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無事カエル




『こっちを通ってみようか』


水子供養のお地蔵様に『おこちゃんへの願い』を伝え、僕らは観光客が少なくなった浅草を探索していた。


普段ならごった返すこの観光名所も、コロナが流行している今はガラガラで歩きやすい。


そんな中、僕らは『あるもの』を探していた。


それはおこちゃんとのお別れを数日前に控えていたある日の夜のことだった。

・・・・・


『せっかく来てくれたお腹のおこ、いなくなっちゃうと寂しいね…』


公園のベンチに腰掛けると、妻が悲しそうにポツリと呟いた。


長く、辛い不妊治療や体外受精を経てようやくその身に宿すことのできた、ちいさないちさな命だ。


それを失う悲しみは、僕なんかよりも、遥かに深く、とても辛いはずだ。


そんな時に、僕はふと閃いたことがある。


『これからどこか出掛けた時には「小さな人形」を探すのはどうかな!?』


妻のお腹の中にいるおこちゃんは、約3センチほどの大きさに成長していた。


僕はお空にかえってしまったおこちゃんの代わりに、小さな人形を用意し、それにお祈りをしようと考えたんだ。


子どもを亡くした母親が、子どもと同じくらいの人形に話かけていたり、子猫を失った母猫が、ぬいぐるみを抱えて眠る映像を見たことがある。


『そんな「代わりのもの」でいいのかな?』


昔は僕もそう考えていた。


しかし、『大事な存在』を失ったものしか分からないことがある。


それは、心はそこまで『強くない』ということ。


そして何かを失ったその心の傷が癒えるまでは、何か『支える存在が必要』だということだ。


『それ、良いね!』


妻は僕の考えに賛同してくれた。


『無脳症の子は頭が無いから、ちょっとカエルみたいな見た目になってるみたいだよ』


『じゃあ、小さいカエルの人形を探そうか!』



無事に、きっとまた僕らのもとにかえる。


そんな願いを掛けて、僕らはこれからどこかへ出掛けたときに、おこちゃんを探すことにしたんだ。

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