midorigyoza

下北沢生まれブラジル育ちオレゴン育ちサンフランシスコ育ちロサンゼルス育ち世田谷暮らし。

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マガジン

  • 人生が100秒だったら

    私に起きたことを100秒くらいに縮めてみよう。人生最期の瞬間、まぶたにフラッシュバックされるっていう、あんなふうに。

  • 今日、私のところに戻ってきてくれた、昔のあることについて

最近の記事

夏のハガキ

本当にあったことなのか、 それとも空想の出来事だったのか、 わからなくなることがある。 これは本当にあった話。 高校生の時、好きだったK太くんの話。 テニス部のエースだけど、テニス以外は不器用で、成長したカラダを制服に無理やり包んで、無理やり学校に来ているような子。 古文の授業の時、天照大神のことを「てんてるだいじん」と読んで、真っ赤になるような子。 気の利いたことも賢そうなことも言えない、ひたすらテニスボールを追いかけている子。 洒落た冗談を言って笑わせる男子にはハ

    • あの夏の子: 4枚目

      これは私の母の夏の1コマです。 時は、たぶん1950年(昭和25年)頃。 私が生まれる前、 20歳頃の母、私の会ったことのない母がここにいます。 小さな登山帽をまっすぐ被った、 あどけない笑顔。 70年以上前の写真を見る度に感じるのは、 あの戦争と東京大空襲を生き延びた、はち切れそうな生きる喜びです。 (母は10歳の時に戦争が始まり、14歳で終戦を迎えました。) 長く暗いトンネルを抜けて あの夏、ふりそそぐ陽の光を浴びることができた喜び、大好きな仲間と一緒に山に登るこ

      • あの夏の子: 3枚目

        これは私の母の夏の1コマです。 時は、たぶん1950年(昭和25年)頃。 私が生まれる前、 20歳頃の母、私の会ったことのない母がここにいます。 小さな登山帽をまっすぐ被った、 あどけない笑顔。 70年以上前の写真を見る度に感じるのは、 あの戦争と東京大空襲を生き延びた、はち切れそうな生きる喜びです。 (母は10歳の時に戦争が始まり、14歳で終戦を迎えました。) 長く暗いトンネルを抜けて あの夏、ふりそそぐ陽の光を浴びることができた喜び、大好きな仲間と一緒に山に登るこ

        • あの夏の子: 2枚目

          これは私の母の夏の1コマです。 時は、たぶん1950年(昭和25年)頃。 私が生まれる前、 20歳頃の母、私の会ったことのない母がここにいます。 小さな登山帽をまっすぐ被った、 あどけない笑顔。 70年以上前の写真を見る度に感じるのは、 あの戦争と東京大空襲を生き延びた、はち切れそうな生きる喜びです。 (母は10歳の時に戦争が始まり、14歳で終戦を迎えました。) 長く暗いトンネルを抜けて あの夏、ふりそそぐ陽の光を浴びることができた喜び、大好きな仲間と一緒に山に登るこ

        夏のハガキ

        マガジン

        • 人生が100秒だったら
          47本
        • 今日、私のところに戻ってきてくれた、昔のあることについて
          4本

        記事

          あの夏の子: 1枚目

          これは私の母の夏の1コマです。 時は、たぶん1950年(昭和25年)頃。 私が生まれる前、 20歳頃の母、私の会ったことのない母がここにいます。 小さな登山帽をまっすぐ被った、 あどけない笑顔。 70年以上前の写真を見る度に感じるのは、 あの戦争と東京大空襲を生き延びた、 はち切れそうな生きる喜びです。 (母は10歳の時に戦争が始まり、14歳で終戦を迎えました。) 長く暗いトンネルを抜けて あの夏、ふりそそぐ陽の光を浴びることができた喜び、大好きな仲間と一緒に山に登る

          あの夏の子: 1枚目

          母と糠漬け

          母は毎日料理をしていた。 月火水木金土日、1年365日。 何も言わないでも、当然のように食卓に食事が並ぶこと。私達家族はそれを「あたりまえ」だと思っていた。 大好きだった母の手料理は数え切れない。 ハンバーグ、スパゲッティミートソース、ブラジル風鶏のグリル、エビ料理、ボルシチ、サラダ、そして糠漬けなどなど。 かたや父は肉料理を受け付けず、魚至上主義の人だったから、父のための魚、子供のための肉という2種類の主菜、そして野菜など副菜で合わせて毎晩4~5種類のおかずが食卓には

          母と糠漬け

          夏のバイト

          夏になるとじっとしていられなかった、昔の話。 色々なバイトの話。 初体験は高校生の時、デパートの婦人下着売り場(期間限定)の売り子さん。デパートの舞台裏には、一般客から見えないところに広い社員食堂やら控室やらあってワンダーランドだった。タイムカードなるものをカシャッとする時、ちょっと大人になった気がした。 自分ではしたこともないフリフリレースのブラジャーをお薦めしたり、サイズをお測りしたりするのは恥ずかしかったけど、もっと恥ずかしかったのは初めてのバイトを心配した父が下着売

          夏のバイト

          ホステスのお仕事

          銀座なんて行ったことがなかった。 私達姉妹は20歳に手が届かない大学生と高校生だったから、綺麗な女の人がいる夜のクラブなんて縁があるわけがなかった。 あれは、母の誕生祝いだったか。 ちょっと奮発したレストランで食事した後、 「もう一軒」と言う父に家族全員連れて行かれた。 皮張りの重い扉を何枚も開けて入ったその店は、異次元だった。 暗い室内にシャンデリア、低いソファ。 和服や体にぴったり張り付いたドレスに身を包んだ女性が隣に座る。キラキラワラワラ。 うやうやしく、でも親しげ

