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#思想
法界と共鳴しつつ生きていることを知る -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(9)
中沢新一氏の『精神の考古学』を読む。
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私たちの「心」は、普段、あれこれの物事を、
好き/嫌い
損/得
うまい/まずい
良い/悪い
ある/ない
うち/そと
容器/中身
などと分けては、
「あちらではなく、こちらを、絶対に選ばなければならない」
という具合に働いている。
「好きなものだけを選びたい、嫌いなものは選びたくない」、「安くてもまずいものは食べたくないが、高くて美味いものも食べ
暗黒瞑想 宇宙/非宇宙分節以前の”法界の根源的脈動”と微かに共振するアンテナとしての”わたし”へ -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(8)
中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。
松岡正剛氏が『空海の夢』で「仏教の要訣は、せんじつめれば意識をいかにコントロールできるかという点にかかっている」と書いている(松岡正剛『空海の夢』p.23)。
意識をコントロールする例えば、私たちが迷い苦しむのは、自/他、生/死、清/濁、光/闇、などと二つに分けて、そのどちらか一方だけを自分ものにしようとこだわり、他方を遠ざけておこうこだわるから、
如来蔵・曼荼羅・色即是空空即是色 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(6)
中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。
精神の考古学。
私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか?
心の動きの全貌を観察するために、表層の分別心だけに依るのではなく、「セム(分別心)を包摂する(深層の)無分別のセムニー」でもって、目の前に浮かぶあれこれの事柄(諸法)を見て、その「意味」をコトバでもって説く。
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表層の分別心の道具としての言葉は「あちらか、こちらか」「
潜在眼で心の深層を「見る」/卵の殻としての言語 -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(5)
中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。
精神の考古学。
私たちの「心」は、いったいどうしてこのようであるのか。
私たちが日常的に経験している「心」は、よい/わるい、好き/嫌い、ある/ない、真/偽、結合している/分離している、同じ/異なる、自/他、といった二項対立を分別するようにうごいている。通常「心」というと、こういう識別、判別、判断を行うことが、その役割であるかように思われている。
分別する眼と無分別の眼を共鳴させる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(4)
中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。今回は、第五部「跳躍(トゥガル)」を読んでみよう。「トゥガル(跳躍)」とは、「青空と太陽を見つめる光のヨーガ」である(p.175)。
「光」を「みる」、視覚のモデルこのヨーガを修することで、あるとても不思議な「光」を「みる」ことができるようになるという。
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通常、「見る」といえば、感覚器官である「眼」に「外界」からの「光」が「刺激」として入力され
執着の源である”言語”を「心の解放」のために転用する -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(3)
中沢新一氏の『精神の考古学』を引き続き読む。
『精神の考古学』 第五部「跳躍(トゥガル)」の冒頭、中沢氏は師匠から授けられた言葉を紹介する。
ベスコープというのは映画のことである。映画を見るのはとても楽しい体験である。感情を喚起され、いろいろなことを考えさせられる貴重な機会である。
中沢氏がネパールでチベット人の先生のもとで取り組んだ修行にも、「光の運動をみる」ヨーガが含まれている。このヨー
”心”の表層を剥がしていくと -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む(2)
