香山の13「夏の魔物 Ⅱ」 (22)

「もしもし」
「お前が貫一か?」
「誰かね君は」
「香山という同業だが、そちらさんは名乗らないのかい」
「お前の言った通り、俺は貫一だよ」
 彼の声は、荒野に走る一本の道路のように平坦で、電話を取ったのが私であることにもさほど驚いていない様子であった。
「ということは、お宮はそこにいるわけかね。彼は、捕まったのか。計画はご破算というわけかね。ああ、そうかい。しかし俺はこの通り、まだ息をしている。ということは当初の計画とは違うが、俺が一人でやるしかないわけだ。こちらも、生活がかかっているから、仕事はきちんとかたづけないといけないのさ。彼なら、もう煮るなり焼くなり、君達の好きにしたまえよ。ところで、明はいるかい。俺が殺す予定の男だが、いるなら代わってもらいたい」―彼は淡々と、階段を転げ落ちるボールのように喋った。
 彼には、同僚が拘束されていることが全く響いていないようだった。そんな彼の態度に私は意表を突かれたが、すぐに思い直した。人質としての価値がないと錯覚させようとしているのだ。そう判断した私は、彼をまくしたてた。
「お前はそれで俺を化かしたつもりか。分かっていないようだから、ご教授してやろう。強がりは、人の弱さの表れだ。お宮がお前の情報を吐いたら、どうするつもりなのか、お聞かせ願おうか。お前は、今俺達より不利な状況にいることを頭から抜かすなよ。彼に人質の価値がないとするのをよしとするやつがいるなら、そいつはおつむの弱い、間抜けだ。お宮をただで返すと思ったら大間違いってやつだぜ。いいか、お前はしっかり俺達の言いなりになるんだ」
 私は、強がりの件が、自分に向かって言っているような気がしてならなかった。
「そうきたか」貫一は考え込んで、続けた。「では、博多駅で落ち合おう。あそこなら駅構内に交番もあるし、お互いに安全だ。そして、お互いのためにお宮を連れてくるんだ」
「どういう了見だ。今の話をまるできいていなかったのか」
「お互いのため、と俺は言ったのに。俺達は、お互いに顔を知らないのだろう? どうやってお前たちを見つけろというのかね。俺は明に、まだ手をかけていないのだから」
「だからといって、直接面と向かって話す必要があるとは言えんだろうに」
「お前の言いたいことは分かるさ。それを承知で言っているんだよ」
「香山、こいつの言うことを真に受けることはない。俺は計算が苦手だがな、これは分かる。これは、何か企んでいる言い方だ」
 貫一から情報を把握していないことを指摘され、私は当惑した。
 そして明の助言通り、貫一の喋り口には余裕があった。しかし、彼の沈着の根拠たるものを説明できないままに、その喋り口だけで押し進んではならない。電話では言えないことがあるのかもしれない。私が電話ではなく直接対面することを望むのは、相手を圧倒し、説得したいとき。命が懸かるこの状況下で、そんな小細工が通じると見込んでいるようには思えない。
 ……盗聴か? 私は、いつぞや水商売をしていたときに通信会社の人間から教えられた、ほこりにまみれた知識を引っ張り出した。
 貫一の要請である対面を拒み、この電話越しのまま腹を割って話したとしても、彼の傍らで聞き耳を立てる人物がいる可能性がある。それが依頼人ならば、この交渉は何ら意味を持たない。さりとてその場にいなくてもその心配は消えないのだ。
 我々が3Gや4Gの回線を通じて電話をする際には、現在CDMA方式が主流のものとして採択されているが、これが少し傍受には厄介な仕組みを持っている。電波には指向性などという気障なものは備わっておらず、一つの端末からはすべての方向へ向かって電波が発信され、その端末から最も近い場所の電波塔を介している。端末はもちろんのこと、電波塔も同様にあらゆる方向へ(その基地局内に存在するすべての端末が受信するように)電波を飛ばし、通話の相手はその電波に付与された符号とSIMカードに保存されている符号を照合して、はじめて混在する電波の中から自分あての電波を発見した端末のみが通話することを可能にしている。すると、第三者がその基地局内に飛ばされる電波を受信するのみでは、ただの聞き苦しいノイズであり、それでこの通信方式は秘匿性を保っているのだ。
 つまり、かき集めた電波をもとにクリアーな会話を聞き取るためには、少なくとも二者のどちらか一方のSIMカード情報を入手し、自分の端末のSIMカードを偽装する必要がある。私は今までの人生でSIMカードを人に譲渡したことなどないが、貫一は今、依頼人の息がかかった状態だ。SIMカードを手渡している可能性は十二分にある。
 彼は、依頼人にSIMカードを渡しているのかもしれない。もとより私達を怨敵とみなし、個人情報まで得るほどの執念をもつ人間だった。そんな要求があっても不思議ではない。だとすれば、私が貫一に報酬の額を尋ねることは不可能だった。依頼人がその会話を聞いていれば、オークションさながらに額を釣り上げてくることは読める。こういう、請負殺人に金を使う人間の金銭感覚は常人からかけ離れているのだ。私達業者と、顧客のモチベーションには歴然とした差がある。
 お宮を同伴させるのであれば、彼がそのまま強奪される可能性があることも忘れてはならない。しかし、電話の傍受の危険、そして互いに顔の弁別が不可能となれば私か明のどちらかがロータリーにハチロクを停めて貫一に会うしかない。となれば、腕っぷしのたつ明をよこすのが、私の選択すべき最適な答えらしい。
「観念したよ。博多駅にいてくれ、明とお宮を行かせる」

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