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図書館司書の短編小説紹介

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図書館司書として多く本を扱って来た中で、一人でも多くの方と楽しみや感動を共有したいと感じた短編小説を紹介しています。
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#読書感想

「昼の花火」山川方夫著:図書館司書の短編小説紹介

「昼の花火」山川方夫著:図書館司書の短編小説紹介

 真夏の昼下がり、主人公は四つ年上の女性と母校の高校野球の観戦に向かう。
 野球場の席に腰を下ろした時、彼はふと今隣に座る女性と参加した、花火大会の夜に見た光景を思い出す。
 あるビルの屋上から、外国人の幼い少女が夜空に咲き乱れる花火に向けて手を振り、大声に叫んでいる姿があった。
 成人した後まで、彼女はこの夜のことを覚えているだろうか、と彼は考える。大人になった彼女は、花火のことは覚えていても、

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「麒麟」谷崎潤一郎著:図書館司書の短編小説紹介

「麒麟」谷崎潤一郎著:図書館司書の短編小説紹介

 聖人が世に生まれる時、伝説の聖獣である「麒麟が現れ、天には和楽の音が聞えて、神女が天降った」という。
 その聖人こそ、本作の主人公孔子だった。
 旅の途上で彼は衛の国に立ち寄り、その君主霊公と治世について語り合う。
 霊公は、孔子の教えにより理想の政治について心を傾け始めた。
 けれど、霊公の南子夫人は贅を尽くした料理や酒、宝玉や稀少な香、また酷刑を施される罪人の姿により孔子を惑乱させようとする

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「マッチ売りの少女」(講談社文芸文庫『性の根源へ』所収)野坂昭如著:図書館司書の短編小説紹介

「マッチ売りの少女」(講談社文芸文庫『性の根源へ』所収)野坂昭如著:図書館司書の短編小説紹介

 ホストに貢ぐために体を売ることを厭わない。
 そんな女性たちが新宿の大久保公園に、立ちんぼとして集まっているという。
 中には、月に百万円以上稼ぐ人もいるという。
 日本では、売買春が売春防止法という法律で禁じられているので、捕まれば罰金もあるし懲役もあるし前科も付く。
 でも、そういった方面に疎い自分でさえ知ることになったというのだから、もはや公然と売買春が行われているといっても過言ではないと

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「刺青」谷崎潤一郎著:図書館司書の短編小説紹介

「刺青」谷崎潤一郎著:図書館司書の短編小説紹介

 誰も彼もが外見の美しさを求め、「すべて美しい者が強者であり、醜い者は弱者であった」時代の物語。
 美を追求するあまり、人は自らの肌に絵の具を注ぎ込むまでになった。つまり刺青だ。
 主人公の清吉は、腕ききの刺青師で、奇警(=奇抜)な構図と妖艶な線とで名を知られていた。
 そして彼は、客が肌に針を刺される時に呻き声を発するのを聞いて、「云い難き愉快」を感じる嗜虐趣味の持ち主だった。
 その清吉には、

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「鯉」火野葦平著(講談社文芸文庫『自然と人間』所収)火野葦平著:図書館司書の短編小説紹介

「鯉」火野葦平著(講談社文芸文庫『自然と人間』所収)火野葦平著:図書館司書の短編小説紹介

 筑後川で鯉を素手で捕まえ、それを見世物にしている名人があった。
 土地の大地主である佐々木の旦那が、小さな頃から水練と漁が好きだった彼の技術を職にまで引き上げてくれたのだ。
 そのお蔭で彼は、死んだ父の借金を返し、家族を養うこともできた。
 戦前の観客は、趣味人や数寄者といった裕福な人が多く、彼は誇りを持って漁をしていた。
 けれど、戦時中は威張りかえった軍人や役人の観覧に供せられ、そこに言語を

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「木乃伊」中島敦著(ちくま文庫『中島敦全集1』所収):図書館司書の短編小説紹介

