女性差別?男性差別?

ジェンダーに関する問題というのは話を聞くたびになんだかよくわからなくなってしまう話の一つである。

基本的には今の世の中では男性が優位な構造になっていて、女性は不当な不利益を被っており、それを是正していかなければならないというスタンスで語られる。まず最もよく言われるのは仕事に関することで、男性の方が働く機会も多く与えられ、地位や収入も高くなりやすいということが問題であり、女性差別であるということがよく言われる。

言っていることはわかるのだが、普通に考えてこれってそんなに男性が得をしているのだろうか。同じ働きをしても報われにくいというのが不当なのはわかる。しかし男性はとにかく働いて、なるべく高い地位につくことを期待され続けて、力仕事はするわ、デートのお金も多く払うわ、男は男で散々じゃないかと思ってしまうのだけど。また結婚している場合には、いくら夫が多く稼いでいたとしたって必ず夫の方が自由にお金を使えるわけではない。働いている時間が長いのでそもそも余暇も限られている。お小遣いの裁量が妻の方にあることなんてザラだろう。少し前まで女性が当たり前のようにアッシーメッシーとか言ってお金を出させ、また結婚に際しては玉の輿を狙っていたということはすっかり棚に上げて、歴史的に女性だけが損をし続けてきたというのはあまりに馬鹿げている。

また、もっと言えば男性が権力を握りやすかったのは結局のところ戦争があったからではないだろうか。いざとなったときには命を投げ出す覚悟をするのが男であり、その命を担保にして男は社会的な地位を持っていた。ある意味では持たされていたと考えることもできるだろう。日本でもつい80年前まで男であるというだけの理由で当たり前のように真っ先に徴兵され、命を捧げることを強制されたのである。しかも自分から喜んでそうするかのように。この性差別に依って今まで夥しい数の男性が不当に死んできたはずである。僕はこのこと以上の性差別が他に簡単に見あたるとは思えない。これは完全に男性差別であったはずだ。

もちろん僕は女性差別がなかったと言いたいわけではない。僕が言いたいことは女性差別と同時に、男性差別も社会には深く根ざしており、それが絡み会っているからこそ社会はそれらを含んだまま存続してきたのではないかということである。女性差別と男性差別が両方同時に存在してきたからこそ、それらが微妙なバランスを保って残ってきてしまったのではないか。

であるからして、男女の不均衡について考えるときには、女性差別ということを言うだけでなく、同時に男性差別についても考える必要があるし、女性学と言うものだけでなく男性学も同様に研究されるべきであると思う。また、男性と女性の不均衡というものは歴史的にみても戦争という安全保障上の問題が深く根ざしていたような気がするので、それを改善していくにあたってはいざという時に男女の両方が同様に徴兵され、同様の部隊に配属される必要があるし、また日本では自衛隊に所属する男女を同数にするなどといったことについても当然検討する必要が出てくるはずであると思う。

女性学による主張を聞いたときに、良心ある男性ならおそらく、少なくとも部分的には内容に同意すると思う。しかし、なんだか納得のいかない部分があっても、ある意味「男らしさ」に依って、それをそのまま受け入れてしまうということがあり得そうに思う。そういった時に、男性の側からもしっかりと男女不平等に目をやり、また男性の側が被ってきた不利益についても「男らしさ」に依ってなかったことにするのではなく、考察し、主張するべきだと思う。

しかしこういった男らしさや女らしさについての問題は、心の中のことで顕在化しづらいのでより改善は難しいような気がする。女らしさが強制される、ということが問題になることは随分多くなったようだが、男らしさが強制されることについて正面切って語られることはあまりにも少ない。同世代の友人の話を聞いていたりしても男らしい、という単語が口にされなくなっているだけで、男らしさによる男性についての価値判断というのは、今も確固として存在しているように感じる。これがなくなる日が来るとは正直思えないのだけど、どうなのだろうか。男性は今でもなんらかの形で仕事で成功するのが必須のように思われている。今の現状は、仕事に成功した上でしかも自由な思想を持っているのがかっこいい、という二十苦である。また女性がズボンを履いていても今時何も思わないが、男性である僕がスカートを履いてその辺を歩いていたら、変質者と思われるか、少なくとも女装家だとは思われるわけで、男性のファッションとして認められることはない。そしてこのことは当たり前のように思われている。

そもそも男らしさ、という価値観は、胸のうちから無くさなければいけないものなのだろうか。少なくとも僕について言えば、例えばピンク色のフリルがついたものを自分のものとして持ったりするのは気が引けるし、誰かが仕事を引き受けなきゃいけないというときに、男らしく引き受けるか、というような感情がわく時もある気がする。これに似た価値観は少なくとも自分の一部を構成しているし、これをなくすことができるとも思えない。僕は自分を含めて男性を縛り付けているものはあまりにも多く、また根が深いように感じてしまっている。

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