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白い楓

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二人の殺し屋がトラブルに巻き込まれて奔走する話です。そのうち有料にする予定なので、無料のうちにどうぞ。。。
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#連載中

香山の3「職務質問」(06)

 こんこん、と手が助手席側の窓を叩いた。吸い寄せられるようにそちらを見る。スーツの袖であった。暗がりでは袖の色がよく分からないが、微かな街灯を吸い込む色であれば、黒か青のどちらか。手首を象るような白い袖口が見えた。カラーシャツである。もしや、明か。こんな時でもスーツを着てくるのは奴らしいとも思える。私は間抜けにも、その手の主が明だと信じて疑わなかった。
 私は何もしないで、手の主が他の部位を見せる

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明の5 「金色夜叉」(14)

 震えを抑えた私は、降りた駅のロータリーで香山のハチロクを発見した。顔面の傷をとやかく質問攻めにされるのだろう、と思い少し陰鬱な気分で車に近づいていった。iPhoneの時計を見ると、既に約束の時間を過ぎていた。早めにジムを出たのに、思わぬ障害を乗り越える必要があったことを説明せねばならないことも、私の気分をみるみる沈めていった。
 スキンヘッドのことを思うと、自分が死にかけた事実も連想され、怒りを

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香山の13「夏の魔物 Ⅱ」 (22)

「もしもし」
「お前が貫一か?」
「誰かね君は」
「香山という同業だが、そちらさんは名乗らないのかい」
「お前の言った通り、俺は貫一だよ」
 彼の声は、荒野に走る一本の道路のように平坦で、電話を取ったのが私であることにもさほど驚いていない様子であった。
「ということは、お宮はそこにいるわけかね。彼は、捕まったのか。計画はご破算というわけかね。ああ、そうかい。しかし俺はこの通り、まだ息をしている。と

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明の7「博多口」 (23)

 貫一は私との対面を隠蔽した。しかし、その理由は何なのか。彼が言うように、私がお宮を連れて博多口に行けば、お宮を奪還を試みるはずだ。
 貫一は駅構内に交番があるとは言ったが、その交番は駅構内の中心にあるわけではなかった。博多口の前にある広場の、極めて端寄りにあるために、駅の構内を見渡すことなどできはしない。そして、私も彼も、警察からの注目を好まないために、無理やりにでも貫一がお宮を連れ去ることは可

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明の8 「獣ゆく細道」(24)

 空港から博多駅はそう離れた場所にはない。香山が車を転がせばすぐに筑紫口に到着し、私はお宮とともにハチロクから降車した。逃げ出さぬようにお宮の肩に手を回して、強く握った。
 私の狡猾は、香山の加糖練乳よりも甘ったるい判断をあざ笑いはじめていた。それはじわじわと私の中に悪意を宿らせた。ちょうど、コーヒーに半紙を浸したような具合だ。
 計算だと? 冷笑が絶えないね。
 自分以外の存在が下劣と名付けるに

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明の9 「真夏の夜の匂いがする」(25)(和訳付き)

 博多口を出ようとした。
 出られなかった。気がつくと私は踵を返していた。間反対の、元いた筑紫口に向かっている。お宮が私を引き留めようとしたが、私は無視して肩をつかむ力を強めた。
 何かの判断を強いられたのだ。恐怖ではない、別の想念じみたものが私を動かしていた。踵を返したのは、誰もが経験するであろう無意識に組まれた考えの連なりからなる決断だった。歩きながら、私は自分の思考を見直した。
 私は次にと

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明の10「茜さす 帰路照らされど…」(26)

 貫一の狙いを見透かした私は、裏をかくためにお宮の同伴という貫一の要求を無視することにした。ハチロクの中に、お宮と残っていた。私は一人、博多口付近で、二人の出現を待つ貫一を見つけ、iPhoneを介して香山と会話をさせる手はずである。香山は筑紫口のロータリーにハチロクを停車し、私からの電話を待っている。
 動悸と眩暈を感じ、私は心底貫一との対面を望み、同時にそれを否定していることを認めた。再び筑紫口

