見出し画像

索引(Index)#2

この索引(Index)は 2ページ目です。
ここでは主に発達障害(神経発達症)を持つ私の過去を振り返るエピソードと、ASDとジェンダーや人権の問題、自助会の運営に関する記事、その他を扱います。

発達障害(神経発達症)と社会の関係や、発達障害(神経発達症)を持つ私の特徴を扱う記事は、索引(Index)#1 を参照してください。


Dark Grey Rainbow(発達障害のお話)

ASDの「私の歴史」(家庭と学校)

Episode 57 学校には行けたのです。
ASDだから不登校になる…ほど単純ではない私の過去(導入部)。

 「ASDだから、発達障害だから、社会からドロップアウトした」って、そんな単純じゃないのです。

Episode 58 クラス替えは平気です。
「ASDは環境変化が苦手」とは限らないという、私の実例。
 学校に行けた理由は、この環境変化だと思うんです。
もしもクラス替え無しの2年目に突入していたら、学校に行けていなかったのではないか…そう思います。

Episode 59 リセットしたくなるのです。
環境変化がもたらすASD的な「リセット癖」があることについて。

 私の性格上、上手くいかないと思うと最初からやり直したくなるワケで、学校のクラスを新学期まで戻すなんてできるワケが無いから、次の新学年まで飛ばしたくなる…クラス替えでリセットです。

Episode 60 変身願望があるのです。
おとなしく従順なASDは「縦社会」との関係が良いことについて。

 いわゆる体育会的な縦社会がガッチリと生きていて、完璧主義でルールを守りたい私にとっては、かえってこれが好都合でした。
一言で言えば「理不尽<ルール」ってことです。

Episode 61 息切れしてしまうのです。
「自分を変えたい願望」は息切れして長く続かないことについて。

 環境が替わる度にウルトラマンになる努力をしていたような気がします。
今度こそ、今度こそ…。
今振り返れば、息切れして3分後に倒れるウルトラマンを何回も経験したように思います。

Episode 62 過去は見ないでほしいのです。
「黒歴史」は見せたくないもの、過去を抹殺されるもの…ということ。

 自己評価の低い過去を捨てたい、それ故の新しい環境への渇望は常にありました。
だから、過去を知る人間との接触は極力避けたい。
新しい環境に私の過去を知る人間は邪魔だったのです。

Episode 63 大縄跳びが苦手です。
会話に入るタイミングが掴めずに浮いてしまうことについて。

 周囲とのズレを自分なりに修正して輪に入ろう(=in)としていたあの頃、適応しようとする努力は基本的に空回りしていました。
当時から空回りには気が付いていたんです。

Episode 82 白紙が欲しかったのです。
私の過去を知らない完全な「ゼロスタート」への渇望について。

 埼玉県南部と言うと都内中心部は通学圏内で、自宅から通学できる大学は星の数ほどあるのです。
でも、これがどうしても嫌でした。
地元を離れたかったのです。

Episode 83 雑多な感じが良いのです。
適度に距離を保ちやすい教育学部とASDの親和性について。

 教育学部という「ごった煮」は、粒のそろった真珠のような輝きを見せる「炊きたての新米」ではなくて、竹輪も大根も玉子もさつま揚げも入った「おでん」みたいなものだったと思います。

Episode 84 煮詰めようがないのです。
社会科というアバウトな教科の持つ魅力と一部のASDとの親和性について。

 ひとつの教科を突き詰めていく中学校の先生を目指す過程に所属しながら、教科の性質上「煮詰まらない」逃げ道の多い教科だった社会科は、ASD的思考の弱点を上手くかわすのに丁度よかったのだと思います。

Episode 85 裏が見たくなるのです。
「正義は常に複数ある」ということを知ることの意味について。

 年号や出来事の名前だけでは、その裏側に何があったのか、なにが理由か、それが分からないのす。
ガンダムでジオン軍と連邦軍がそうだったように、山河燃ゆでは、アメリカと日本がそうだったように、事件の裏には裏側の理由がある…。
大事なところが分からないことに引っ掛かる…。

