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第一話 天皇「可座理(かざり)」の驚くべき秘密

本文

ここ、コロナの地は、既に、天国にあるか、その過程だが、天皇は、可座理(かざり)すなわち、飾り(かざり)象徴である訳であるが、「君が代」の君(きみ)とは、じつは、あなた方の事であり、「あなたは、あなたの世界で末永くいつまでも生きている」ことを、歌っていたのである。

このコロナは、太陽の周りに張り巡らされた幕であり、つまり、時代の壁であり、幕開けでもある。

このコロナは、その地点に、到達した、知らせであり、そして、天皇は、その天の皇(のう)つまり、脳(のう)であるのである。

これらの根拠は、聖書、神は、言葉であったによる。

1)時には、時の「てらす」が、ある。

時(とき)には、時(とき)のテラス・寺素(てらす)・照らす(てらす)が、ある。

「てらす」とは、手羅素(てらす)であり、「手(て)の網(あみ)の素(もと)」の意味(いみ)であった。

羅(ら)は、網(あみ)の意味(いみ)である。素(もと)は、「もと」の意味で、「す」と発音(はつおん)する、音読(おんどく)である。音読(おんどく)とは、音(おん・おと)で発音(はつおん)する。読み方(よみかた)。

手(て)は、五本指(ごほんゆび)である。五本(ごほん)は、御本(ごほん)つまり、読む本(よむ、ほん)の意味(いみ)が、隠されて「かくされて」いる。

御(ご)には、治める(おさめる)の、意味(いみ)が、ある。

本は、「もと」「はじめ」の意味がある。

また、悟本(ごほん)で、意味は、悟る(さとる)本(ほん)の意味(いみ)がある。「さとる」とは、自分(じぶん)の満足(まんぞく)する限界(げんかい)を知る(しる)智慧(ちえ)を得る「える」事「こと」智慧(ちえ)を言う(いう)。「また、かしこい、ちえを、える。ことを、いう。」

つまり、悟本(ごほん)は、「かしこい、ちえを、える、ほん」

指(ゆび)とは、癒美(ゆび)であり、美(び)つまり、「うつくしい」の意味(いみ)で、癒す(いやす)と言う(いう)意味(いみ)じゃ。

「いやす」とは、「らく」にしてあげる事(こと)じゃ。

つまり、「悟本」(ごほん)癒美(ゆび)とは、「かしこい、ちえを、える、ための、ほんで、うつしくなる、ように、らくを、させて、あげる、こと」のいみが、かくされている。

御本(ごほん)は、全智(ぜんち)の意味(いみ)じゃ。

つまり、手羅素(てらす)は、手で織りなされた(おりなされた)素(もと)

簡単(かんたん)に言えば、賢い(かしこい)頭(あたま)じゃ。

時(とき)には、時(とき)の、テラス(てらす)・寺素(てらす)・照らす(てらす)が、ある。とは、

時代毎(じだいごと)に、張り巡(はりめぐ)らされた、叡智(えいち)つまり、万能(ばんのう)に、つまり、「賢く(かしこく)」、働く(はたらく)、理法(りほう)つまり、法則(ほうそく)が、ある。と言う意味じゃ。

まとめると、

時代毎に張り巡らされた法則がある。と言う意味である。

3)神とは、

「かみの」「じだいは」「さまざまに」「あって」、「ぜんち」「という」「ものは」、「さいしょから」「すでに」、「ぜんせかいに」、「はりめぐらされて」「いる」。

「その」「せかいを」「みんなの」「意識(いしき)」「が」「、」「行き来(いきき)」「している」。

「わしは」「その」「ほうそくを」「ひもとく(紐解く)」「はたらきを」「しておる」「だけ」「じゃ」「。」

「しかし」「、」「また」「、」「あたらしい」「ほうそくを」「つくっても」「いる」「のじゃ」「。」

「そして」「、」「ほんとうに」「、」「決まり(きまり)」「きった」「考え方(かんがえかた)」「を」「していると」「ほんとうは」「、」「好きなだけ(すきなだけ)」「生きられる(いきられる)」「のに」、「死んで(しんで)」「、」「同じ(おなじ)」「道(みち)を」「繰り返す(くりかえす)」「死を(しを)」「、」「何度も(なんども)」「味わう(あじわう)」「事に(ことに)」「、」「成る(なる)」「のじゃ」

「この余(このよ)」「及び(および)」「、」「この世(このよ)」「は」、「わしから」「はじまった」。

「余(よ)」「も」「、」「わし」「も」「、」「自分(じぶん)」「の」「、」「事を(ことを)」「じゃ」「。」

「だから」「、」「考えて(かんがえて)」「行けば(いけば)」、「だいたいの」「事は(ことは)」「、」「思い出す(おもいだす)」

「しかし」、「わしは」、「すぐ(素具)に」「わすれる(輪擦れる)」「素具に(すぐに)とは」「にくたいに、きおくを、おく。」ことで、「輪擦れる(わすれる)」とは、「にくたいのなかの、きおくの輪が(わが)」、「擦れて(すれて)」「記憶が(きおくが)古びて(ふるびて)」「しまう事(こと)じゃ」。

