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散人の作物

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#小説

短編小説『「誰かの誰か」として 三人の物語』

短編小説『「誰かの誰か」として 三人の物語』

第一章 桜の後

初恋の人との恋愛は、今はもう、おとぎ話のようで。
涙を流した日々さへ単に形式だけの儀礼に過ぎなかったのではないか。そう訝しむほど人生は過ぎていた。

春先に彼は新しい職場でプログラマーの仕事を再開した。職場と言えどもそこは、彼の新しいマンションの一室に他ならない。個人事業主として細々と、自分の出来る範囲のコードを書く日々。張合いは無い。しかし彼はそんなもの求めてはいなかった。ただ

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春近し、初恋を

春近し、初恋を

沙汰無きは、無事なる事なり、と宣いしは祖母なり。そう言われる通り、私は祖父母宅を訪れるのは稀になっていった。それはつまり我が郷里に近づき難いからに他ならない。
あの通い慣れた街道を歩む時、或はあの感じ慣れた風を体に受ける時、著しいノスタルジーが私を包囲して、つまらぬセンチメントを喚起させるのだ。
例えば私は、故郷にて何か後ろめたい事をした。そういう訳では決してない。何をするにも何も出来ぬ空虚な街に

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小説『鮮血への贖い』

小説『鮮血への贖い』

自分の容姿に過不足を感じた事は今までに一度もない。そう断言できる。俺は確かに良い容姿で今日まで生きてきた。それは、幸いでもあり不幸せでもあると言わねばなるまい。自意識はその分肥大するのだから。

子供の頃、の記憶を辿ると俺はなき泣き虫であった。それは何に対して?少なくともそれは他人に対してではない。言うなれば世間に対して俺は恐怖を抱いていたという他ない。テレビに流れる残虐な映像は俺をこの世界に不安

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過ぎし面影、巴里の日々、アル中の男

過ぎし面影、巴里の日々、アル中の男

不眠なる私は枕頭に立つ思い出を一晩の伴侶にする他無いという悲しき定め。是多多あり。それは確かに、かつての記憶を思い出し、その地に立たせるのだが、いかにも辛いと言わざるを得ないのは、この浮世に長く止まった性か。それは分からん。どんな思い出が立つのか。それは妄想に近い時もあれば、また忠実なる過去の一時をありありと、その上、明瞭に思い出すこともある。
女を思い出すことが多いのだが。そんな時もあるのさ。や

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“君”と呼びか掛けられし僕から君へ

“君”と呼びか掛けられし僕から君へ

言葉を弄して僕は一体何を語るというのか。或いは山水画のような壮大な景色を、或いは浮世絵のような耽美なる人間を、或いは風景画のように緻密な光を、そして或いはシュルレアリスムのような私という現象を。

美しい物語を読んでいる訳では僕は決してないのだ。僕は一貫して、探しているものがある。荒野という現世に一人投げださえれてしまったあの日から。僕は一つ、ただ美しい言葉を探している。それはもっというならば僕を

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短編小説『終わりなき「終わりなき日常」』

短編小説『終わりなき「終わりなき日常」』

崩壊のその予兆は決して実現せざるものなり、と横山博和は既に知っていた。だが、それでもいつかは自分を含めた世界が壊滅するという事を今や遅しと待ち望んではいる。

彼は、二十三歳の彼は思春期をとうの昔に脱してはいるのにも関わらず終焉のその時を、全てが原点に戻るその地点を、まるで備えるかの様に粛々と日々を余生の様に送っているのだ。だが実態、正しく居ても居なくても同様な存在として日常のある地点にいる。

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惜別は冬の気配に運ばれて

惜別は冬の気配に運ばれて

序に記

この大都会・東京で知己に会うは易からざる事なるべし。況や情交ありし人に於いてをや。東北の偉大なる大詩人は人と人との別れ難きを説かれられしが蓋しそれ即ち真理なるべし。



木枯らし吹き葉が落ちる。そんな秋の終わりはいつだって寂しいものだ。独り夕暮れの商店街を歩んだ時にふと思い出す過去。甘い追憶を絆される秋の夕暮れ。内省は幾度と無しに繰り返されて私と私以外との輪郭は次第に明瞭になっていく

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読書の秋に 荷風探訪 一名『葛飾土産』散策記

読書の秋に 荷風探訪 一名『葛飾土産』散策記



秋深し。路傍の並木は既に紅葉し吹く風は葉を巻き込んで舞い上がる。その行方を追うとどこまでも広がる青い空の向こうに鴉が飛んでゆく。
秋。喪失の季節にして再生への予兆。孤独な秋には芸術がよく似合っている。読書にせよ何にせよ太陽は厳しくもなくただ燦然と天にあるのみ。
散歩に行こう。往昔の書を携えて。荷風散人の足跡を追って。

葛飾への流浪

永井荷風『葛飾土産』は彼が晩年に記した最後の名作(石川淳

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短編小説『水辺の事語』

短編小説『水辺の事語』

序章 流れ

拙宅の近くに川がある。時として勢い急であるが平静は比較的穏やかな方であろう。幼少期よりその川は遊戯に適した場所であるため親しんでいる。今でこそ泳いだり飛び込んだりはしはしない、がそれでもその流れを眺めに行く事はしばしば。殊更に美景と感じているのではないが、とはいえ、見慣れた水の流れは私に心の平安を与えてくれる。
そんな出自もあってか私は水辺をいつの間にか好む様になった。よしんば私がメ

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短編小説『アルバムを捲る様に』

短編小説『アルバムを捲る様に』

毎日ぶらぶらそこらを散歩している僕は時としてアルバムを捲る様に昔日の日々を思い出すことによって暇を潰すことがある。その思い出のアルバムの中身は、例えば告白出来ずじまいで終わった七菜香という女性への恋慕や自分の命さへ差し出したかった沙希という女性との思い出がある。それが何だといえば何でもないのだが。
兎角、人間には個人的な思い出というものは全くつきものであるし、思い出の中でのみ生きているという人間の

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届かぬ暴走

届かぬ暴走

 デッサンをしている時、私の画力が次第に落ちていくのが如実にわかった。その要因という物は目の前に横たわるデッサンの対象物以上に明らかなる事柄であった。それは恋である。十九歳の私の経験するようなものとすれば適当であり、私を笑うものはいまい。故に今告白しているのである。しかし話はそれで終わらない。というのも恋ならば勝手にしていれば良かろう。それは私とて同意見であり反論の余地のないものである。もしも私が

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武蔵野の青年 (我が新作短編)

武蔵野の青年 (我が新作短編)

新たな短編小説を創作した。何度も書いては消し書いては消しを繰り返し今、己が持っている最大の力を出して書いた。下記のリンクから読めるので是非とも読んでほしい。

そしてこのブログではこの短編を書く以前に私が書き記した手書きのメモを書き記したいと思う。これには私に取って大きな意味がある、そう思うからだ。

メモ江戸の頃から培われてきた武蔵野の記憶が東京の街角にあるだらう?さて俺は死ぬのかい?独歩が信子

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