          ホステスのお仕事

          いちばん恥ずかしいこと

          いちばん恥ずかしいことは、ゴミ箱の中身を見られることだと思っている。裸を見られるより。 私はずいぶん長いこと、それを仕事にしてきた。 訳わからないと思うので、説明させてくださいね。 コピーライターというものになりたての頃、 正確に言うと、広告代理店でメンターのもと、コピーライターとしての修行を始めたばかりの私が、はじめて締め切りのあるリアルお仕事をいただいた時のこと。 何日かかけてひねり出したコピー(らしきもの)を数十本、メンターの元に持っていった。 鼻の穴は広が

          いちばん恥ずかしいこと

          根拠のない自信

          相談された上司はいったいどんな気持だったのだろう。どんな顔をして聞いていたのだろう。時間を巻き戻せたら、見てみたいものだ。 「女優になりたいのですが」 入社して1年、配属が変わると知らされた私は 新しい配属先の上司に折り入って相談しておきたいことがあると言って、部長室に行った。 当時、新入社員として最初に配属されたグループセクレタリーという仕事に七転八倒。 どうもがいてもやりがいを見出せなくて 青春の特権「人生一度きり」をまんま実行。 会社帰りに通い始めた劇団

          根拠のない自信

          戻ってきたガラス瓶

          努力が全能だと信じていた。 人生におけるいちばん大事なことは努力、 努力すればできないことは何も無いと、本気で信じていた。一途な時代は青春、怖いもの知らず真っ盛り。 小学校の時、1人の男の子が好きだった。 勉強も運動も、決して一番ではなかったけど、全力投球。誰より真っ先に飛び込んで、思いっきり転んで、立ち上がって、懲りずに飛び込んで、また転ぶ。うまくいくと飛び上がって喜び、失敗すると悔しがる。間違うと真っ赤になって謝る、すぐ謝る。 見ていてスカッとする子だった。 小学

          戻ってきたガラス瓶

          人生が100秒だったら: 40秒目

          お芝居なんですよ! 「お昼休み、空いてる会議室があったら使わせていただけますか?」 「いいけど、何に使うの?」 営業部の部長秘書、○野さんに聞かれた。 この数ヶ月、会社帰りに劇団の俳優養成所に通っていること、あと2ヶ月後に卒業公演があって、自分にも役がついたこと、ついては昼休み誰もいないところで練習したいと思っていることを説明したら、快く鍵を渡してくれた。 覗きに行っちゃおうかな?と言われたので、恥ずかしかったけど、はいと答えた。 新入社員として配属されたグループセクレタ

          人生が100秒だったら: 40秒目

          お芝居なんですよ!

          「お昼休み、空いてる会議室があったら使わせていただけますか?」 「いいけど、何に使うの?」 営業部の部長秘書、○野さんに聞かれた。 この数ヶ月、会社帰りに劇団の俳優養成所に通っていること、あと2ヶ月後に卒業公演があって、自分にも役がついたこと、ついては昼休み誰もいないところで練習したいと思っていることを説明したら、快く鍵を渡してくれた。 覗きに行っちゃおうかな?と言われたので、恥ずかしかったけど、はいと答えた。 新入社員として配属されたグループセクレタリーという仕事。はじ

          お芝居なんですよ!

          人生が100秒だったら: 24秒目

          犬の話だけど犬の話じゃない話 一度だけ、短い間だったけど犬を飼ったことがある。子犬の時もらってきて、子犬のまま手放したから、記憶の中は今でも子犬のままだ。 名前はポンゴ。 ディズニー映画「101匹わんちゃん」の主人公の名前そのまんま。犬種もダルメシアン(もどきの雑種)。ねだってねだってねだり倒して飼ってもらった。あれほど何かが欲しかったことはなかったし、これからもないのではないか。心が震えるくらい、欲しかった子犬だった。 ポンゴがはじめて家にやってきた日の翌朝のことを覚え

          人生が100秒だったら: 24秒目

          人生が100秒だったら: 39秒目

          自転車に乗れた日 はじめ、わからなかった。 なんで自転車が前へ進むのか。 みんなスイスイ乗りこなしているのに、いとも簡単そうに見えるのに、いざ自分がまたがってみるとうまく行かなくって、なんじゃこれ、となった。小学生の時、まわりの友達がいっせいに乗り始めて、私も乗りたい!と思った時のこと。親の大きな自転車を借りて、放課後特訓を繰り返した時のこと。 止まってる自転車には乗れない。 そりゃそうだ、転ぶよね。 どうやっても自立しない。 でもみんな乗れてるのは何故? 私だけ乗れない

          人生が100秒だったら: 39秒目

          人生が100秒だったら: 38秒目

          キュウリ王子のいた夏 ほんの出来心だった。 どこにも行けないゴールデンウィークに、お金のかからない気分転換のつもりだった。 野菜作りは土作りだと「はじめての家庭菜園」に書いてあった。雑草取りをした。庭を掘り返した。自分の墓を掘ってるみたいだと思った。 ベトベトした酸性の粘土質で使えない土だとわかった。くじけず、石灰を混ぜた。肥料を混ぜた。 「何してんすか?」 不安が残ったので、大量の培養土を買ってクロネコのお兄ちゃんに不審がられた。 穴を大きく掘り過ぎて、培養土が足りな

          人生が100秒だったら: 38秒目