おそらの世界
『きっと、あの雲のあたりじゃないかな』
望んでいなかった中絶手術の翌日、僕らは家から少し歩いたところにある、川沿いの土手を歩いている。
おこちゃんが『無脳症』ということがわかった夜、僕は必死になって無脳症という病気について調べた。
そして調べれば調べた分だけ、『無脳症』というものは絶望的で、救いの無い病気だということを理解するほか無かった。
そんなときに、僕は同じようにお腹の子が無脳症と宣告された人のブログを見つけた。
その人の場合は『中期中絶』という形で無脳症の赤ちゃんとお別れをしていて、その家族にはお兄ちゃんにあたる5歳の子どもがいたらしい。
『この残酷な出来事を、子どもになんて伝えれば良いか分からない…』
そんな悩みに苦しむ母親に、助産師の先生は、
『5歳の子にわかるように、「おそらに忘れ物を取りに戻った」と伝えれば良い』
とアドバイスをしたという。
まだまだ小さい子どもに辛い現実をありのまま言うのではなく、ファンタジーを織り混ぜて伝えるのは、その子どもだけでなく親の心も救ってくれている気がした。
だから、僕もお別れをするおこちゃんに対して、極力『おそらに帰った』という表現をするようにした。
そうすることで、『お別れ』ではなく『きっとまたきてくれる』という気持ちになれるからだ。
これはまわりから見たら、ただの現実逃避なのかもしれない。
でも、そうでもしないと僕らは壊れてしまう気がした。
『おこ~、またきてね~』
そう言いながら、僕らは久々の青空に点々と浮かぶ雲に向けて手を振った。
おこちゃんは、もう妻のお腹の中にはいない。
そんな現実を受け入れるためにも、僕らがまた前を向いて歩くためにも、そして、またおこちゃんをお腹に宿し再開するためにも。
僕らはこの『ストーリー』を信じていく必要があったんだ。
おそらは僕ら2人が上を向くことさえできれば、いつでもそばにあるから…。
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