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嵐の後に




『…タクシーで良かったよなぁ…』


適当なカーラジオを流しながら、僕は1人車を運転しながら呟いていた。

・・・・・


車を病院の前に止め、僕は看護士さんと共に妻を借りてきた車へと連れ出す。


麻酔がまだ効いているせいで、妻の足元はフラフラとしていて、1人では到底歩くことができないようだ。


階段は慣れている看護士さんに任せ、僕は先に妻の靴を用意したり、ドアを開けたりと準備をしていた。


『駐禁、切られてないかな…』


そんなささいな不安が頭をよぎりながらも、とりあえず無事に妻を車の後部座席へ連れてくることができた。


見送りの看護士さんに深々とお辞儀をしながら感謝を伝え、ようやく僕らは帰路についた。

ホッとしたのも束の間、ハンドルを僕の手はじっとりと汗をかいている。


いつもレンタカーを借りてすぐの運転には、とても緊張してしまうからだ。



乗り慣れない車、見慣れない町、そんな不安要素がたくさんある状態。


都心の車は運転が荒いから、極力近づかないようにしていたんだけれど、今はそんな訳にはいかない。


そんな不安を飲み込み、自宅への到着予定時間を妻の母に連絡してから、僕は車のアクセルを踏む。


僕には、妻を無事に送り届ける使命がある。


深く深呼吸して気持ちを落ち着かせ、僕はハンドルを強く握る。

・・・・・


『もうすぐ家に着くよ』


そう後ろに横たわる妻に声をかける。

『え…もう…着くんだ…』

消え入りそうな小さな声で返事が返ってくる。


運転に集中していたからか、1時間ほどの恐怖のドライブは、あっという間に終わった。


家の下に車を停めて、降りる準備をしていると、妻が動けていないことに改めて気づく。


麻酔が残っているせいで、自力では身体を起こすこともできない状態なのだ。


『えへへ…まるで介護だね…』


そんな冗談を口にして、力ない笑顔を僕に向けながら、妻は起き上がろうと僕に手を伸ばす。


その手をギュッと強く握り締め、妻の身体を抱き抱えながら、なんとか車から降りることができた。


持てる荷物をすべて持ち、僕は妻の腕を肩に回し、支えながらエレベーターへと向かう。


フラフラとした足取りに、周囲の人は驚くだろうか…と一抹の不安を抱え歩いていたが、誰にも会わなかったのは救いだ。


なんとか自宅のドアを開けて入ると、妻は這いつくばりながらトイレへと向かった。


『頭を上げると辛いから…』


そう伝えられた僕は、這いつくばりながら必死に進んでいく妻の進路を阻む障害物を、事前にどかすことぐらいしかできなかった。


『ピンポーン』


玄関のチャイムが鳴る。


『なんだか…大変そうね…』


異様な光景が広がるなか、妻の母が到着し、僕はようやく気持ちが落ち着いた。


疲弊した妻を寝かし、義母が買ってきてくれた昼御飯を頬張り、僕も少し休むことにした。

・・・・・


ほんの15分だけと思って横になったが、気づけば1時間もの間眠ってしまっていた。


レンタカーの返却があることを思い出し、病院での出来事、連絡事項を義母に伝え、僕は慌てて家を飛び出して、車に乗り込む。


不測な事態、焦る状況なときほど、冷静な判断が必要だ。

冷静になった今、どう考えてもレンタカーを借りる必要性はなかったと思う。


僕は今後、『非常事態のときは素直にタクシーを使う』ということを肝に命じ、また1時間ほどかけながら病院近くのレンタカー屋を1人目指すのだった。

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