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#映画

長いトンネルを抜けると記号の国であった。(連想で読む・02)

長いトンネルを抜けると記号の国であった。(連想で読む・02)

「「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(連想で読む・01)」の続きです。

連想を綴る この三文は私にいろいろな連想をさせ、さまざまな記憶を呼びさましてくれます。

・「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 約物である句点も入れると二十一文字のセンテンスをめぐっての連想を、前回は書き綴りました。

 今回は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号

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『雪国』終章の「のびる」時間

『雪国』終章の「のびる」時間

『雪国』の終章では二つの時間が流れています。「縮む時間」と「のびる時間」です。「縮む時間」については「伸び縮みする小説」と「織物のような文章」で詳しく書きましたので、今回は「のびる時間」に的を絞って書いてみます。

 ここからはネタバレになりますので、ご注意ください。

     *

「のびる時間」というのは、火事になった繭倉の二階から葉子が落下する瞬間が、くり返し描かれるという意味です。

 

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人が映画の夢を見るように、映画が人の夢を見る

人が映画の夢を見るように、映画が人の夢を見る

 俯瞰とは場所つまり空間だけの話ではありません。時間的な俯瞰もあります。スケジュール表、タイムライン、カレンダー、年表などは、時間を見える化するだけでなく、時間の流れを時系列で視覚化する仕掛けとか仕組みとか装置だといえるでしょう。

 地誌・地史、家系図、伝記、国の歴史、世界史、文学史、音楽史、科学史、宗教の歴史というぐあいに、個々の事象にまつわる出来事を時系列で記述しようとする人の試みと情熱には

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知らないものについて読む

知らないものについて読む

 文芸作品そのものを読むよりも文芸批評を読むほうが好きでした。大学生時代はちょうど文芸批評の全盛期みたいな雰囲気があり、従来の印象批評の本が相変わらず続々出版され、フランス製のヌーベルクリティックとか英米加製のニュークリティシズム、そして日本でも新批評と呼んでいいような本や論考があいついで上梓されたり雑誌に発表されていました。

 つぎつぎに紹介される斬新な手法に興奮したのを覚えています。

 印

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見る、見られる(する/される・02)

見る、見られる(する/される・02)

「する/される」というシリーズの二回目です。「相手に知られずに相手を見る(する/される・01)」でお話しした「一方的に見る」「一方的に聞く」という行為について、今回はもう少しこだわってみます。

 一方的に相手を見る、一方的に相手の声を聞く。

 こうした状況と身振りは、決して他人事ではなく、日常生活で私たちの誰もが経験していることであり、それは傍観、窃視、傍聴、盗聴と呼ばれている行為とそれほど遠

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錯覚を起こして楽しむ(錯覚について・01)

錯覚を起こして楽しむ(錯覚について・01)

 小説を読んでいてはっとする一節やフレーズに出会うことがあります。たとえば、梶井基次郎作『檸檬』の以下の段落は私にはとても衝撃的で、さまざな思いを呼び起こしてくれます。

 それほど長くもないこの段落に「錯覚」という言葉が三回くり返されているのが目立つのですが、反復に目が行く私としては立ち止まらずにはいきません。

 しかも「錯覚」は日頃から気になっている言葉なのでよけいに気になります。そんなわけ

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でありながら、ではなくなってしまう(好きな文章・01)

でありながら、ではなくなってしまう(好きな文章・01)

「好きな文章」という連載を始めます。たぶん、同じ書き手の同じような文章ばかりをあつかいそうな予感があります。それでもかまわないので、好きな文章を引用して好きなことを書くつもりです。

 今回のタイトルは「でありながら、ではなくなってしまう」ですが、これまでに投稿した「【レトリック詞】であって、でない」や「であって、ではない(反復とずれ・03)」と似ています。「宙吊りにする、着地させない」とも似てい

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隙間だらけの器

隙間だらけの器

 私たちは立体の世界に住んでいますが、立体を隈なくとらえることは難しいのではないでしょうか。

 隈なくとは隅から隅までです。こっちの隅から向こうの隅にまで移らないかぎり、隅から隅までをとらえることはできません。この「移る」が曲者であり難物なのです。

・重箱の隅を楊枝でほじくる。
・重箱の隅は杓子で払え。

 こんなことわざがありますが、重箱の隅をほじくったり、つつくのはいかに大変かで、立体(重

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織物のような文章

織物のような文章

【※この記事には川端康成作『雪国』の結末についての記述があります。いわゆるネタバレになりますので、ご注意ください。】

縮む時間の流れる文章

 川端康成作『雪国』の終章の前半である、縮(ちぢみ)について書かれた部分には――「縮」だから「縮む」というわけではありませんが――縮む時間が流れています。

 この小説では、縮織は縮(ちぢみ)と書かれていますが、縮は産物であり製品です。

 たとえば、ある

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直線上で迷う

直線上で迷う

 初めて水面や鏡を見たときの、人類という意味での人や個人としての人のようすを想像すると軽い目まいを覚えます。びっくりしたでしょうね。ぶったまげたでしょうね。

 鏡像に慣れ親しんでいるいまの人や自分の想像をこえた体験だといえそうです。

 その体験を「見る」という言葉で片づけていいのか、はなはだ疑問です。本当に「見た」のでしょうか? そもそも「見る」余裕などあったのでしょうか? 

 寝入り際にと

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くり返すというよりも、くり返してしまう

くり返すというよりも、くり返してしまう

 創作と読書と夢に耽っているとき、人は似た場所にいる。自分以外の何かに身をまかせている、または身をゆだねているという点が似ている。

 そこ(創作、読書、夢)で、人は自分にとって気持ちのいいことをくり返す。気持ちがいいからくり返す。というより、くり返してしまう。

 創作であれば、その「くり返してしまう」が作家のスタイルになり、読書であれば、そのこだわりが読み手の癖になる。夢はその人の生き方と重な

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ガラスをめぐる連想と思い出(言葉は魔法・04)

ガラスをめぐる連想と思い出(言葉は魔法・04)

 私には、連想にうながされ、みちびかれて書く癖があります。

 簡単に言うと、

・「AだからB、BだからC、CだからD、Dだから……」という論理っぽいつながりではなく、また、
・「Aして、次にBして、それでもってCして、それからDして……」という物語っぽい流れでもなく、
・「Aといえば、Bといえば、Cといえば、Dといえば……」という連想っぽい運ばれ方が、

いちばん、しっくりくるのです。

 そ

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