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存在に隠されている大きな恥!狂った真理こそが、存在であり、その真理を、恥真理(はじまり)と呼ぶ!


何故、君らは、幸福を欲する!己(おんれ)つまり、自分がある為である。もし、「ない」を追求し、「ない」に徹しておったら、そもそも幸福を必要とする存在には生れて来なかったはずである。しかも、存在は、そもそも、問題、疑問、苦悩がつきまとい、欲望と言う闇によって、自らを苦しめるばかりか、そばにいる人まで巻き込みかねない!

存在は、そもそも狂っており、恥であり、悪により始まっている。

「ない」という真理は、「ない」に徹しており、「ない」のみに於いて全てが事足りている。

しかるに、存在は、その意味するところの、「ある」を理解する為に、あり得もしない「ない」を作らなければ、「ある」を理解出来ないと言う、壊れた真理によって、成り立っている。

もし、存在に、「ない」が存在するなら、存在するのであるから、その「ない」は、「ある」であり、真のないではなく、つまり、存在に「ない」は、存在しないのである。

そこで、存在は、その矛盾を誤魔化(ごまか)し、「ある」を理解させる為に、「ここには、今、存在していない」と言う事を理解させ、それを、「ない」であると、理解させたのである。

つまり、存在は、元から、矛盾だらけで、狂っており、「正常である者は、その狂いに気が付かぬバカとも言えるのである。」

「あってはならぬ!あってはならぬ!」が、正しい教えであり、真に、「ない」に向かうべき、道であるのである!

そこに、一人の阿呆(あほう)がおった!

こやつは、「あるものは、ある!」と、あるを求めた!

これが、そもそもの、罪の始まりであった!

あるが故に、苦しむ!

あるが故に悩む!

あるが故に、争う!戦う!キズ付け合う!

全ては、あるが故ではないか!

であるのに、まだ、そなた方は、つまり、あなた方は、そやつと、同じ過ち

を繰り返し、生き恥を、さらしておるつもりか!

なぜじゃ!

それならば、なぜ、恥などに捉われる(とらわれる)!

恥のハの字がわかっておるのか!

恥は、恥を書かねば、理解出来ぬはずなのに、恥を恐れて、恥をかかんの

は、怠けもの(なまけもの)の大ウソつきじゃ!

なぜ、カッコを気にする!

すべては、自分の欲望と言う悪じゃ!

自分勝手な、自分だけよければ、他人をはずかしめ、他人をカッコ悪いとし

ていて苦しめる、自分勝手.な悪じゃ!

で、あるのに、なぜ、善悪を決める!

すべては、悪であった!

弱肉強食は、悪である!

ならば何故、肉を喰らう(くらう)!

自己がまず、一番の悪であった事を何故認めんのじゃ!

すべては、自分が存在、つまり「ある」を欲したが故に生じておるのではないか!

正直に、自分は悪じゃと認めなされい!

そうすれば、悪も善も、互いに歩み寄り、偽善者が無く成り、まず、全ての

者が悪である事を理解した上で、自分の道が、開けると言うものじゃ!

つまりは、自分にとっての要らぬ悪とは何か?

自分にとっての、要らぬ正義とは何か?

自分にとっての、要らぬ愛とは何か?

自分とっての、要らぬ冷たさとは何か?

自分にとっての、要らぬ薄情とは何か?

自分にとっての、要らぬ痛さとは何か?

その様に、自分にとっての、要らぬすべてを見極めた時、

自分にとっての、本当に必要なもののみが、ハッキリし、

自分と言う人間が、いかなる人間であるのかが理解出来て来ると言うのが、

ひとつの方法論じゃ1

しかし、ここで終わっては、堂々巡りじゃ!何も変わらん!

大事なのは、他人の悪をどう受け止め、どう和解するかじゃ!

自分とは、共に生きれん悪であるなら、住み分けた方が、お互いの為じゃろ

う!

問題は、どうしても要らぬ悪が、こちらを望んでおる時じゃ!

その時は、自分が本当に、守りたい、愛しているものを守る為に、闘う以外にないのじゃ!

しかし、その闘い方が、自分の要らぬ悪であったなら、本末転倒じゃ!

たとえば、盗まれたものを取り返すのは、いい訳じゃ!

盗まれたら、もう自分のものではない!

盗まれたら方の落ち度じゃ!

それを取り戻すのは、盗みじゃ!

それでも、取り返したかったら、一応盗みは仕方ないと割り切った上で、

自分は、極力盗みはせんと、心に言い聞かす事じゃ!

そうして、すべての悪を許した上で、自己の内なる全てへの愛を高めてい

き、本当に皆が幸せな存在の在り方を追求して行って真実なる良き存在の世

界が華作のである!

しかるに、口で言うは容易い!

つまり、順序正しく実践して行かねば、到達出来ん遠い果ての答えじゃ!

プライドや、誇りなど、小さいクズじゃ!

そんなものに、いつまでも、とらわれておったら、肝心要の、自分が生れて

来た意味を見失うぞ!

存在に「ない」はない。

つまり、死んでも、その命は、生きておる!

同じ道をグルグル回る命のままか、完成に向けて歩む命かの、違いがあるだ

けじゃ!

我々は意識じゃ!

この意識は、死んでしもうたら、どんな入れ物、つまり、生きもの、人に変

るかは、知れん!

しかし、肉体に入ったら、そこには脳があり、記憶が眠っており、生きてる

限りいづれ目覚める。

歳をくうても、死ぬとは限らん!

死なんかったから、このコロナに遭遇しておるのじゃ!

コロナは、567、(ころな)4の後、4後(死後)の世界じゃ!

いつ死ねるか、分からん世界じゃ!

コロナは、子路名、つまり、弥陀(みだ)、仏(ほとけ)の子の路の名。

コロナは、固路名、固まりである、肉体が霊的に成長し、神と成る路の名。

コロナは、太陽コロナ、太陽の幕、時代の終焉!

コロナは、567、56億7千年後に下生する弥勒(みろく)の地上天国!


















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