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本能寺の変1582 お知らせ №13 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

     お知らせ      №13 

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加筆・修正

  いつも、多くの皆様に御覧いただき大変ありがとうございます。
  さて、表記の件につき、下記の通り、内容の一部を加筆・修正いた
  しましたのでお知らせいたします。

重要 ◎目次小 第11話 

4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 3/7 

はじめに ←目次 ←重要 ◎目次 ←重要 ◎目次小 ← 
→重要 ◎目次小 第1~20話 第21~40話 第41~ 話 
→重要 ◎目次小 ①第1~5話 ②第6~10話 ③第11~15話 ④第16~20話
見えてきたもの 目次 
*「◎」は、重要ヶ所◎マークです。
 10① ◎ 10② ✓ 11 ◎ 12 ◎ 13 ◎ 14 ◎ 15 ◎  
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。 

◎第11話  第11話  

 信長の人物像 粛清の人 不意を衝く 恐ろしい男 組織 競争 活性化 
        報告重視
 信長の性格  執念深い 忍耐強い
 光秀の人物像 出来る男 洞察力 報告能力 信長を知悉
 光秀の苦悩  粛清の怖れ
 秀吉の人物像 出来る男 同じ穴の狢
 時代の風潮  粛清 不意討ち 叔父暗殺 織田信光 弟殺害 織田信勝
        重臣追放 佐久間信盛

  ◎信長は、粛清の人。
  ◎信長は、不意を衝く。
  ◎一、叔父、織田信光。
  ◎一、弟、織田信勝。
  ◎信長は、恐ろしい男。
  ◎信長は、信盛を叱りつけた。
  ◎その時の折檻状である。             『信長公記』 
  ◎信長は、忍耐強い。
  ◎信長は、執念深い。
  ◎信長は、長い間、我慢していた。         『信長公記』
  ◎佐久間信盛の油断。
  ◎信盛は、そのことに気づかなかった。       『信長公記』
  ◎光秀は、出来る男。
  ◎信長は、光秀を褒め称えた。           『信長公記』
  ◎次に、羽柴秀吉。
  ◎秀吉も、出来る男。
  ◎秀吉は、光秀をマークしていた。
  ◎同じ穴の狢(ムジナ)。              『信長公記』
  ◎信長は、二人を競わせた。
  ◎競争の原理。
  ◎組織の活性化。                 『信長公記』
  ◎光秀は、家臣らの手本だった。          『信長公記』
  ◎信長は、報告を重んじた。            『信長公記』
  ◎信長は、光秀の報告のあり方に満足していた。   『信長公記』
  ◎光秀は、洞察力に優れていた。
  ◎光秀は、信長の性格を知悉していた。
  ◎光秀は、粛清を怖れた。
  ◎秀吉、これに同じ。



  以上。
  今後とも、よろしくお願いたします。
                              20240115

NEW!!

目次 が更新されました。

 これで、全体像がよくわかる!!
 毎日更新!!
 原因・動機の究明は、この一歩から!!

重要 ◎目次 が更新されました。

 「本能寺の変」
 原因・動機は、この中にあり!!
 ご注目下さい!!

見えてきたもの 目次 が更新されました。

 これで、さらに、一歩、近づいた!!
 ご期待ください!!


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