見出し画像

狂乱の80’s(少年時代)

キーンコーン カーンコーン
ガヤガヤ ガヤガヤ

“昨日の川口浩探検隊みた?” 
“見た見たー、すごかったよなー”

“おれさー、昨日、通学路の途中で人面魚見たぜ!”
“スッゲ!帰り行ってみようぜ!”

スプーンまげ、オゾンホール、ノストラダムスの大予言、あの頃こどもだった僕たちは“いつか世界は終わるのだ”という漫然たる不安を持ちつつ、かと言ってどうソレに立ち向かって行かなければならないのかも分からなかったので取り敢えず毎日を明るく楽しく過ごしていた。

あの頃の僕らが未来の僕たちのためにできたものとすれば、おもちゃの銃の玉を土に還るものに変更したことと、ありとあらゆるフロンガス製品が使われなくなったくらいだろう。

1980’s世の中は“バブル”真っ只中。ありとあらゆるものが消費された時代。
SNSはおろかインターネットもまだ無く、少年だった僕らの小さな手のひらにはスマホではなく掴むも捨てるも思うままの“自由”があった。

そんな僕らはマスメディアの手のひらで転がされるように何の疑いもなくテレビやマンガ雑誌なので見聞きするきらびやかな世界に憧れて、早すぎる流行の波の中で揉みくちゃにされながら育って行ったのだ。

朧げながら覚えているかつての空気感は何とも言えないまとわりつくやうな湿り気をおびていて、おそらく僕の生まれ育った片田舎の街にはきっとそこかしこにソレはあり、ソレを感じ取れるだけの“空気”があったのだろう。

【AKIRA】の影響もあり、(当時ストーリーの意味はまったくもって理解できなかったが)その視覚的効果は脳裏にまるでフィルムのように焼き付けられ、ソレが《デストピア》という名前がつけられていたことを知るまで少年時代を過ごすのだった。

今思えばあの時代に浮かれていた大人達に儚さやある種の仄暗さを感じるのは、彼らはバブルがいつまでも続かないことを知っていて、いつか必ず弾のでるロシアンルーレットでもやってる気分に近かったのかもしれない。それもまた、《サイバーパンク》と云われるモノに近い感覚だったのだろう。

そんな僕たち少年の心を踊らせたのは、【コロコロ/ボンボン】【ファミコン】【ビックリマンチョコ】であり、コレらをいかに攻略するかが日常の全てであった。
周辺情報は口コミと漫画雑誌のみ。なので常に玉石混交の情報戦。
ある者はガチャガチャで“ヘッド”がでるといううわさを聞いて出てきたシールの違和感にガクブル
【ロッテ】ならぬ【ロッチ】製のシールだったのも今なら確実に大炎上だったろうな。
騙し騙されてあの頃に対人でサバイブするあらゆることを覚えた気がする。

ビックリマンシール

ローカル話だが、僕が通ってたの小学校だと牛乳キャップをメンコにして遊ぶのが流行っていて珍しいキャップを入手するために競艇場に行って拾ったり、牛乳会社に手紙を書いて全種類をいきなりコンプリートする猛者もあらわれたりと独自の進化をたどり、かけの対象が牛乳キャップ(レア)=ビックリマンシール(キラ)
くらいまでのし上がり、そこかしこで真剣勝負が繰り広げられていた。 
今思い出してもヒリヒリする毎日だったな、うん。

何かをコレクションするという原風景はその頃にあると自覚しているのだが、【ビックリマン】は最終的に財力がものを言う事がわかったため、【ドキドキ学園】【ラーメンばあ】【ガムらツイスト】【ネクロスの要塞】などニッチな【ボンボン】層を好む友人達と独自路線を進んだのも自分という人間を語る上でとてもわかりやすい事象であろう。
【ファミコン】か【SEGA】なら【SEGA】
【コロコロ】か【ボンボン】なら【ボンボン】
【VHS】か【β】なら【β】
【ホーネット】か【グラスホッパー】なら【グラスホッパー】
よくよく逆張りな男である。

そんな80’s、僕たちは狂ったように時間の限り遊びまくり、いつしか小学生から中学生へ。

世は【カードダス】時代の幕開けである。

『おれの財宝か?欲しけりゃくれてやるぜ・・・ 探してみろこの世の全てをそこに置いてきた』 は未だ影も形もない時代。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?