明の10「茜さす 帰路照らされど…」(26)

 貫一の狙いを見透かした私は、裏をかくためにお宮の同伴という貫一の要求を無視することにした。ハチロクの中に、お宮と残っていた。私は一人、博多口付近で、二人の出現を待つ貫一を見つけ、iPhoneを介して香山と会話をさせる手はずである。香山は筑紫口のロータリーにハチロクを停車し、私からの電話を待っている。
 動悸と眩暈を感じ、私は心底貫一との対面を望み、同時にそれを否定していることを認めた。再び筑紫口から博多駅の中に入り、混み合う人々を目にした。この中から、たった一人の男を見つけ出すなど、まるで不可能であるはずだが、この地上では私だけが可能であった。私は、彼の首に幻惑を持ち、その視覚を避けるがために、はっきりとした画像の記憶を手にしているのだ。
 足の歩みが早まった。スピードを得て集中を得た。
 その画像を片手に探すのではない。私は両手を封じられ、餌を吊り下げられる例の豚がごとく画像を常時見せられながら、尻を叩かれて追いかける哀れな生き物に成り下がっていたのだ。私と豚の相違は、形而上学的には皆無だった。豚は生存欲求からなる食欲に、私は恐怖を回避したいという直接の生存欲求に駆られていた。豚はどうか知れないが、その画像を見るだけで私は嗚咽し、血管を引き抜かれるかのような心地であった。
 前から歩いてくる人の足を観察し、歩く方向を見定めてから私はその間を縫うように駆ける。人は私を驚愕のまなざしで見ている。無論気に留めない。そんな余裕もない。
 約束の時間はもう近い。博多口も接近を始めた。そのとき、冷たい風が私の体を叩いた。
 冷風は私を目覚めさせた。動悸からも眩暈からも私は全く素面になっていた。グラスの氷はすっかり解けてしまった。だからこそ生まれる疑問が、私を苦悩させるのだ。
 『先ほどまでの恐怖は、おののきは、痛みはなんだったんだ? 誰か俺に解説を与えてくれやしないか! 確かにイメージはまだ俺の頭の中に克明に存在している。だが、一体全体、俺は今までにしっかりとあのたんぱく質やカルシウムやヘモグロビンが凝縮されたにすぎぬ物体の視覚を絶とうとしていた、あれはなんだったのか? あれが恐怖でなければ、俺は今まで何を学び、信じてきたというのだ。今の私は、こうして立っている。鎮座もしないし、浮遊もしない。俺は、生きている。こんなにも生きている! さあ、あの頸椎を、胸鎖乳突筋を、肩甲舌骨筋を、斜角筋を、胸骨甲状筋を、僧帽筋を両断してやれ。……そしてその後で俺は、やつの口腔めがけて嘔吐する。やつの咽頭を通過した吐瀉物が、ありもしない食道を求めて下る様を、モエ・エ・シャンドン片手に眺めるのだ』

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