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父親の思い出 その9 お前は平取止まりだな ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 父は実業家の親(私の祖父)の勧めで商業高校卒です。親の後継ぎ筆頭としての即戦力の人生を期待されていたからです。しかし父は高校生の時、外交官に憧れていました。そこで親と交渉して資産や仕事は弟に譲って外交官を目指す未来を勝ち取りました。
 商業高校から外国語が学べる国立大学へ進学して英語を学びました。残念ながら在学中、戦争で学徒動員が掛かり招集されたために学ぶ機会を逸してしまいました。
 終戦後、担当教官が私立大学に移ったことから父もその大学に入学して引き続き英語、特に英文学を学びました。結局は、外交官募集が無く、諦めて外資系製造業の会社員となりました。外資系だったので私達家族はとても豊かな暮らしをさせてもらいました。

 因みに結婚後、まだ$1が360円だった頃、父は母と2人でハワイに旅行に行きました。タクシーの運転手さんのハワイ訛(なまり)の米語が聞き取れず、英語(ブリティッシュ·イングリッシュ)が全く通じず、母に呆れられたそうです。今の私には、
「そりゃコミュニケーション無理だわ。」
と父に同情しますが、夫婦2人っきりなので道理が通じなかったようです。(笑)

 そのような苦労を乗り越えたからか、私が超難関大学に入学したことをとても喜んてくれていました。

 その辺の件は、以下を参照下さい。

 大学生活にも慣れて、研究室に配属になり、念願の物理学、しかも最先端であった表面物理学分野での研究生活が始まっていました。

 その時の事です。私の行動を観察しての末だったのか、突然父が
「お前は平取(ただの取締役の事)止まりだな。」
とぽつり。

 しかし、当たりました。最後は見事平取止まり。

 若い時にキャップをかけられてしまった感じがしています。(笑)それも有って、私は自分の子供には、変な暗示を掛けないように気をつけています。

蛇足
 父の所属した会社は、その後卸先の民族系会社の関連会社として統合されました。


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