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人生が100秒だったら: 31秒目

はじめての色えんぴつ


子供の頃から今までずっと持ち続けているものがある。正確に言うと、いつどんな年代でも持っていたものがある。それは、色鉛筆セット。(鉛筆、クレヨン、サインペン、水彩、ものは違えど内容は同じ。色んな色がずらっと揃っているあの多色セットだ。)

使いこなしてるかって?
いいえ、たま〜に思い出したように、ちょこちょこ何色か使っているだけです。デザインやデッサンの授業でも使う色は数本に限られてたと思う。

でも!
全色使うわけではないのに、キラキラ勢揃いした色達を揃って眺める、あの満ち足りた気持ち。これぞ贅沢の極み。特にはじめて買ってもらった色鉛筆セットを開けた時のあのウワッと飛び出てくるウットリ感は忘れられない。そうそう、色鉛筆セットって3Dなんです。色の威力ってすごいんです。「飛び出す絵本」なんです!

その「はじめて色鉛筆セット」に、私は苦い思い出がある。

小学校に上がる前だったか、毎夏、帰省していた父の田舎でのこと。同い年の従兄弟にそれを見せた時のこと。

「いいな!それ、ちょうだい」と言われたのだ。

顔面ストレートの直球、私にとって意外でいきなりなその要求に反射的に「イヤだ」と返してしまったのを覚えている。

従兄弟も簡単には引き下がらなかった。
私が見せびらかした(そんなつもりなかった)からなのか?何回か「ちょうだい」を繰り返されたにも関わらず、結局、従兄弟に色鉛筆セットはあげなかった。ああ、あの時のまわりの目、私の反応を見つめる目の痛かったこと、、

帰りの列車の中(当時、新幹線はなかったから、1日がかりだった)、私は終始うつむいていた。あの時、「いいよ」ってあのキラキラ色鉛筆セットを差し出してあげられなかった自分が欲深い人間になったような気がした。汚くなったような気がした。

実際そんな出来事があってからしばらく、自慢の色鉛筆セットを開ける度、いつものウットリ感になんとも言いようのない罪悪感のようなものが混ざるようになった。(欲深いとか、罪悪感とか、その歳で意味がわかっていたわけではないけれど、後味の悪さが消えなかったのだ。)

というわけで、色鉛筆セット。
私にとって、その豪華さ、罪悪感、独特の後味、全てにおいてはじめての気持ちだったなぁ、と。

しかし、子供は強いなぁ、あっけらかんとしていいなぁ、と思ったりもする。持っていない子が、持っている子に、真っ直ぐ目を見て「いいな!それ、ちょうだい」って言えたりする。

今度、ちょいと実験してみようかな。
いい年をした私が「いいな!それ、ちょうだい」

言えるものあるかしら。
今、何が欲しいだろう、私?

あんなにドキドキするものって、飛び出る「色鉛筆セット」のようなものって、私にあるのかな。


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