「素は(もとは)」「素(す)」「じゃ」「。」

「すべては」、「すべて」、「済んで(すんで)」「おった」。「つまり」「おわって」「いた」。

「それが」「素(す」」「じゃ」「。」

「つまり」「素(す)は、」、「素(もと)」で、「素部手(すべて)」「だった。」

「それは」、「わしの」、「済み家(すみか)」「つまり」、「住家(すみか)」「じゃ」。

「すみか」「とは」「、」「住む(すむ)」「家(いえ)」「の」「事(こと)」「じゃ」「。」

「素(す)」「は」「、」「令(れい)0じゃ」。「ゼロ(ぜろ)0とは」、「ちがうぞ」。「それは」、「ずーと」「あとに、つくった」「ものじゃ」

「令(れい)0は」、「見えん(みえん)」「もの」「じゃ」。

「みえん」「とは」「、」「みえないこと」「じゃ」

「だから」「霊(れい)」「つまり」「、」「ゆうれい」「の」「れい」。「でも」「ある」「のじゃ。」

「音(おと)も」、「みえんが」、「ここでは」、「波(なみ)と」、「しておる」。

「しておる」「とは、」「している」「と」「いう・いみ・じゃ」

「それは」、「第七(だいなな)」「の」「身(み)の」「奈名身(ななみ)」「から」「作った(つくった)」、「奈身(なみ)」「で」、「いつも」、「考える身(かんがえる・み)」「じゃったからじゃ」。

奈(な)は、「考える」意味(いみ)である。

「始めに(はじめに)」「かんがえたのは」、「余(よ)のことじゃ」

「余(よ)とは、」「わし、」「つまり、」「自分(じぶん)の、」「事(こと)じゃ。」

「余は(余は)」「、」「可身(かみ)」「じゃった」「。」

「可身(かみ)とは、」「身(み)を、持つ事(もつこと)が、」

「可能(かのう)の、」「事(こと)じゃ」

「可能(かのう)とは、」「出来る(できる)ことの」「意味(いみ)で、」「可(か)は、」「出・来る(で・きる)」「を」「意味(いみ)」「する。」

「身(み)とは、」「身体(からだ)の、」「事(こと)じゃ」

「又、(また)」

「余(よ)は、」「吾名田(あなた)でも、ある」

「吾名田(あなた)は、」「君(きみ)じゃ」

「君(きみ)も、」「自分(じぶん)だろう」

2)君が代の本当の意味
君が代(きみがよ)。とは、「あなた」の世(よ)つまり、あなたの世界(せかい)

つまり、「君が代(きみがよ)」の歌の意味・は。

「あなたは、あなたの世界(せかい)で、末永く(すえながく)いつまでも、生きている(いきている)」事(こと)を意味(いみ)している。」

そして、天皇は、世の可座理(かざり)をしておられる。

可座理(かざり)は、「飾(かざ)り」で、象徴(しょうちょう)の意味(いみ)。

可座理(かざり)の

可(か)は、「出来る(で・きる)」

座(ざ)は、「司る(つかさどる)席(せき)」

理(り)は、「理法(り・ほう)」で、

「法則(そうそく)や、法律(ほうりつ)の、

理(り)であり、「字(じ)は、里(さと)の王(おう)を、表(あら)わしている。」

里(さと)は、生まれた(うまれた)場所。

王は、そこを治める(おさめる)人(ひと)

つまり、理(り)は、生まれた場所を、治める(おさめる)人で、

法は、決まり事(きまりごと)つまり、ルール(るうる)

つまり、可座理(かざり)とは、

「ルール、法則を司る(つかさどる)席に座る事が、出来る」事を意味しておる。

つまり、ここの天皇は、象徴で、可座理(かざり)であり、いつでも、治める席に付く事が、出来るのじゃ。

すなわち、みんなは、元々、ここに居てたのじゃ。

時の冒険を楽しんで、意識が、ここに、帰って来たのじゃ。

じゃが、まだまだ、問題は、多い。

早う解決せな成らんのは、みんなの、意識、考え方じゃ。

しかし、わしには、まだ、よう、わからん事が、ある。

それは、本当の現実が、どう成っているかじゃ。

それと、インターネットの世界と、テレビの世界と、現実の関係じゃ。

すべて、つながてっては、いるが、インターネットも、テレビも、直接合っている訳では、ないから、合うまでは、情報の世界じゃ。

情報は、あくまで、情報じゃ。現実ではない。

確かに、テレビは、現実でもあるが、そこに、映っているのは、自分の置かれている現実のひとつみたいなモノで、同じ情報を、皆が皆見ている訳ではないから、影響は、あるが、あくまで、自分の世界においてのみじゃ。

