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さながら気分はオイディプス

憎しみから遠ざかろうと足掻く。その結果、自身が忌み嫌う『憎しみ』そのものになる。それは稀有な体験なのだろうか?俺の人生における憎しみへのファーストコンタクト、それは10歳の記憶に在る。
 
父は不動産経営に成功した成金で、母は名を馳せたピアニストだった。その二人の間に生まれた子供が兄と俺だ。母は兄を一流のピアニストに仕立て上げるべく厳格に指導した。兄の気持ちはお構いなく、己のエゴを押し通す。怒声罵声の毎日、折檻は当たり前、友達と遊ぶ時間など無い。対して俺には自由が与えられていた。好きに学び好きに遊び、両親に何も強制されたことは無い。兄を生贄に俺の自由がある、幼いながら俺はその事を自覚していた。
 
さて、俺が10歳になり、兄がジュニアコンクール最終審査で演奏した時のこと。曲目はベートヴェン作曲『運命』リストによるピアノ編曲第一楽章。疎い俺でも漠然とした感動を覚える演奏だった。会場が拍手喝采の中、母に言った。
「お兄ちゃん良かったよね、賞とれるかも」
「賞は無理かな。自由に弾きすぎちゃったから」
「でも、良かったよね?」
「うん。あんなにのびのびと、幸せそうに…」
そこで母は言葉を詰まらせた。父が母の背中を擦る。母は大粒の涙を流している。その涙を見て幼い俺は悟った。『真に愛されていたのは僕じゃない』
 
その日から俺は母を憎むようになった。自分は絶対母の様な大人にはならない、そう心に固く誓ったのだ。俺は自分の幸福論を兄の人生に押し付けたりはしない。
 
それから17年後、今、俺は自分の幸福論を兄に押し付け、兄の人生を台無しにしてしまった。どうしてこうなったのだろう。憎しみありきの運命は俺の人生を根こそぎに搦め捕る。
 
さながら気分はオイディプスだ。
憎しみへの不完全変態の系譜。

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