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『荒ぶる』を霧散させる俺聖具

忙しない毎日の中で、たまに自分を見失うときがある。
“あれ、僕って何のために生きてるんだっけ?”
日常の隙間に巣くう罠に捕まってしまうのだ。
うっかりだね😋

そんな時、僕は原点に帰る事にしている。そこそこ長く生きているのでそこかしこにエポックメイカーがある(いる)のだ。
そんな、そのときどきに影響を与えてくれた者たちとの邂逅で、僕は自己を取り戻すのだ。

まだまだあるけど、今の僕に必要なものだけばら撒いときます

『LaChapelle Land』
デヴィッド・ラシャペル

表紙 横尾忠則

ユニークな構成 極彩色かと思いきやモノトーンありとあらゆるグラフィックで遊んでる
なるほど超一流モデルを使って遊んでるんだな。
鬼才が本気でふざけるとこうなる珍しい好事例だと思った。
そして、あのとき買っておけば良かったよ…


『カウボーイ・ケイト』

サム・ハスキンス

構図が上手すぎる。
『fashion』は『ART』なり得るのか?
そんな愚にもつかないことを考えさせられた作品。
ファッションを感覚だけじゃなく、考えて捉えるようになったきっかけでもある。
衝撃だったなぁ。
実際に手に取って観れて眼福、眼福😇


『Tulsa』
ラリー・クラーク


’71年に出版したラリー初の写真集となる『Tulsa』
薬物中毒者達を中心に、彼らの「リアル」が淡々と撮られて撮られている。
当時まだ若く食べるのもやっとだった僕は、彼等の『リアル』にある種の救いを見出したのかもしれない。
そしてあの頃と同じように僕は未だ『何者にもなれていない』のだ。←遅い

『BUFFALO』
レイ・ペトリ

伝説のファッションスタイリスト“ レイ・ペトリ ” が引率した伝説のクリエイティブ集団、”BUFFALO” の作品集。

この写真集が僕の“原点”
この本は僕のバイブルになったんだ

『岡本太郎の沖縄』
岡本太郎


アーティストとしての“芸術は爆発だ!”
からも触発されるものは勿論あるのだけれど、〈写真家〉岡本太郎からはもっと静かな理性を感じるのです。
かつてアメリカだった沖縄に『失われた日本』を感じて…と云々あったが、率直に言えば【そこにある日常】だった。誰が統治しようが沖縄は沖縄だったのだろう。そんな逞しさがとてもかっこ良く思えた。

Luis Barragan ルイス バラガン

色彩感覚 陰影の使い方 空間の奥行き、広がりすべてがパーフェクト
心地よい
匂いまで感じられる
天才
誰かそのまま日本に持ってきて欲しい
住みたい
格安でお願いします
神様…

本もいろいろ出てますので是非ご覧ください

『蜻蛉の精』
ルネ•ラリック

アール・ヌーヴォー期の傑作
日本の【花鳥風月】の美しさに通じるものがあり幼少期から図鑑を眺めては憧れていた作品

後に生涯の伴侶になるひとに会うために上京した僕は上野駅で涙の再会ののち、上野博物館で一緒にコレを観た。
良き思い出☺️

「L'art de vivre」とはラリックに相応しい言葉ではあるが、彼はこのたった数十年で激しく変化した『美』になにを思ったのだろう?

ドイツのバウハウスを意識してたんだろうか?いや、絶対してたでしょ!
あんたら🇩🇪の『美』もわかるけど、おフランス🇫🇷の『美』はこうなんザマスよ!って感じがするんだよね。

アール・デコ期の作品を見ても様式美がねっ ほら… なんて言うの? グラデーション?感?みたいなのが感じられるのです。

それこそル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライトのようなばっちばちの【モダニズム】は少なくとも僕には感じられない←【モダニズム】も好き好きマンです。

めちゃ分かりやすい本、置いときます

エル・グレコ

ドーバーストリートに飾ってそう

1500年代のひとの絵だよ
信じられる?
縦に引き伸ばした絵はモディリアニなんかもそうなんだけどアプローチが違うよね。←両方好き。たてなが厨。
人物の圧倒的存在感も相まってなんかmodeなんだ。

COMME DES GARCONSとかMartin Margielaがチラついちゃうの。

イタリアの美術館で飽きずにずっと観てた。随分時は経ってしまったけど未だ思い出すことができる。
それはとてもしあわせなことなのよ
なんてね

『いのちのかたち』
中川幸雄

『アヴァンギャルド』
憧憬の念を込めて呼ぼう。
自身も作品もこの一言に尽きる。

花坊主


鮮烈な赤 肉肉しい赤 押し潰される赤 腐った赤 
そして
静謐な青

とにかく自然の色を不自然なほど表に引っ張り出す感じ

見つめていると、いつのまにか僕の中の何か熱い塊みたいなものも一緒に引っ張りだしてくれるんだ

また僕はあしたも元気に生きていける

アリガトウゴザイマス

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