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「鯉」火野葦平著(講談社文芸文庫『自然と人間』所収)火野葦平著:図書館司書の短編小説紹介

 筑後川で鯉を素手で捕まえ、それを見世物にしている名人があった。
 土地の大地主である佐々木の旦那が、小さな頃から水練と漁が好きだった彼の技術を職にまで引き上げてくれたのだ。
 そのお蔭で彼は、死んだ父の借金を返し、家族を養うこともできた。
 戦前の観客は、趣味人や数寄者といった裕福な人が多く、彼は誇りを持って漁をしていた。
 けれど、戦時中は威張りかえった軍人や役人の観覧に供せられ、そこに言語を絶する苦痛を感じたという。
 それでも、戦後に比べるとはるかによかったのだ。
 
 赤紙を受けて中支(中部支那)に、後に南方に動員された彼は、戦役の中で殺し殺されるという状況の中、鬼となった。
 ビルマで捕虜となり、終戦後にやっと生還した彼を待っていたのは、母が空襲で焼死し、妻が村の男と蓄電してしまったとの知らせだった。
 「昔ながらの筑後川の流れ、青々とした淀み、淵、瀬、河底の砂のいろ、石垣、岩、網代、杭、そして、魚たち、なにひとつ変っているものはない」。
 けれど、心に傷を負った彼は、この川底が、あの戦場へと「一直線につづいている」と感じてしまうのだった。
 
 戦後、彼は仕事を再開したものの、戦地で鬼となり殺戮をしたものとしての自覚なくしては、鯉を捕ることができなくなってしまっていた。その罪の意識ゆえに、彼は鯉の「どうして罪もない私を捕えるのですか。捕えて殺して食うのですか。平和な生活を楽しんでいる私を暴力をもって襲撃するあなたは悪魔だ、鬼だ。捕えないで下さい。殺さないで下さい」との声を聞き取ってしまう。
 自身でも馬鹿げていると思いながら、なお鯉たちの声は彼の耳に響くのだった。
 けれど彼が心より苦痛に感じたのは、「私たち祖国を敗北させた敵兵」である進駐軍の兵隊が客として来たことだった。
 川の底に沈んだ時、彼は「戦地でポツダム宣言受諾を聞かされたときにはそんなに感じなかった敗北感のみじめさ怖ろしさというものを」、「さらにはげしく身ぶるいする思いで感じはじめ」たのだった。
 そして、その「みじめさ怖ろしさ」は、十二歳の息子が、「親父の腰抜け、敗けた敵兵に媚を売る見世物師になるなんて……」との言葉を残し、家出してしまった時に頂点に達する。
 以後も彼は、自分の才を見出してくれた恩人であり、雇い主でもある佐々木の旦那の「精巧な機械」、「美しい奴隷」として働き続けたが、ある日の漁で決定的な事件に遇ったことで見世物になることが嫌になり、無断で村をとびだしてしまう。
 けれど鯉を捕ることしか知らない彼は、また村に、そして村の生活に戻って行くのだった。日々が地獄なのだとの自覚を持ちながら。
 
 ここに描かれているのは、戦争で傷付き、傷付いた心がさらに自らを傷付けるという救いの見えない無間地獄だ。
 主人公の心情に思いを馳せれば、読むほどにつらい気持ちになる。けれど私が本作で一番印象的だと感じたのは、縷々綴られた鯉捕りの主人公の苦しい生ではなく、最終行にある佐々木の旦那の描写だった。
 新聞の郷土自慢の特集記事で、鯉捕りの主人公が日光の下、端正な裸体を晒す横で、旦那の姿は「妙にしょんぼりと影がうすく見え」たとある。
 旦那は「戦争中は米英撃滅の急先鋒」であり、「終戦後は日米親善の首唱者」となった。「時代というものに無要な抵抗をしない主義」なのだ。
 世渡り上手と言ってしまえばそれまでかもしれない。語り手である主人公も、「定見がない」、「便乗者」、「オポチュニスト」(=日和見主義者)と言っている。
 この生き方は巧みであり、身を守る役に立つだろうが、少なくとも私には魅力的には映らない。といって、それが悪いとも言い切れない。そう言い切れないことにわだかまりが募るのだけれど。
 鯉捕りの主人公と、その主人とを写真の中で対比させたことに、著者の作為があるだろう。
 前者は胸の内に、忍耐、混乱、苦痛を抱えながらも陽光の下で明るく存在感を放つ。
 一方後者は、力を持つがゆえに大した逡巡もなく時代の潮流に乗るだけだった。
 当然ながら時代の波に上手く乗ることも、それなりの苦労はあるに違いない。けれど鯉捕りの主人公が持つような無間地獄の苦しみとは到底比較にならない些少なものだろう。
 苦しむべき時に苦しまず、悩むべき時に悩まない。そうした人間の幅の薄さを、写真が「影がうす」い者として写し出したのだと思われる。
 
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