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18歳、恋に受験に敗れ、祖母にこぼした「生まれなきゃよかった。」
前回は、中高時代の話。父の元を離れ、母による僕の"私物化"が始まったこと、その束縛から逃げるように祖母に助けを求めるまでのいきさつについてでした。今回はそんな祖母との思い出、そして人生最大の後悔でもある、僕が祖母に吐いた弱音「生まれなきゃよかった。」について話していきます。
祖母が、助けに来てくれた。
「ばあちゃん、お母さんが、おかしくなっちゃった。」
母はもともとヘビースモーカーで、
15歳、父を"捨てる"ための高校受験。
前回は、幼少期の父と僕の関係性についての話でした。今日は父と僕が別々に暮らすことになった、高校受験の話から始まります。
高校受験、僕と母の共通目標。
中学3年生。僕は人生で初めての受験生になりました。
地方の田舎町。中学校も街に1校で、1学年に3クラス。小学6年生から北海道大学を目指していた僕は、高校から札幌へ引っ越し、進学校に通うべく毎日受験勉強をしていました。
同じ志望校の友達
幼少期、気づけば僕は父が嫌いになっていた。
前回、僕が機能不全家族のなかで育ったという話をしましたが、今日は父との関係性をメインに、幼少期の話をしようと思います。
実は、父が好きだった。
本当に自分が小さかった時、2歳とか3歳の頃、自分は結構父親を好いていた記憶があります。一緒にお風呂に入ったり、おもちゃで遊んだり、いまも現役で大工の父は、当時子育てに張り切っていたようで、倉庫にある廃材を集めて特製の車を作ってくれました。ホームビデ
"いばしょ"が無かった、21歳までの僕へ。
いままであまり書くことがなかった、僕の過去について語ってみようと思います。読むかたによってはトラウマを想起させるような内容になるかと思うので、無理のない範囲で読んでいただけたらと思います。
僕の、〈かぞく〉。
実は自分は、21歳になるまでいわゆる機能不全家族とよばれるような家庭の中で育ちました。機能不全家族とは、家族の誰かが依存症や虐待などの問題を抱えていて、健全な関係を築けないような状態
受験生が、僕に教えてくれたもの。
――2月20日、火曜日。
彼は、大きな夢を一つ叶えた。
一人の中学3年生が、自らの手で合格をつかみ取った。
家庭教師として僕は、ほぼ3年間、その姿を見守り続けてきた。
この経験をいつまでも心に留めておくために、いまの気持ちをここに残そうと思う。
中学1年生と家庭教師1年生3年前の2021年夏、当時まだ大学3年生だった僕は、集団塾講師のアルバイトを辞めたばかりだった。
なんとか自分の力で稼げる
ポジティブ思考を手に入れたい!
こんにちは、あっしぃです。
暑いねー💦もう嫌になっちゃうね。
僕は25℃を超えると溶け始めちゃうので、
一生北海道から出られないかもしれないと思ってます。笑
さぁ、そんなテロテロのあっしぃから質問なんですが、
あなたはポジティブ思考の持ち主ですか?
おれの友だちで、
「うん!超絶ポジティブー🎵」
って答えたひと、1人ぐらいしか見たことない。爆笑
みんななにかしら悩むし、なにかしらも
仲間とジブンのやる気を引き出す — 僕がLGBTQサークルで得た学び
みんなはバイトやサークル、お仕事に対する自分のモチベーションを意識したことがありますか?
Ⓐ好きなコトに熱中できる、カリスマ派の人!
Ⓑ仲間と一緒に楽しみたい、仲間想い派の人!
Ⓒこれは仕事と割り切って淡々と取り組める、働きアリ派の人!
Ⓓん~。おれはもう思いつかんけど、それ以外の派の人!
モチベって人それぞれだし、いざって時にわいてこないもんですよね…😅
きょうの記事は、
自分ひとりで
頼り上手、甘え上手になりたい!!
人を頼ることってすっごい難しくないですか…?
僕は22歳になったいまでも人に頼るのは下手で、
「俺の弱みなんて誰が見たいねん💦」って思いつつ、
自分が無力すぎて結局頼りっぱなしになっちゃうことが多いんですよね
でも、このまえ友だちと話していて
「あっしぃは大学1年のとき誰にも頼れない人間だったのに、最近はほんと頼り上手になったよね」と言われ、
「そうだ俺には誰にも頼れなかった時期さえあった