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母と糠漬け

母は毎日料理をしていた。
月火水木金土日、1年365日。

何も言わないでも、当然のように食卓に食事が並ぶこと私達家族はそれを「あたりまえ」だと思っていた。

大好きだった母の手料理は数え切れない。
ハンバーグ、スパゲッティミートソース、ブラジル風鶏のグリル、エビ料理、ボルシチ、サラダ、そして糠漬けなどなど。

かたや父は肉料理を受け付けず、魚至上主義の人だったから、父のための魚、子供のための肉という2種類の主菜、そして野菜など副菜で合わせて毎晩4~5種類のおかずが食卓には並んだ。(エンゲル係数は相当高かったに違いない。)

そういうものを私達は「食事」だと思っていた。そうやって育った。

その毎日の食事を「天然現象」

母がときおりそう呼ぶようになったのは、私達子供が中学生になった頃だったか。
「ご飯ですよ!」と台所から呼ぶ声にすぐ反応しない家族に母が業を煮やすようになってからか。

温かいものを温かいうちに、冷たいものを冷たいうちにという心遣いを「わかったよ」と言いながら、その時夢中になっていたことを放り出して食卓に駆けつけるという簡単なことができない子供だった。

小学生の頃まで鰹節を削る手伝いをした記憶がある。子供心にもこりゃあ大変だと思っていたこの作業に革命が起きたのはそれから数年後、粉末の調味料、出汁の素なるものが登場した時。

母の喜び、いかばかりか。
大量に買い込んで、知り合いに配っていたほどだ。自宅で消費できる分を超えた、大量の出汁の素の箱を見た時の驚き、「こんなに便利なものができたのよ!」という母の興奮を思い出す。

でも

私が母の気持を少しでも理解できるようになるのは、まだ先のこと。後年の一人暮らしまで待たなければならない。

22歳の私がアメリカで、
▪️自分なりに糠漬けを作ろうと
苦労して手に入れた糠にキュウリを突っ込んで放置したら、変な匂いのする(腐った)キュウリが出てきてキョトンとした時、

▪️ファストフード店の味に食傷し、自宅で料理するようになって、食べ物は
・献立を決め、
・材料を買ってきて、
・それを調理しないと
口に入れる食事という形にならないという基本を実感した時、

私が「あたりまえ」だと思っていた食事、
それらは母無くして食卓に現れていなかったことに気づかされた。

実は後年、60歳を超えた母が
「マクドナルドのハンバーガーを毎日食べられたら、どんなに幸せか!」と言ったのを聞いて意外に思ったことがある。
マクドナルドに憧れている、と言ったその顔は6歳の少女のようだった。

また
「1人だったら毎日料理なんてしなかったわ。
きっと出来合いのものを買って間に合わせてたわ。」と言っていたことも思い出す。

決して綺麗事ばかりではなかった、
超人お母さんではなかった母のそんな本音。

家族の顔を思い浮かべながら、ひとりひとりの体調を思いやりながら、作るものを考えるということ。自分の胃袋を、家族の胃袋とつなげるということ。その気持を手料理という形で食卓に表すということ。
それも毎日。

そんな母の手仕事のおかげで、
今の私はできている。

毎日糠漬けをかき混ぜる度に思う。

「やっとわかったよ」って伝えることのできる母はもう隣にいないけれど
母から手渡されたこの想い
次につなげることができるだろうか、
私にって。

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