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サブカル☆聖地巡礼

僕の中で、東京に来て絶対に行きたい街がいくつもあったんだけど、なかでも新宿と秋葉原は別格だった。



どちらもどことなく雑多で猥雑な街。


特に新宿は危険な香りがつき纏う。まだ僕が田舎にいた頃からそんなイメージだったし、実際に上京してからもやっぱり身構えてしまう(上京当初は来るたびに手頃な石をポケットに忍ばせてた笑)

本当のところ今でもまだチョットだけ恐い。
ほんと、ただの怖いものみたさ。

でも妙に人を引き付ける。
この街の引力はサブカルチャーを色んな角度で顕在化するんだ。

そう、ここは聖地なのだ。

駅に行けば伝言板(ケータイ以前の遺物)※ケータイも今や遺物)がないか探したし←既に撤去されててあるわけないし「XYZ」も書かれていない。もちろん100トンハンマーを持った女性もいない。

ハモニカ横丁から歌舞伎町やコマ劇場辺りを歩くと坊や哲と房州さんはこの辺でブイブイいわしてたのかしらん?黒シャツで来れば良かったかなって独りごちる。ここまで来ると頭の中は2の2の天和のことしか考えていない。丸めた背中に“拗らせ過ぎだ”と自分自身に嘲笑の笑みを浮かべる。

都庁辺りに行くと、ドラマ【とんぼ】のラストシーンで英二=長渕剛が腹刺されるとこ思い出し、鼻唄歌い出すし

花園神社付近では紅テントに思いを馳せ、アングラで実験的な唐十郎へ思考は向かう。

余談だがサブカル厨は妄想が飛び跳ねるので、大体ここいらで紅(あか)テント→唐十郎→寺山修司→書を捨てよ町へ出よう→ノック→阿佐ヶ谷かぁ🤔行こっかなぁ←行かないって毎回なるやつ直したい😇


中村屋やムーランルージュ、新宿コマ劇場に紀伊國屋ホールなんて名前だけで悶えるよね。

他にも新宿騒乱や西口フォークゲリラなどその時代を想起させる場所は枚挙に暇がないほどなのだ。
デモになんて参加したことのない僕だけれどもさ、
ほほぅ🤔ココ(東口)に8000人が集結しただとっ!?ってしたり顔で唸っちゃう。

ここでも意識が脱線して中学生の頃のギターやってた友達の『君の髪〜が〜♪肩から伸びて〜♪肩からって恐っ👀!』っていう持ちネタで一生笑ってたなぁ😂なんて記憶の逆流が起こったりして。

新宿西口地下広場が新宿西口地下通路に変更された日「ハイっ!ここ今日から通路になったから立ち止まらないでね〜」と国家権力に蹴散らされた集会のあの日のことを想像するだけで群衆の怒号や熱気まで感じられる気がするし、同時にあのころ反戦を唱えていた彼・彼女たちは今またロシアの侵攻に同じ熱量で憤っているのだろうか?なんてとりとめもないことを考えてしまう。

そして若者たちは居場所を失い、次のステージと場所を変えるんだ 
ー暗転ー

1973年 渋谷PARCO開業とともにサブカルチャーの担い手は新宿から移りゆく
ー緞帳が降りるー

次の舞台は渋谷・原宿

シティポップの時代の幕開けです
ー緞帳があがるー
綺羅びやかな光で目が眩む

目が覚める
「あっ、また意識飛んでた()」

全部新宿のせいさ。白昼夢もすべて。

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