Episode 86 程よく目先を変えるのです。
煮詰め切れない煮詰める学問とASDの親和性について。

 分からなくなって先に進めなくなりそうなら、他の分野からの考察を挟むことが出来る、そこで気が付いたことが、煮詰まりそうな分野にヒントを与える…なんて煮詰まらない要素満載の、なんとも都合の良い学問だったのです。

Episode 87 教職はムリだと気付くのです。
自分の解釈と違う内容を教えることの「気持ち悪さ」について。

 学校教育には学習指導要領という指導内容の方針があって、これに沿って教えなければならない決まりがあります。
ダブルスタンダードが無理な私は、こうして教職を諦めるに至ります。

Episode 88 遠い未来は疲れます。
教職を諦めた私が感じた地方大学の閉鎖性との相性の悪さについて。

 地方都市の就職活動と言えば地域地盤の中小企業がメインであって、それでなければ公務員を目指す人が多いのが実情…。
そもそも地元に残るって時点で、地元という「足かせ」がある人たちも多い…。

Episode 89 未来の記憶があるのです。
先が見えることの閉塞感が「自分の納得感」を潰す原因であることについて。

 押し寄せてくるのが分かっている大波を上手く捌くのが仕事であって、日々の作業での経験や反省が次の大波を乗り越える糧になるはずなのです。
でも、私は先の大波が見えてしまうと疲れてしまうのです。

Episode 90 どちらかと言えば理系です。
文系教科が言われているほど文系なのか怪しいということについて。

 (歴史学は)全てが「理詰め」であって、数字や計算式を使わないから文系…という単純な文系理系の分野分けでは収まり切れない部分が多い学問なのです。

Episode 261 得意を教えられるのです。
学校で習っていない知識が突然役に立つことによる優越感について。

 たったひとつでも「社会的な評価」を得るというのは、自己肯定感を育てるには非常に重要なことで、私が「地図・地理」が得意という認識がクラスという小さなコミュニティに広がると、それに呼応する様に私の得意は広がっていくのです。

Episode 343 放牧されて育つのです。
潜伏(≒よい子)型ASDがカタチ作られる私の幼少時代、そのプロローグ。

 私の考え方が子育てに上手く適合しないのは、私が上手く社会性を吸収できなかったからなのだと思います。
上手く作り上げられなかった子ども時代の社会性が、子育てにどのように影響したのかについてお話ししたいと思います。

Episode 344 約束を破ると痛いのです。
潜伏(≒よい子)型ASDがカタチ作られる私の決定的な出来事、トラウマ。
プロ仕様の道具って、カッコイイじゃないですか。
そしてこっそりと「イタズラ」をして思い知ることになるのです。
約束を破れば、確実に痛い思いをする…と。
言われたことは守らなければならない。
虐待と躾が区別できていないような話ではありません。
理に適った適切な約束事であり、適切な躾だったと思います。

Episode345 「うるさい」の意味が分かりません。
環境が違うことと、環境が摺り合わせられないことの原点とは?

 私の聴覚には…「うるさい」という感覚がなかった。
騒音があることが標準だったから?
ボッチ遊びの仕立て台の下で、意味不明の音を排除した?
聴覚過敏の裏側の「鈍麻」ってこれなのか?