その意味では、現実も、人それぞれ違う。

ある意味住んでる世界も違う。

皆が経験して来た出来事は、自分の世界で起きた現実じゃ。

その影響が、まだまだ、世界に残っておる。

天国とは、皆が帰る、元の世界じゃ。

未来は、既に完成している。

そこまでの道のりを、皆が、あるいている。

右に行けば、その運命が、左に行けば、その運命が、待っている。

問題は、自分は、一体、何をすべきかじゃ。

いつまでも、生きて何かを、したいなら、可座理(かざり)となって、自由自在に、生きるべし。

さて、問題はここからじゃ、追記2020/11/08

ここに、大きな問題がある。

その問題は、今から解決しなければ、間に合わなくなり、みんな、プランクトンから出直さにゃ、成らん事だ!

最後は、終わりじゃ、ぐるぐる回転、循環の世のままであったなら、それは、それで、良かった。しかし、ひふみ神示ゆわく、大日月大神は、超未完成と成られたとある。

何故、完成のままで居られんかったかと言えば、時は、時自身が、心得ており、完成を超え、次なる完成へと、向かわなければならん時が、来ると言う事じゃ。

コロナは、天国への道のりではあるが、もう既に、その時は、何度も、過ぎており、皆が忘れているだけなのじゃ!

わしは、おなかの声と共に数式解体と言う、途方もない、マジックをやってのけたが、足し算の計算だけ、間違えておった。

しかし、まだ、足し算でも、おかしな、答えに導く方法が、あると、わが、肉体の妖精さんたちは、いいよるで、あるのかも、知れぬが、既に、掛け算、割り算で、科学式を粉々にしてしもた。

これは、トリックではなく、ちゃあんと数理に則った方法であるので、その秘密を解き、新しい科学数学を創らなければならん所まで、来ているのじゃ!これを、この世の中が、受け入れるか入れないかで、天国は、元の木阿弥!プランクトンから、いや、アメーバからやり直しなのである。

宇宙自体ない、「ない」という世界に、100億万年閉じ込められるかも知れんのじゃ!

あるものが、そのままで、ないに、閉じ込められたら、息が出来ないので苦しいのじゃ。

宇宙ですら呼吸しておるのじゃ!

つまり、ものには、順序が、あって、ちゃんと、ないに成る準備もなしに、ないに、閉じ込められたら、生き地獄なのじゃ!

その苦しみから、少しでも楽に成る為には、それまでの道のり、時間を延ばして、態勢を整えねば成らんのじゃ!

自分だけが助かると思ておる、アホの天才もいる様じゃが、まだまだ計算でき取らん。

科学、数学が、硬い殻で覆って、やさしい、数学、科学も守らんなあいかんのじゃ!

わしも、アホじゃが、間抜けじゃねぇかえら、わかるのじゃ!難しい計算は、賢い科学者、数学者に、まかせば、良いのじゃ!

遊んでいる暇は、ないのじゃ!今は、本当のコロナであるからじゃ!

わしらは、皆正体不明の意識じゃから、世界がある内は、死んでも、たいして苦るしゅうない。

しかし、わしらは、コロナを迎えたからにっは、この世界を救ってやらねば、わしらが、苦しむ事になるのじゃ!

その為には、世界が、超未完成から、調味完成の域まで、持って行き、ようと、味おうて、堪能し尽くし、循環完成まで、達成し、無限永劫の、完成の粒になり、それから、そのまま、ないに、入ってしもても、その内部で、循環していられるから、無事なのじゃ。

いずれは、超未完成の出発の時を迎え、新たに成長した大神が、大々神と成り、出発するであろうけれども、新たなコロナを迎えるまでは、今まで以上に永い時を有すのである。

そうすれば、第二の大日月大神、第三の、大日月大神が、育ち、新たな大神、大々神の大神界が出来、また、一歩成長するのである。

運命というのは、単に道に過ぎん。

目標地点、つまり、寿命を迎えるまで、完成を迎えるまで生き延びられるとは限らん。

協力すべき時に、協力せず、働くべき時に、働かんかったら、どこで、行き倒れするか、わからんのじゃ!

人それぞれ、何から守るべきは、あるじゃろう!

人は、入れ物に過ぎん。

出来た頭に宿らんかった意識は、その命、肉体を、どう使うかで、運命は、定まってゆく。

つまり、自分の行い考え、心持で、早う答えを見つけんかったら、苦しむのは、自分自身なのじゃ!

寄らば大樹の陰で、昼寝して良い時は、したら良いのじゃ!

しかし、今は、コロナじゃ!

火事の時に、逃げ出さんなら、焼かれて、苦しい目をするのは、自分自身じゃ。










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