、
今、一人暮らしをしている私には、なんのために生きればいいのかという、むしろ、私だけつらい環境から逃げてしまったという罪悪感があります。
死ぬことがゴールなら、ショートカットしたいとも思います。
でも、パフォーマンスとして見せられる側の気持ちが痛いほどわかるから、誰にも言わないです(医療機関には言ってあります)。
失敗したとき、うまくいかなかったときのことを軽症ですが知っているので怖いです。
痛いのはケガで、苦しいのは過呼吸で知っているので、思い切れません。
なのに死にたいとか思ってしまいごめんなさい、といつも自分に言います。

以上が、私にとっての平凡な日常でした。

長い内容を読んでくださり、ありがとうございました。
私のことを知ってくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?