Episode346 コンプレックスがあるのです。
ASDの感覚がコンプレックスを作りやすいと思う件。

 私は「シスコン」です。
姉に対しての異常な劣等感と畏敬の念を持っています。
これが自分の人生に大きな影を落としていることは、間違いないのです。

Episode347 目上の指示で動くのです。
絶対的なルールを持つASDの言葉と対人への感覚の特殊さについて。

 「お友だち」は眼中になかったのです。
だって…指示も出してくれないですし、褒めてもくれませんからね。
私にとってお友だちは、「意味のない人たち」だったのです。

Episode 348 指示が歪みを生むのです。
あなたの思う普通と私が思う普通が全く別物だと気が付かないことはある。

 「言われたことを言葉通りに受け取る」の意味合いは、私の場合…恐らくこれです。
読書は楽しくない…図鑑を眺めていた方がずっと楽しい。
でも、読書は楽しいハズなのです。
だって、目上の人が読書は楽しいというのだから…。

Episode 349 まともなケンカができません。
あなたと私の関係を理解できない場合、ケンカの効果はゼロに等しい件。

 仲裁に入った大人はケンカ両成敗のうえで、意見を聞いて、折り合える着地点の提案を行って仲直りを促すわけです。
この時にあなたの意見と私の意見の相違を解説されて、少しずつ自他の境界線を理解するハズ…。
でもね、私はそうではなかった。

Episode 350 努力を惜しまぬ良い子です。
環境に嵌って特質を見逃すという典型例を、私は経験したという件。

 親が子どもに対して、姉が弟に対して、対等な会話を常時するワケがないのです。
親は子どもを社会性を持たせようと躾けるのです。
そこには保護者と被保護者という明確な線引きがあるワケです。
姉の方はもっと残酷です。
私を躾ける義務がありませんから、私が出来ないことを明確に出来ないと指摘するし、出来るようにする努力を払う必要もありません。

Episode 351 読書が楽しくありません。
モノゴトの理解が不定形であると、根本的な部分で理解相違がある件。

 「本読むの、楽しい?」
「うん、楽しいよ!」
母親と私の「楽しい」が指し示す意味が全く違うことに、この時はまだ誰も気が付いていなかったのです。

Episode 352 ブラックボックスを作るのです。
内容のないブラックボックスがどうして作られてしまうのか、その理由。

 私はもともと苦手だった「聞く」を、無意識のうちに意図的に放棄しました。
「こころの理論」の一歩目で躓いてしまった私は、引き離される感覚差を埋めるべく、「なぜそうなるのか」を省いた入口に出口をショートカットで繋げるブラックボックスを編み出すのです。

Episode 353 時代で違うと思うのです。
ASD×定型の関係性が時代によって変わってきている可能性はある件。

 今年で81歳になった父親が、50年以上も母親とやってこられた理由。
それは間違いなく時代背景です。
女性の人権が軽視されていた時代、三歩下がって三つ指ついて、父親のすることに母親が文句のひとつも言えなかった時代。
それが社会の常識だった時代です。

Episode 354 腹が立たないのも道理です。
感情と理論という両輪のどちらを重視するのかでASD性が理解できる件。

 仮に「こころの理論」の獲得が定型者並だったら「姉の好き≠私の好き」と理解していたでしょうから、必死で本を読む格好をしようとは思わなかったでしょうし、豪速球を投げた父親に「捕れる球を投げて!」って文句を言っただろうと思います。

Episode 361 精一杯の反抗です。
精一杯の反抗に安全マージンが付けてしまう辺りに自己を持てない弱さが。

 ただ、私はその後の一歩が踏み出せなかった。
所詮は高校の部活で、経営が順調な企業の話。
親を納得させる最終的なセーフティ・ゾーンが確保されている中での話で、リスクは全く背負っていないのです。

Episode 659 YMOが好きでした。
迎合して周囲に紛れる「受動型」も、全て抑圧されている…ではないよね。

 イニシアチブを握り、誉めてもらえるような項目が潜伏の中に散りばめられていたとすれば、全てにおいて自らを押さえ付けていたのとは違うことになるワケですよね。


ASDの「私の歴史」(家庭と仕事)

Episode 91 表計算は必須です。
ASDと表計算ソフトの相性の良さは融通の利かなさとか、イロイロ。

 何をどうすると欲しい結果の数字が出るのか…と考える作業はASD的な理詰めの感覚でカバーできるわけで、考え方を関数の数式に置き換えられるという点でハッキリと意思を文字に出来るのです。

