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みんなは同性婚、したいですか?

先日、大阪の判決が出ましたね。
興味があるかたは、ぜひいろんな新聞記事読んでみてくださいね。

自分が暮らすまち札幌では1年前に地裁が、同性婚制度をつくるよう行政につよく求める判決を出しました。(ざっくり言うとね)
それだけに、今回のぬるーんとした判決には、個人的にも考えさせられることはあるのですが…。

この訴訟の論点って、みなさんどこにあると思いますか?
「同性婚ができること」そのものがLGBTQの一番求めていることなのかな。

ゲイのあっしぃ個人が思う答えは、実はノーです。

本当に求めているものは、
「この社会にいてもいい」という感覚?

もちろん、人生のなかで「結婚」という選択肢ができる幸せを、切に願う同性愛者はたくさんいると思います。自分もその一人です。

ただ「同性婚制度ができても結婚するつもりがない」というLGBTQ当事者も僕はそれなりに見てきました。

それでもたくさんの当事者たちがこの訴訟を見守っている理由。
僕が思うには「同性婚が認められれば社会がLGBTQ当事者の存在を認めた」というメッセージになるからだと思っています。

「『同性どうしで恋愛をする人がこの社会にはいる。LGBTQが存在できる社会をつくる必要がある』というメッセージを、裁判官や政治家の言葉で発信してほしい」という当事者たちの思いを感じます。

自分を包み込んでくれるあたたかい場所

急に話題は変わりますが、みなさんは「ぬくもり」を感じる人、もの、場所、ありますか?なにを思いうかべますか?

その答えのひとつとして「恋人」があるんだと思います。

恋人のぬくもりとは、ある人にとってはココロのぬくもりであり、そしてある時にはカラダのぬくもりなのかもね。(ちょい直接表現でごめんね)

でも実は、そのぬくもりは2人だけで作られるものではなく、社会がぬくもりを守ってくれている側面もあるのかなーなんて僕は最近思います。

カップルを応援してくれる周囲の友だちがいて、
恋人の実家へ挨拶に行けば「うちの娘を(息子を)どうぞよろしく」と言ってくれるご両親がいて、
婚姻届を出せば「おめでとうございます」と言ってくれる役所の職員さんがいる。

セクシュアリティを理由に社会的な心細さを感じやすい同性愛者にとって、これらすべての「社会的ぬくもり」を手に入れることは、とても難しい環境にあると感じます。

「生きていていいの?」という真剣な悩み

この時代にもなってLGBTQを差別する人は少なくなったとはいえ、
「LGBTQのひとが社会で生きていていいよね」というポジティブなメッセージを言葉にしていくことがまだまだ必要なんだと思います。
否定もなければ肯定もない世界ならば、それはある意味で「LGBTQは存在しないものとして扱っている」ともいえるんじゃないかな。

セクシュアリティに悩みだした思春期の子どもは「果たして自分は生きていて本当にいいのか」ということを真剣に考え始めます。多感な年頃の子どもたちにとっては「空気のように扱われること」と「人格を否定されること」は隣り合わせだし、その感覚は大人になっても少なからず一緒です。

マジョリティがあたり前のように社会からの「生きてていいよ」を受け取っている一方で、社会的な肯定感を手に入れられないまま大人になった僕は、まるで命綱もないままに綱渡りをさせられているような感覚に襲われるときがあります。

大切な家族に「生まれてくれてありがとう」ってきっとみんな言われたいよね。
同じように「この国に生まれたら、いろんな人生ルートを保障するよ」って国に言ってほしいんだろうなと思ってます。

それでも社会が守ってくれないなら

自分にもし恋人ができたとして、ぬくもりを2人だけで守り抜くことは、ろうそくの灯を雨の日も風の日も守り抜くことと同じぐらい難しいことだと思います。

でもその灯を一緒に守ってくれる仲間や社会は、いまの日本では自分たちの力でつくりあげて手に入れるほかないんです。

異性愛者のみんなが、あたり前に友だちを作って、サークルで気の合う仲間をつくって、ある時には恋に落ちて、ぬくもりに囲まれて手に入る生活。
僕の人生にとってそれは一人の力で突き進める一つの壮大なプロジェクトの
果てに、ようやく手に入れられる一握りの幸せ
のようにも感じます。

だからこそ、自分は自分自身のちからでもぬくもりを生み出せたり、仲間と支えあってぬくもりを守り抜ける人間でありたいなと思います。

「僕がいるから生きていていいよ」
「みんながいるから自分も生きていていいんだ」
そういい合える関係性や社会のなかで自分は生きていきたい。

自分のなかにある「この夢をかなえたい」という思いが、
ぬくもりのある関係性や社会を自分で作ろうという熱意になっています。

社会が突き付けた課題と、希望

社会が守ってくれないなら、自分が自分を守るしかない。
これが、社会が現代のLGBTQに突き付けた課題だと感じます。

それでも「社会に期待できないから」と希望を見失わないでほしい。
自分たちの行動次第で自分の生きる世界はいくらでも自由になれる。
世界が変わるのを待つぐらいなら、自分が世界を変えてやる。
なかば真剣に、ひとりそんなことを考える22歳、初夏の夜。

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