ひきつづき中沢新一氏の『精神の考古学』を読みつつ、ふと、松長有慶氏による『理趣経』(中公文庫)を手に取ってみる。かの理趣経、大楽金剛不空真実三摩耶経を、かの松長有慶氏が解説してくださる一冊である。
はじめの方にある松長氏の言葉が印象深い。
苦/楽
大/小
何気なく言葉を発したり思ったりする時、「その」言葉の反対、逆、その言葉”ではない”ことを、一体全体他のどの言葉に置き換えることができるのか
詩的言語/サンサーラの言葉とニルヴァーナのコトバの二辺を離れる -中沢新一著『精神の考古学』をじっくり読む
しばらく前のことである。
「人間は、死ぬと、どうなるの?」
小学三年生になった上の子が不意に問うてきた。
おお、そういうことを考える年齢になってきたのね〜。と思いつつ。
咄嗟に、すかさず、大真面目に応えてしまう。
生と死の二項対立を四句分別する。
念頭にあるのはもちろん空海の「生まれ生まれ生まれて、生のはじめに暗く
、死に死に死に死んで、死のおわりに冥し」である。
こういうのは子どもに
中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読み始める
中沢新一氏の新著『精神の考古学』を読んでいる。
私が高専から大学に編入したばかりの頃、学部の卒研の指導教官からなにかの話のついでに中沢氏の『森のバロック』を教えていただき、それ以来中沢氏の書かれたもののファンである。また、後に大学院でお世話になった先生は中沢氏との共訳書を出版されたこともある方だったので、勝手に親近感をもっていたりする。
中沢氏の書かれるものには、いつも「ここに何かがある」と思
人類の”心”のアルゴリズムを解き明す神話論理×十住心論 -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(44_『神話論理2 蜜から灰へ』-18)
クロード・レヴィ=ストロース氏の『神話論理』を”創造的”に濫読する試みの第44回目です。
これまでの記事はこちら↓でまとめて読むことができます。
これまでの記事を読まなくても、今回だけでもお楽しみ(?)いただけます。
この一連の記事では、レヴィ=ストロース氏の神話論理を”創造的に誤読”しながら次のようなことを考えている。
則ち、神話的思考(野生の思考)とは、Δ1とΔ2の対立と、Δ3とΔ4の
象徴”以前”の三元論-中沢新一・河合俊雄著『ジオサイコロジー 聖地の層構造とこころの古層』を読む
中沢新一氏と河合俊雄氏による『ジオサイコロジー 聖地の層構造とこころの古層』を読む。特に「こころ(心)の古層」について考えてみたい。
これがこの本の冒頭に掲げられた問いである。
「こころ」のはじまるところ中沢氏は「こころ」(心)ということを”全体が均質に働くひとつのもの”とは考えない。「こころ」(心)には、いくつかの異なった働き方があり、それらがつながりあい、もつれあい、重なり合っている。
”心”の意味分節システムを発生させる鍵は”両義的媒介項”にあり -レヴィ=ストロースの『神話論理』を深層意味論で読む(13)
4歳になる下の子を保育園に送る途中のこと。犬が石畳の道を歩いていた。
犬の四本の足が、それぞれいそがしく宙に持ち上げられては石畳に降ろされる。そのとき、パタパタというか、パシパシというか、パラパラというか、冬の空気にぴったりな音がする。
その、わたしにとっては ”犬 の 足音” である音。
その音を聞いて、下の子がいう。
「足あとの、声がする!」
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足跡の声
私: 犬 / の / 足
意味分節理論とは(10) 分節と無分節を分節する ー意味分節理論・深層意味論のエッセンス 〜人類学/神話論理/理論物理学/人間が記述をするということを記述する
noteのシステムから当アカウントが「スキ」を7000回いただいているとの通知がありました。みなさま、ありがとうございます!
いったいどの記事が一番「スキ」をいただいているのだろうかと調べてみると下記の「難しい本を読む方法」がスキの数一位でした。
二年ほど前に書いた記事ですが、改めて読むとこの記事自体が難しいような気がしないでもないです。
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この記事の趣旨を煎じ詰めれば「分かる」とい
生命体としてのシンボル分節システム ー感覚、イメージ、シンボル、ことば
国立民族学博物館で開催された公開講演「イメージの脈動にふれる」をyoutubeで視聴しました(現在は非公開)。
基調講演は中沢新一氏の「眼とイマージュ」である。
中沢氏といえば、私もこのところ『アースダイバー神社編』を読み込んでいたところである。「イメージの脈動にふれる」も繰り返し再生して拝見しました。
講演の中で中沢氏は、人間の身体の内部から発生する”脈動”するイメージについて論じる。