Episode 92 タバコの管理は得意です。
販売管理の基礎を現場で学ぶためにタバコ販売が最適だった件について。

 いかにして店舗に求められる売り上げと利益を出すのか…。
その最初に教えられたのものがタバコの売り上げ管理という業務でした。

Episode 93 接客業は出来るのです。
ASDだから接客業が苦手とは限らない件について。

 (決まり切った)定型の会話が成立しないケースでは、自分の思考がフリーズして聴覚過敏が前面に出てくる前にマネジャーを捉まえてお客様のところに連れていけばいいのです。

Episode 94 上司受けは良いのです。
障害はマイナス側に働くとは限らない件について。

 入社丸4年で3回の昇任試験をパス、この会社でのスタートラインとも言えるマネジャー職に先頭グループで到達します。
意気揚々とマネジャーとして栄転です。

Episode 95 後では許せないのです。
「今」は「right now」というピンポイントを指す言葉だった件について。

 勤務先の会社で順調に出世街道を昇り、晴れてマネジャー職に就いた私は、部署長として部下を持つ立場になります。
そこで経験するのは、私と他者との「今」の感覚の差です。
今やれることをなぜ後回しにするのか…?
「今やります!」は、なぜ「right now」ではないのか…?

Episode 96 人はモノではないのです。
慮るができない上司は何を考えているか分からないとほぼイコールな件。

 ペラペラと話していたと思えば急に黙って考えだすマネジャーの姿…部下から見たら「何を考えているかわからない」不気味な上司に見えたことでしょう。

Episode 97 数値でカイゼンできません。
「見える化」の対象が人に向くと危険なことについて。

 「見える化」とは、工場で生産される製品の「品質のバラツキ」をどのように一定にして向上させるか…を、考えるためのツールであって、基本的には「対物ツール」なのです。
営業マンの成績を見える化して成功するとすれば、それは上司部下の強固な信頼関係と上司による部下の完璧なフォローが必要です。

Episode 98 出口を塞いでしまうのです。
得意な手法が時に致命傷になるケースは存在する件について。

 経費削減が得意中の得意でした。
何しろ、モノに対する管理法をダイレクトに繰り出せば良いのですから。
細かな時間別の売上や必要な準備作業を考え、人員を計算し不要な労働時間を削減する…とか、搾り取ろうと思えばあちらこちらにその要素は見つかるのです。

Episode 99 凸と凹はセットです。
苦手を理解せずに突き進めば無理が生じてどこかで頓挫する件について。

 原因はすべて私にありました。
一言で片づければ「人をモノと同じ土俵で管理した」ということです。
モノと同じ物差しで人の心は測れません。

Episode 101 知らずに先送りするのです。
環境を変えて再出発するとは、問題を先送りするとイコールである場合。

 前職での根本的な問題が解決される前に環境だけがリセットされる、良いようでそうでもないリセット…。
こうして私のASDという診断はどんどん先送りされていくワケでして…。

Episode 102 外回りはムリなのです。
外回り営業とインストア営業の違いについて。

 店舗営業では「再生」で何とかなったけれど、外回り営業は「再生」で太刀打ちできるような甘いものではなかったのです
相手のことが良く分かりません。
なかなか成果が出ないのは当たり前のことだったと思うのです。

Episode 103 答えがないのがツラいのです。
メーカーの「鉄板商品」が自分の成果に見えない苦悩について。

 飛び抜けた営業成績は出るわけもない中で、極端な売り上げ減にもならない、冴えない営業マンの正体は、どこにも足が着かない宙吊りの不安感を抱くASDの私でした。

Episode 104 タイムラグが苦手です。
今日の売上が過去の仕掛けによる「時間差」である気持ち悪さについて。

 外回りの営業の成果は遅れてやってきます。
仮に今日の売上が爆発的に上がっても、その仕掛けを作ったのは私の感覚では遥かに過去の話で、既に終わった話なのです。
それ故に、今日がんばった仕事の達成感にも繋がらないのです。

