見出し画像

“君”と呼びか掛けられし僕から君へ

だまって存在しあっていることにくらべれば、言葉というものは、なんと不完全で、不自由なやくそくごとだったろう。それは、心の中にむらがりおこって流れ去る想念にくらべれば、符牒にすらならなかった。

石牟礼道子『椿の海の記』

定義とは近似値にすぎない。主語がなんであれ、述語はいつも宇宙全体におよんでいる。絶対的真理を想像しようとしても、この無常な現実のなかでは、それは私たちの思考を超えてしまう。私たちの矢がけっして的の中心を射ることができないのは、的が無限だからである。

アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』

「個人」であることを余儀なくされている自分の姿を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて「小説」というものを書かざるを得なくなるのかもしれない。
それは現代の通念に合わせて切りとられた才気ある物語のことではない。遠かった実在を空虚の中に奪いかえし、「他者」と共有され得る言葉をさがして、要するに「幻」と化しつつある世界を言葉のなかにとらえ直すような試みである。

江藤淳『成熟と喪失 "母"の崩壊』

言葉を弄して僕は一体何を語るというのか。或いは山水画のような壮大な景色を、或いは浮世絵のような耽美なる人間を、或いは風景画のように緻密な光を、そして或いはシュルレアリスムのような私という現象を。

美しい物語を読んでいる訳では僕は決してないのだ。僕は一貫して、探しているものがある。荒野という現世に一人投げださえれてしまったあの日から。僕は一つ、ただ美しい言葉を探している。それはもっというならば僕を、この中心が空虚でどうしようも無いほどにnothingsessな僕自身を寿いでくれるようなたった一文を。短いセンテンスでも構わないし、それが長い壮大なナラティブでも一向に構わない。ただ僕という孤独な穴を埋めるに足りる信仰のような言葉をいつからか僕は求めている。求めて止まない。

承認は時として痛みではありますが、それは時として薬でもあります。肉体的接触は承認を超えた自分への深い沈溺でもある。そして深い闇の沼底からしか見えてこないものもこれはある訳です。それは見えないという事が見えてくる。だからこそ僕は手を繋ぐ事も、キスをする事も、セックスをする事も、他者の匂いを嗅ぐ事も、曖昧な他人が考えるよりも意義がある事に思えるし好きであります。そしてその中で言葉を紡ぎ物語化する。

果たして僕の言葉にどれほどの威力があるのだろうか。僕は矢張り僕の文章が、文章を書いている以上どうしても想像の範疇を超える程の力を持っていて欲しいと思っている。そういう意味で僕は自分の言葉を信じるしか無い。自分の中に何もありはしないから、ただ他者の優れた思想や言葉を参考にしつつ。

僕が文章を書くことが好きな理由はなんでしょうか。それは勿論自己愛に帰着しますがパラフレーズするならば自己絶対化が好きだからに他ならない。
自己を絶対化するという事は矢張り文章の上では無いと出来っこありません。時間は決して止まることなく進み続けています。僕が衰えていく事を拒もうが拒むまいが決して辞めません。それは恐ろしい事です。僕は美しいものが好きです。今の僕を見て欲しいです。だから自殺が好きで心中が好き。『若きウェルテルの悩み』、『曽根崎心中』、『道化の華』、『人間失格』もそうですが一体なんて美しい物語でしょうか。自身を物語化してしまう人もまた同様です。自身の死によって自身の創作世界も完結してしまうとは美しいものを創らんとするものにとってなんたる羨望か。

語弊を恐れずにいうのであれば自傷という行為が好きなのです。つまりそれは最もエロティックなる行為であるから。ジョルジョ・バタイユは禁忌を犯す所にエロティシズムの根源があると言っていた。自身というものは生存本能がありますから守られるべき対象であります。それを自ら傷つける。これ以上の禁忌はありません。裂いた腕から血液が滴る。その温度はやや暖かくして目は朧げに蕩け血脈の行方を見守る。そして呼吸はやや浅く、今眼前で起きている日常外の光景に恍惚とする。

自分の肉体外のモノを語ることはとても難しい。僕は自分の中で完結する人間だからなんとも難しい。でも時としてどうしてか無性に言葉に表したくなることがある。それは勿論僕にとっての君に他ならないのであるが・・・

美しい人である事を拒むのは美しさの恐ろしさを知っているから。静かに歌うのはそれに細やかな愛情があるから。頬にキスをして心音を聞いた時、そして僕と同じ傷を見た時、性的興奮と実存の安堵があった。それが、なんとも言えない。僕は概念的感覚が鋭いけれど身体的感覚はすこぶる鈍い。君にはそれがある。だからこそ紡ぐ言葉は何よりも身体に突き刺さる。

文章は孤独の中にこそある。でも時として他者と繋がる掛橋たりうる。孤独なる壁打ちから偶にレスポンスがあると至上の嬉しさがある。僕の為に言葉を鬻いでくれてありがとう。そう言いたい。
そしてこれ以上なく強く抱きしめて君の、唯一無二なる匂いに嗅覚を働かせつつ静かに明日も昨日も、今さへもなくなって欲しいと思う。

いつか、また君の言葉を、物語を知りたい。

(了)

引用
河出文庫/石牟礼道子『椿の海の記』
文遊社/アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』
講談社文芸文庫/江藤淳『成熟と崩壊 "母"の崩壊』


是非、ご支援のほどよろしく👍良い記事書きます。