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人生が100秒だったら: 36秒目

誕生日がわからない人


お誕生日は良いものだ。

そう信じていた。
アメリカに住みついてからは特に。
「お誕生日おめでとう!」と言い、「ありがとう!」と答えるのは幾つになっても、嬉しい(ありがたい)ものだと。

偉そうな人も、偉くない人も、歳をとった人も、若い人も、バースデーケーキや花束が似合う人になる。ニコニコ顔が似合う日だ。子供っぽい? 良いではないか、可愛げがあって。誰かの誕生日だと知っただけで、普通の日がキラキラしてくるのは素敵ではないか。

だから、少なからず驚いた。

「お誕生日ってなんでおめでたいのか、わからない」こんなこと言われたのは、はじめてだった。ただその日に生まれたというだけで、何故おめでとうと言われたり、言ったりしなければならないのか、僕にはさっぱりわからないと言ったショーンは私のボーイフレンドだった。

ショーンは孤児だった。
家族である両親もお兄さんも彼も、4人は誰も血はつながっていなかった。生まれてすぐ孤児院に引き取られ、そこで育ての親である両親に彼と兄はもらわれたのだという。だから自分の本当の誕生日はわからないのだと。

え、じゃ、運転免許証の誕生日は?と聞くと
あれは適当につけられたものでなんの意味もない、ただの記号だと。

孤児としての生い立ちはいくつか聞かされていたけれど、彼の「誕生日嫌い」の訳を理解するのは時間がかかった。

ショーンと私はうまく行かなかった。
友達としては何の問題も無かったのに、カップルになった途端にうまく行かなくなったその訳は「家族」だった。

育ての親と兄、4人が暮らしていた家は、それぞれ自分の鍵を持ち、スケジュールを持ち、好きな時に好きなように出入りする、機能的なシェアハウスだったという。4人は家族でなく同居人、お互いにとって便利なルームメイトだったという。かまうこともなければ、かまわれることもない。抱きしめることもなければ、抱きしめられることもない。

「家族」というものを知らなかったショーンと
「家族」というものが欲しかった私はうまく行くはずがなかった。「お誕生日ってなんでおめでたいのか、わからない」と言われたその日に気づくべきだったのかもしれない。

だって
誕生日ってただ「そこにいる」だけで祝福してもらえる日。蝋燭がキラキラ灯ったバースデーケーキがその子にとって「特別」なのは、その時、その子の目にも明かりが灯るからだ。生まれてきた自分が「特別」なものになるからだ。

Happy Birthdayって言われる人と言う人がつながって、うつろう日々の中で、家族という形があらわれる日。たとえ、ほんのひとときでも。何かのきっかけであるかもしれない、願いを込めて人は言う、

「ハッピーバースデー」

そうか
あれは達観でも皮肉でもなかった。
私がわかってあげられなかっただけだ。
ショーンは自分がなんで「ハッピーバースデー」がわからないのか、わからないと言っていたのだ。


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