Episode 106 ホームに戻ってくるのです。
営業ではなく事務が私の主戦場だった件について。

 モノを相手にする仕事という「ホームグラウンド」に戻ってきた私は、部署の近代化という仕事を受け持つことになるのです。

Episode 107 家族は大事な存在です。
仕事と家庭の関係について(導入部)①。

 自分と他人、特に家族という身近な人との係わりについて、ASDの私というフィルタを通してどう見ていたのか、どう見えていたのかという話をしていこうと思います。

Episode 109 棚卸しが必要です。
仕事と家庭の関係について(導入部)②。
ASDという発達障害を持つ当事者として、発達障害を持つ(またはその疑いがある)子どもの親として、直接でも間接でも出来ることがあるのではないか?

Episode 111 妊婦の気持ちが分かりません。
あなたの理解が覚束ないASDの私とパートナーの妊娠について。

 新婚早々、ASDの私を困惑させる大問題。
表面的には「大変だね、横になっていて」と声をかけながらも、予定通りにコトが進まない状況にイライラする私。

Episode 112 スマートなフォローが出来ません。
約束は約束として線を引くことしかできないASDがいた件について。

 典型的なサラリーマンと専業主婦の形に納まるってことは、桃太郎のおじいさんおばあさんの生活スタイルって話でして、おとうさんは会社にお仕事に、おかあさんは家で家事を…って自ずと分業制になっていくワケです。

Episode 113 逃げ込む穴が必要です。
苦しくなった時に逃げ込む場所は必ず必要であるということについて。

 逃げ込む穴は、どんなことがあっても用意するべき。
その穴を埋めることは絶対に避けるべき。

Episode 114 気持ちが空回りするのです。
あなたに何が出来るのかは、私ひとりできめることではない件について。

 一番大変なのは当然パートナーで私はそれを支える立場だったのに、パートナー抜きで「私に何が出来るか」を考えてしまったあたりが最大の間違いだったわけです。

Episode 115 泣いてる理由がわかりません。
一家の大黒柱として家族を「養っている」と思っていた思い上がりの件。

 ハイハイを始めたばかりの長女とふたりっきりのアパートを思い、不安を募らせるパートナー。
念願のマネジャー職に就き、仕事絶好調でやる気満々の私。

Episode 116 思う気持ちはあるのです。
ASDの私でも、家族を大事に思う気持ちは存在することについて。

 勿論、家族を喜ばせるためにそれをしているわけですが、一般的に観光とは「価値あるものを見て回る」で〇と同じくらいに、「気の合う仲間と一緒に行動」して〇という部分もあると思います。
私にはその視点が欠けている…。

Episode 117 半分単身赴任です。
知らない街での核家族ASDが半分くらい単身赴任だった件について。

 人がまとまった休みを取る時期が一番忙しい休めない時期となれば、その時期は家族を放ったらかしにする時期となるわけです。
この時期を突いて「兄弟が実家に集まるから…」って何かしらの理由をつけて、パートナーはムスメを連れて帰省したまま、ひと月半ほどノンビリと実家暮らしをして帰ってくるようになります。

Episode 118 結局ひとりぼっちです。
仕事が上手くいかないことで配転されたことについて。

 仕事が目に見えて壊れ出してから家庭にいられる時間も減り、組織の弱った部分の穴埋めに自らが休日出勤するような状況が発生し…。
家でパートナーに初めて吐いた弱音が「仕事辞めたい…」でした。

Episode 119 「普通」のお父さんをするのです。
自分で考えて行動するスキルがないという「平和」について。

 家庭内で過ごす時間が増え、しかも「朝から仕事をする」ようになった私は、この時期は意外と家で「お父さん」していたのだと思います。
裏を返せば、仕事に「過集中」するほどのスキルがない、という事だったのだということでしょう。

