本能寺の変1582 お知らせ №12 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
お知らせ №12
加筆・修正
いつも、多くの皆様に御覧いただき大変ありがとうございます。
さて、表記の件につき、下記の通り、内容の一部を加筆・修正いた
しましたのでお知らせいたします。
重要 ◎目次小 第10話①
4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 1/7
←はじめに ←目次 ←重要 ◎目次 ←重要 ◎目次小 ←
→重要 ◎目次小 第1~20話 第21~40話 第41~ 話
→重要 ◎目次小 ①第1~5話 ②第6~10話 ③第11~15話 ④第16~20話
→見えてきたもの 目次
*「◎」は、重要ヶ所◎マークです。
10① ◎ 10② ✓ 11 ◎ 12 ◎ 13 ◎ 14 ◎ 15 ◎
*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。
◎第10話① 第10話①
信長の人物像 人物眼 合理主義者 粛清の人 不意を衝く 恐ろしい男
信長の性格 執念深い 石山本願寺
光秀の人物像 出来る男
光秀の苦悩 粛清の怖れ
時代の風潮 粛清 不意討ち 佐久間信盛
◎織田家は、急激に拡大していた。
◎信長の人物眼。
◎光秀は、出来る男(切れ者)。
◎信長の人事評価。
◎光秀が、その基準だった。
◎信長は、無駄を嫌った。
◎佐久間信盛の一件。
◎信長は、不意を衝いた。
◎役に立たねば、粛清される。
◎石山本願寺、退城。 『信長公記』
◎信長は、執念深い。 『信長公記』
◎蛛の子をちらすが如く。 『信長公記』
◎伽藍炎上。 『信長公記』
◎信盛の油断である。 「多聞院日記」
以上。
今後とも、よろしくお願いたします。
20240115
NEW!!
目次 が更新されました。
これで、全体像がよくわかる!!
毎日更新!!
原因・動機の究明は、この一歩から!!
重要 ◎目次 が更新されました。
「本能寺の変」
原因・動機は、この中にあり!!
ご注目下さい!!
見えてきたもの 目次 が更新されました。
これで、さらに、一歩、近づいた!!
ご期待ください!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?