明の11「シドと白昼夢」(27)

 今一度私はAirpodsの位置情報を確認した。Airpodsは、マクドナルドの下にある。姿を視認すれば切りかかれるように、ホルスターのナイフに手をかけた。そして、整列する掲示板によっかかっている貫一を見つけた。ナイフに殺意を注入するところであったのに、私はそれができないことを悟った。気づけば、私は柄から手を離し、しきりに雑踏の中に貫一を探すかのようにあたりを見渡している。また、私は彼を視認して、柄に手をかける。ナイフの目的を廃忘しては、そして彼を見失う。私はそんな永遠に続く螺旋の中にいたのだ。これがまた、あの無力感であった。
 『あの男を殺す』という観念は確かに私が激しく欲望しているものであった。……またしてもあの無力感が私を引き留めるのだ。彼の首に当たる幾千の刃物のすべてが錆を孕んでゆき、彼の首はやがてその表面の蓋然性を明白なものにしてゆく。そして本質の姿を見せるのだ。あれは巨木なんぞというちゃちな器量で表象できるものではない。彼の首は、マントルの熱を宿しながら、私の時代すべてを凍てつかせる、荒廃を体現するものであった。いかなる列強もその空間では無力になる。どうにかしてそこから身を守るすべを考えても、私の堕胎までを倒叙しながら分解し、手段の尽きた私は自身の弱さをさらけ出すしかないのだ。世界に偶然その身を堕とした荒廃が、確かにそこにあった。私はこの荒廃を目に入れてはならないと思った。
 私は雷に打たれた。
 周りに視界を与えた。
 そんな私を横目に周囲の人間は、荒廃をものともせずに通過していく。彼ら全員が盲目であるとは思えない。彼らの頭が得体の知れぬすかすかのスポンジでできているとしか、説明のつかぬ事態である。……いいや、そうではない。彼らと私はもう別種の生き物である。お前達は果たして倒叙を済ませたのか? 私もその時、新種の生物に変貌することが可能になるのか?
 私は迷妄などしていない。自覚を得た今私には勇気のような、英邁のようなが感情が育まれはじめていた。私は原始から生まれ変わるのだ。機会に乗じて彼を絶命させるのだ。洞窟の闇から抜け出す瞬間は、必ず根拠の下で将来に約束されている。
「あっはっは、何でもないじゃないか。ただの首に相違ない! 切り落としてしまえ!」
 心の中でそう叫んだ。目に映る貫一の姿がどんどん大きくなり、私は彼の前に仁王立ちした。
 私は、再び硬直した。為す術をすべて奪われ、先の認識が誤っていたことを知った。目の前には―いないでほしいのに―貫一がいる。貫一だ。この男は、確実に私を殺すだろう。

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