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よりみち読書録

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記事一覧

「PLUTO」AIと感情

修士論文を書かなければいけないのに、ふとしたことからNetflixを開き、手塚治虫と浦沢直樹の「PLUTO」を観だしてしまった。しかもこれが非常に面白いというか、生成AIもなかった時代の人がこんな話が作れるのか、と思うくらいで、これは絶対観た方が良いと思う。

ロボットと人間が共生している時代の話なのだが、元々はロボットは人間の召使として開発されてきた名残のようなものもあり、今ではロボットにも人権

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ヤマザキマリ 壁とともに生きる

この本はテルマエロマエを書いた漫画家のヤマザキマリが、自身が貧しい芸術家だった時代に読み耽っていた安部公房の作品について、当時の作者と自分の境遇を重ねながら、説明していくものだった。

僕自身も一時期安部公房の作品をいくつか読んでいたことがあって、中学の時の読書感想文を赤い繭で書いた記憶がある。一番最初に読んだ新潮社の「壁」の第三部にある作品である。

自分が今ちょうど就職をしようとして就職活動な

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トラウマと、私の中の小さな他者たち

最近「トラウマによる解離からの回復」という本を読んでいる。

なぜ気になったかといえば、外の人からは「悟っていて」親切そうにみられていても、近親者からは不躾で、横暴だと思われていたりする、といった内容や、頭痛、激しい眠気、ガチガチになって上がった右肩、人と親密になりすぎることを拒絶する、人を理想化して失望する、人の表情を常に窺ってしまう、などといった傾向が、自分の傾向や、今悩んでいる症状にとても似

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女性差別?男性差別?

ジェンダーに関する問題というのは話を聞くたびになんだかよくわからなくなってしまう話の一つである。

基本的には今の世の中では男性が優位な構造になっていて、女性は不当な不利益を被っており、それを是正していかなければならないというスタンスで語られる。まず最もよく言われるのは仕事に関することで、男性の方が働く機会も多く与えられ、地位や収入も高くなりやすいということが問題であり、女性差別であるということが

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暇と退屈の倫理学と勉強の哲学

別にたくさんの哲学書を読んでいるわけではないので勝手なことをいうのは恐縮なのだが、上記の二冊、つまり暇と退屈の倫理学と勉強の哲学の論にはかなり類似した構造があるように感じた。

まだ全部読んではないのだが、暇と退屈の倫理学は、人は勉強していくことによって自らの環世界を広めることができるが、それをし過ぎてしまうことによって可能性が過大になり、興味が分散してしまって退屈してしまう、ということであっただ

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環世界間移動能力とソフトウェア

「暇と退屈の倫理学」は面白いので読んでいると書きたいことがたくさん出てきてしまう。

ユクスキュルの環世界論は有名なことと思う。簡単に言えば各々の生物は異なる世界の知覚の仕方をするので、そこに現れる世界というのも根本的に各々に異なっている、ということである。

そしてこの本では動物も人間もそれぞれの環世界の中にいることには違いないが、そのありかたはかなり異なっているという主張がされていた。人間は数

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暇と退屈の倫理学 第五章を読んで

定住革命についての記述まで読んでからすっかりほったらかしていたのだが、ようやく第五章を読んだ。ハイデッガーの退屈論までを読んで、たしかに最後の結論を除けば素朴に同意できる内容だと思った。

僕は人がどうしてスポーツをするのだろう、と考えたことがある。例えばサッカーにはルールがあり、カゴにボールを入れたら一点とかなんとかって決まっているわけだが、実際にはカゴに球を入れたところで誰の為になるわけでもな

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私の100冊

自分のお気に入りの本を記録しておこうと思う。
まだ100冊には満たないけれど、少しずつ足したり入れ替えたりしていって、最後にはこの100冊が自分の頭の中の図書館を代表している、といえるものが残っているといいなあ。

1.堕落論 坂口安吾
2.青春論 亀井勝一郎
3.人間の土地 サン=テグジュペリ
4.原初生命体としての人間 野口三千三
5.斜陽 太宰治
6.痴人の愛 谷崎潤一郎
7.白痴 ドストエ

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延長と否定の創造力

クリエイティブ、という単語はあまり好きではないけれど、人間にはやはり創造力、と呼ばれるものがあって、新しいなにかを作りだせることは日々を彩るためにも必要なことであるようだ。

定住革命という話があったが、やはり同じ場所にいつも住み、安定した社会があるからこそ、その退屈を紛らわすためには何か刺激が欲しくなるだろう。

そうして出てくる需要に応えて、なにか新しいものを作る方法には、なんとなく二つの源泉

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「楽しむ」ときの語彙の無さについて

近年の、ネオリベラリズム的な、進歩主義的な考え方に対して、いわゆるスローライフ的な、目の前のものに対してゆっくりはたらきかけたり相互作用したりするようなことというのは流行っているし、魅力的に思える。
特に農業や、キャンプや、陶芸、裁縫、料理など、実際に手でものをつくるような、手応えの感じられることである。

しかし、こういうものを勧める人の言うことをきいていて気になるのが、その際の語彙がなんだか少

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情報「空間」の可能性について

「暇と退屈の倫理学」を読んでいて、定住革命というものから退屈の起源を説明する議論があった。これは、もともと遊動的、つまり様々な土地を移動しながら狩猟採集をして生活していたところから、気候、環境の変化などの理由から定住を強いられ、その結果新しい場所へ移動し、そこに慣れることを繰り返すという日常的な刺激が失われ、人々は退屈するようになった、ということである。農業などの生産システムの革命は定住革命の結果

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生きる 息をする

かなり体に不調を来している今日この頃である。なんとなく身体中が痛くて、いつも何かに責められているような心持ちだ。心が焼けている感覚。

でもこれはなぜこうなっているのだろう。なにかがきっとずれてきてしまっているのだ。

僕には、安心や自信が欲しいという気持ちがあるみたいだ。そしてそのために、色々なことを成し遂げようとしたがる。何かを成し遂げればきっとこの不安や自己嫌悪がなくなると考えて一時的に気を

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土のがっこう 農業はあたらしい

なんだか農業ってかっこいい。ベテランの人じゃ植物のことや土のことなんかがよーくわかっていて、自然と調和してる感じがして羨ましい。でもその影にあるのは毎日の単純作業を少しずつ改善していくたゆまない努力だったりしてなおのこと渋い。

Spectatorという雑誌の、つちのがっこう、を読んだ。知らなかったが、日本では比較的土に関する教育というのは少ないようだ。経済成長に合わせて減ってきたのである。もっと

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ゲイジュツとか、ケンチクとか

世の中にはゲイジュツとかケンチクとかと呼ばれるものがあって、ゲイジュツカや、ケンチクカと呼ばれる人たちが、いかにもこれが新しくてよいものだ、という風に自分の作ったものを出してくる。

たまにこれはよいなあとわかるものもあるけれど、ほとんどなんのこっちゃわからないものも多い。それが下手に権威のある人のものだったりすると、なんとなくそう思っちゃいけないような気になったり。

きれいなものや、気持ちのよ

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