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爽やかな朝に聴きたい僕を作った10のアニソン
blue water
(ふしぎの海のナディア)
庵野監督作品
ネタバレするとエヴァンゲリオンにかなりオマージュしてるシーンがあって胸熱だった
実は留学時代にナディアって言うコロンビア人の美人さんいたんだけど、鼻毛出てて一気にカエル化現象🐸
そんな青春を思い出す名曲
ヒトリゴト
(エロマンガ先生)
名前はエロだけど全くエロ要素のない健全作品
Hをエロに加えたらHEROとは言い得て妙だったけれども
にどと手の届かない場所
フランク•ロイド•ライト設計の旧帝国ホテル本館はすでになく銀座のカプセルタワーは消えてしまった
丹下健三が設計し、文化的な価値が高いとされた赤坂プリンスホテルも日本モダニズム建築の傑作といわれたホテルオークラ東京本館も取り壊された
かつての歴史的な造形美をもつ建造物はわれわれのあずかり知らぬところで音もなく消失してゆくのだ
平安京の正門であった羅城門が消えたときの京都人の気持ちはいかばかりだ
I have a dream
プロローグ
“I have a dream”
これはロシア侵攻に対してウクライナの大統領が国連でスピーチに使った言葉である。
果たして日本人のなかでこの言葉の背景の重みを知っているひとがどれだけいるだろう?
この言葉はアメリカ人、特にアフリカ系アメリカ人にとってはとても特別な言葉なのである。
また、【Black Lives Matter】運動もそうだ。“なぜ彼らは一斉に声を上げるのか?”
熱狂の反対は“これでいいのだ” ヒッピーからの⤴︎⤵︎
若者たちの思想はヒッピーカルチャーを経てどこへ向かって行ったのか?
今回は高度成長期の日本のユースカルチャーを紐解いて行こうと思います。
1960年代のカウンターカルチャーから全共闘、日本赤軍の流れ。よど号ハイジャック事件そしてあさま山荘事件を経て、日本のカルチャーはどう変化したのだろう。1970年代シラケ世代と云われた時代が何故こんなにも面白いのか?映画、漫画、演劇、お笑いそしてファッションな
Summer of love
愛と情熱に浮かされた60年代最後の年、僕はまだ幼くあの伝説の場所に立つことは叶わなかった。
なんてね🙄
まだ僕がこの世に生まれてないころのお話🙄
summer of love誕生
サマー・オブ・ラブは1967年サンフランシスコの街で華開いた。ヒッピーが主導したカウンターカルチャーは世代を超え、ビートジェネレーションの哲学をも呑み込み、例えば、まったく知らない他人との共同生活や、自由恋愛な
オン・ザ・ロードとそれぞれがすすむ道の果て
ぼくは昔、洋服屋になりたかったんだ。
学生時代、アルバイトや仕送りの大半は大阪アメ村の古着屋に消え、そのころから朧気に将来の夢は“洋服屋で働く”になっていった。
だっていつだって僕は好きなものに囲まれて生きていきたかったから。
ぼくにとって洋服は自分を表現できるツールであり、哲学だった。
とくに夢が叶った二十代半ばからは専門卒の先輩たちに負けまいと毎週のように六本木のTSUTAYAでコーヒー1