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熱狂の反対は“これでいいのだ” ヒッピーからの⤴︎⤵︎

若者たちの思想はヒッピーカルチャーを経てどこへ向かって行ったのか?
今回は高度成長期の日本のユースカルチャーを紐解いて行こうと思います。

1960年代のカウンターカルチャーから全共闘、日本赤軍の流れ。よど号ハイジャック事件そしてあさま山荘事件を経て、日本のカルチャーはどう変化したのだろう。1970年代シラケ世代と云われた時代が何故こんなにも面白いのか?映画、漫画、演劇、お笑いそしてファッションなど水面下でそれぞれの持ち味で時代の気分を盛り上げていた。
カルチャーの卵が別のカルチャーと出会い、また別の卵となっていく。ある種未成熟なものだけが持つオモシロさが突出している時代であることも非常に興味深い。

では、ではケイオスな時代のハジマリハジマリ。

狂気じみた共産主義への忠誠は、山岳ベース事件を気に一気に崩れはじめる。一枚岩と思われていたものには実情明確な階級社会があり凄惨なリンチが日常的に行われていたことが発覚し、そこに疑問が生じる。

つまりそう、皆シラケてしまったのである。


熱いパトスが放出されきったあとの一種の放心状態。そこから彼らはネクストステージに進む。【ナンセンス】へ傾倒していくのだ。

余談ではあるが、【あさま山荘事件】の生中継で機動隊や警察官が食べていたカップヌードルが一夜でバズってしまったのはこの先のバブル時代を予定調和的に予見していたようで個人的には空恐ろしさを感じる。

バカボンのパパなのだ


意味ないことが逆に意味あるみたいなの良くなくない?

そんな空気だったんじゃないかなぁ。当時の空気。
赤塚不二夫の代表作〈天才バカボン〉はナンセンスの旗手として爆発的な人気を誇った。なにせ“トキワ荘”で鬼才・奇才と切磋琢磨した人物である。恐らくは計算尽くであったのだろうが数々の伝説的な回(事故回?)を世に出している。

・バカボンのパパが目が覚めてから起き上がるまでの動作の連続をコマ割にして見せただけの回
・夏痩せしたという理由付けで登場人物の身体がただの線
・アシスタントが休んだという理由で、なぜか作画崩壊。めっちゃヘタ笑
※全てうろ覚えですが今これやったら絶対に炎上しますね😅

こういった【意味のない笑い】は、これまでの漫画の世界には無かったもので、子供たちだけでなく、シュールな世界観は当時の学生やインテリ層まで巻き込み大ヒット作となる。
それまで自由とは?正義とは?幸福とは?などの問に正面から社会に立ち向かい、そして敗れた戦後生まれの理想主義者たちは武力を以て世の中の構造を変える不毛な闘いをあきらめ、救いや新たな脱社会の手法として迎え入れるのである。

【彼等の柔軟性はどこ由来?】
60年代の〈新宿〉のお話は以前noteでも触ったことがあるが

当時「右手に(朝日)ジャーナル、左手に(平凡)パンチ」と揶揄された若者たちが
※政治を考えるふりしてマンガを読んでる意
大勢いた。
そして彼等は1968年に日本を席巻したクルセイダーズの【帰って来たヨッパライ】の洗礼を受け、演劇に顔を出し、カフェでダベり、アルタ前の原っぱで寝る。
〈流行〉に次ぐ〈流行〉の反復横跳びで“熱しやすく冷めやすい”素地をこの辺りで固めたのではと推察している。
彼らの中では既にファッションとしてしか機能していないかつて“カウンターカルチャーのアイコン”としての【ヒッピー】を軽やかに“自己肯定のために自由を謳うアイコン”として変更、使用したのではないか?

わたしの親世代もそんな自分たちに対する自己嫌悪や気恥ずかしさもあって当時のことを語りたがらないのかもしれない。


そこに対しての【ナンセンス】は恰好の隠れみのになる。
それは芸人タモリが《四ヶ国語麻雀》や《イグアナのものまね》などのナンセンスな芸を自分の芸に選んだことにも見られる。体制に屈することも迎合することも拒否するという確固たる意思表示であったと今となってはそう思う。

こうして試行錯誤な世の中でソーシャルな実験を飽きるまでやり尽くしたのか、時代は没個性へと進んでいくのだ。
【80年代】
個や社会の全てをラベリングし、《アッシー》《メッシー》に代表され、ティファニーの《Open Heart》や《ジュリアナ東京》、《札束》ですら【記号】としていった時代の到来はすぐそこにある未来でありその“浮かれ気分”はかつての“ソルジャー”たちの目には自己肯定感を得るに値するカウンターカルチャーだったに違いない。

きらびやかに見える世界。
大人たちは“あの頃は良い時代だった”って言うけど本当のことはわからない。
ただ、ブラウン管(※テレビのこと)の中は確かにキラキラしてギラギラしていたように思う。

この時代のことも書けるといいなぁ。



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