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明の11「シドと白昼夢」(27)

 今一度私はAirpodsの位置情報を確認した。Airpodsは、マクドナルドの下にある。姿を視認すれば切りかかれるように、ホルスターのナイフに手をかけた。そして、整列する掲示板によっかかっている貫一を見つけた。ナイフに殺意を注入するところであったのに、私はそれができないことを悟った。気づけば、私は柄から手を離し、しきりに雑踏の中に貫一を探すかのようにあたりを見渡している。また、私は彼を視認して、

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貫一の1「ハニーポット」(28)

 脇腹を何度か刺されたので、血が出ていた。そのままでは生死にかかわるために、止血しながら私は紅葉を電話で呼んだ。移動手段を確保する必要がある。
 河原の道を外れた雑草畑の上で私は足をのばしていた。この時間は、福岡市から唐津方面へ向かう車が多く、いつまでも橋の上は混雑していた。ここ数日はずっと晴れていたが、土はまだ湿っていて、腰を下ろすのは心地のいいものではなかったが、応急処置を済ませるためにはこう

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明の14「積木遊び」(31)

 私は、肉体にとどまらぬ人の殺意を未だかつて見たことがなかった。あの拳は、確実に私を殺すつもりだったのか、いいや違う。彼の発言からも明らかなように、彼は私を殺すつもりなんぞ毛頭なかったのだ。彼は私の手で殺されることを拒み、自殺によって私から永遠に雪辱を奪ったのだ。あの拳に殺意があったようには思えない。死とは永続性をもつ概念であることを、私は心底味わされたのだ。果たして自分にそんなことが可能とは、思

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香山の16「ここでキスして。Ⅰ」(34)

 ふと私は、助手席に気配を感じた。車には一人ぼっちのはずだった。すなわち、私はその気配を無視しようとした。しかし、のっぴきならぬ心地がして、念のために左へ顔を向けた。

 女が座っていた。Kだった。遠くから見つけて、写真を撮った、あの女に相違なかった。彼女は、下を向いて座っていた。白いブラウスを着て、黒い短めのスカートを履いている。濃い色の苺を思わせる口紅は、少しの冒険心を表すような風情で、大変に

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香山の17「ここでキスして。Ⅱ」(35)

「『どうして泣いているんだい』
 俺は分かっていた。でも、違うと願いながら尋ねた。
『あんたのせいやろ、嘘ついて、お客さん入れて、あたしどんだけ暴言吐かれながらやったと思いようと? 何で、あたしだって自分がかわいいなんて思い上がっとらんし、周りの人の反応を見ればどげん風にみんながあたしに腹の中で評価を下してるかぐらい、見透かしとう。あたしせめて会話ぐらいは一流にしようと、頑張りよったんに。大体から

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香山の18「ここでキスして。Ⅲ」(36)

「私は田舎で生まれてね。田舎って、セックスぐらいしか楽しみがなくてさ。中学校でもう勉強とか、通うのとか嫌になっちゃって、高校へは行かなかった。でも、どうにかして高卒の資格は欲しかったから、通信制の学校を選んで都会に来た。一年に何回かしか学校に行かなくていいし、誰だって卒業できるしね。すると、色々楽しいものね。大体クラブに行けばその日の終電が無くなってもホテル代を出してくれる男が現れる。たった一晩、

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香山の19 「ここでキスして。Ⅳ」 (37)

「冥土産の、冥土の土産よ。自分の身を守るためにそのコルトガバメントがあるんでしょうに。このまま苦痛に耐えられると思って? 悔い改めても無駄だからね。人を殺して利潤を創出して、そんな人間に幸せになる権利はないわ。もうあなたは限界よ。早く死んだ方が無難だわ、そうね、あなたの言葉を借りれば、『合理的』よ。思い出して、あなたが見た死は、美しい観念のはずよ……」
 彼女は私の左側に座っているはずなのに、右耳

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