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お金について

私には、お金を自分で遣うということが、とてもストレスだ。
小さい頃から全て母が遣っていた。
親戚から貰ったお年玉も、貯金として口座に入れていたが、引き出すことはなかった。
全て給食費として引き落とされていた。
お小遣いも、取っておいて、家族がピンチのときに助ける役目だった。

お金の決まりごとがあった。
学生のときは、生活費として、奨学金とバイト代を渡していた。
渡すといっても、入金される口座を母が持っていた。
大学生のときに一度だけ頼んだことがある。
「お金は渡すから、口座のキャッシュカードと通帳を貰えませんか?
流れを自分でみたいです。」
お母さんに通帳とカードを投げつけられて、泣き喚かれた。
『あんただけ1人で生き延びればいいでしょ!
どこにでもいけばいい!
お母さんたちは死んじゃえばいいんだ!』
私は、一人暮らしもお金のことも諦めた。

就職してからは、毎月5万円を家に入れた。余れば貯金した。
渡すお金は家賃や食費のつもりだったが、母にそれを言うと、
『感謝の気持ちとか、あんたの気持ちでしょ?!』
と言われた。
ボーナスが入れば、金額に関わらず20万円渡すことになっていた。これは姉がそうしていたため、私にも課せられたことで、当たり前のことだった。
他にも、医療費や食費、借金返済、車検、借家の更新など突発的にお金が足りなくなると渡していた。

私が社会人2年目になると、姉が線維筋痛症でほぼ手取りがなくなった。むしろ、健康保険料がお給料では足りなくて、支払っていた。
それでも姉は肩代わりしている借金の返済がある。
私が毎月15万ほど渡していた。
私の毎月のお給料からと、社会人1年目で貯金したお金から渡した。
2年ほどで貯金していた120万円が底をついた。

その頃の私は、会社で人間関係がうまくいかず、こんな家庭の事情から辞めるなんて考えられず、パニック発作を起こしていた。
会社の中と帰宅する駅の中で。
なんのために働いているのかわからなかった。
もちろん、家族のためだった。
でも、
『(家計が生活が)どうにもならなくなったら、一緒に死のうね』
という母と、それに頷く私がいた。
どうせ死ぬならもう辛いから死んでしまいたいと思っていた。
生きてる意味が、訳がわからなかった。
死ぬのに辛い思いをして生きている理由がわからなかった。
それでも、死ぬには母の許可が必要だと思っていた。
でも、母に「死にたい」とは言えなかった(中学生のときの件)。

この頃に精神科に通っていたが、先生には『まだ頑張れるね?強くなろうね。』と言われて、先生がそう言うならまだがんばれるんだろうし、弱い私を変えなくてはと思っていた。
毎日死にたいと思っていた。
死ぬ方法を考えていた。
誰にも迷惑を掛けずに、お金を家族に渡せる死に方。
結局、死ぬくらいなら、私が死ぬ気で働いて、稼いだお金を家族に渡す方がいいとなった。
やりたいことなんてなかった。
楽しいこともなかった。
それでも、家族を生き延びさせるために、働いていた。

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