「木乃伊」中島敦著(ちくま文庫『中島敦全集1』所収):図書館司書の短編小説紹介

 波斯王が埃及に侵攻した時、武将の一人であるパリスカスの様子に異常が見えた。
 「見慣れぬ周囲の風物を特別不思議そうな眼付で眺めては、何か落着かぬ不安げな表情で考え込んでい」たという。
 彼は、「今迄に一度も埃及に足を踏入れたこともなく、埃及人と交際を持ったことも」ないのに、埃及軍の捕虜たちが話す言葉の意味を分かるような気がするのだった。

 波斯王は侵略を決定的なものとするために、埃及の先王ア

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「地獄変」芥川龍之介著(新潮文庫『地獄変・偸盗』所収):図書館司書の短編小説紹介

「地獄変」芥川龍之介著(新潮文庫『地獄変・偸盗』所収):図書館司書の短編小説紹介

 地獄とはさもこのようであろうかと、そこに堕とされた罪人たちの責め苦と彼らを苛む奈落の獄卒たちの残忍さ、そして何よりも牛車ごと紅蓮の業火に包まれる女房の悶え苦しみを写し取った一隻の屏風。
 本作は、絵師良秀がその屏風「地獄変」を完成させるまでの経緯を描いている。
 見せ場は、良秀が屏風のあらましは出来上がったものの、「唯一つ、今以て私には描けぬ所がございまする」と、絵の注文者である大殿に上申したた

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「人形」小林秀雄著(文春文庫『考えるヒント』所収):図書館司書の短編小説紹介

「人形」小林秀雄著(文春文庫『考えるヒント』所収):図書館司書の短編小説紹介

 本作は、ほんの三ページの小随筆に過ぎないのだけれど、もっとずっと長い、上質の小説を読んだ時のように、余韻がいつまでも胸にこだまし続ける作品だ。 

 著者が、急行の食堂車で遅い夕食を食べていた時のことだ。四人掛けのテーブルの前の空席に、「六十恰好の、上品な老人夫婦が腰をおろした」。
 その夫人は食事の間、垢染みた顔の人形を横抱きにし、「はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き

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『海がきこえる』氷室冴子著(徳間書店):図書館司書の読書随想

『海がきこえる』氷室冴子著(徳間書店):図書館司書の読書随想

 この本は、今まで何度読み返したことか。爽やかな青春を追体験でき、読了したそばから、また再読できる日を心待ちにするほど好きな本だ。
 はじめて読んだのは、私が高校三年の時。物語は主人公が大学に進学し、それからの一年と高校二年の時に転校して来たヒロインとの関わり合いを思い出す形で進んでいくので、まさに自分と同年代の話と言えた。
 ただ、私が通っていた学校は男子校だったので、同じクラスに女子がいるとい

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「夏のアルバム」(講談社文庫『随筆集春の夜航』所収)三浦哲郎著 :図書館司書の短編小説紹介

「夏のアルバム」(講談社文庫『随筆集春の夜航』所収)三浦哲郎著 :図書館司書の短編小説紹介

 本作は短編小説ではなく随筆なので、短編小説案内としては番外編となるのだけれど、一読してふと思い出されることがあった。

 この小文の中で著者は、幼い時に祖母が亡くなった折、棺桶の中に向かって笑顔を送った、と書いている。
 こちらが笑い掛ければ、白い花の中の祖母も目を覚ますだろうと考えたのだ。
 幼さのために時宜を得ず、場違いな行動をとってしまったことは、おそらく誰にも経験があると思う。
 そし

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「ランゲルハンス島の午後」村上春樹著(新潮文庫『ランゲルハンス島の午後』所収):図書館司書の短編小説紹介

「ランゲルハンス島の午後」村上春樹著(新潮文庫『ランゲルハンス島の午後』所収):図書館司書の短編小説紹介

 ダッフルコートにしろ、革ベルトの腕時計にしろ、リュックサックにしろ、かれこれ十五年以上は同じものを使い続けている。
 元々それらに格別な思い入れはなかった。その時々で、「あ、これいいな」と思ったものを、価格以外はそこまで念入りに調べることなく財布をはたいて手に入れてきた。
 布がほつれたり、型が古くなったり、壊れたりしたら、仕方なく買い替えることになるのだろう、と思いながら。
 けれど、数少ない

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