Episode 120 自宅が逃げ場になるのです。
うまくいかない仕事から離れようとすれば自宅は逃げ場になる件について。

 正直言って、全く才能がなくて耐えるだけの営業職が面白いわけもなく、とっとと逃げ出して家で過ごしたいと思うのは当然の成り行きだったのだと思います。

Episode 121 自宅がたまり場になるのです。
黙っていてもOKな居場所があると「救い」になる件について。

 仕事が上手くいかないことが、逆に家族を安定させたのだと思います。
もちろん、そこには苦手な部分と向き合わなければならない過酷さはあったのですが、仕事も家族も両方ダメっていう最悪の状況には陥らなかったのです。

Episode 122 出せないことも善し悪しです。
自分を振り回さなければ、表面的には上手くいく受動タイプということ。

 自分の基準で物事が進むことは一切なくて、仕事上は上手くいかない営業マンが自分のカラーが出せるわけもなく、表面的に「再生」で誤魔化した「なんちゃって営業」に終始したわけです。

Episode 123 数に換算するのです。
見えないモノを見えるようにすることが楽しかった件について。

 「特売」と「定番」を分けて考える…個人的に数字の分析を始めたところでシステム開発から声が掛かる…「それ、形にしよう」って。
営業の形のない売り上げという「金額」を、具体的な商品の「数」に変換する作業は、私が目に見えるものしか理解できないから、目に見える「物差し」を作りたかったという発想がベースになっているのです。

Episode 124 カタチなるのが楽しいのです。
自分の思い通りのモノがカタチになることのたのしさについて。

 自分の頭で思い描いていた思考パタンを「理にかなっている」って、会社が採用してくれるわけです。
これが面白くないワケないじゃないですか。

Episode 125 アリジゴクに落ちるのです。
楽しいことに集中すれば見えないモノが発生する過集中傾向について。

 「仕事が楽しい」って素晴らしいことです。
自分のやりたいことをやって、それがきちんと評価されて、そして給料になる。
もう、願ったり叶ったりです。
ただ、ASD脳の人が一度こんな「楽しい」になってしまうと、今度はそこから抜けられなくなることも多々あるのです…いわゆる過集中の話です。

Episode 126 ロックオンしてしまうのです。
好きなモノにこそ集中し、それが最高だと伝えたい自己中心ができる理由。

 「私の気に入ったものを、家族にも気に入ってもらいたい。」
違ういい方をすれば「私の基準を理解してもらいたい」です。
その為には、あのクルマを「考えられる最高の状態」でパートナーに乗ってもらわなければなりません。

Episode 127 見守られて育つのです。
子どもの性格/性質と育つ環境のマッチングは大事な件。

 発達障害という認識が社会に浸透し始める前、私自身もASDでありながらASDの認識がなく、次女の「ちょっとかわってる」に気が付きながらも「普通」に育てようとしていた時期の話です。
もしもこれが幼稚園や保育園に入るのに大変な地域だったら…。

Episode 128 見極める時間がありません。
早期教育が求めるものの先にある「普通」の委縮を感じる件について。

 世の中はどんどんスピードを上げて時代が変化していくようになりました。
その流れと合わせるように、競って早期からの教育に力を入れるようになってきたと感じます。
ただ、この流れに乗り切れなくてこぼれてしまう子どもが多くいる。

Episode 129 子ども目線に立てません。
自分が苦しんだハズの「普通」を子どもに求めてしまう件について。

 振り返って自分自身が自分の親に「左利きが…」とか「ひとり遊びが好き…」とか言えたか?
自分が親の立場に立ったときに、子どもの「順調」な成長を願ってしまうし、出来ないことは心配してしまうわけです。

Episode 130 完結させてしまうのです。
家族のために「仕事ガンバル」を独りで勝手に決めてしまう件について。

 「新しい家族も増えた、家族のためにも頑張るぞ!」
私なりに家族のためにも頑張らなきゃ…と思ったのは本当です。
ただ、頑張る方向は常に自己完結できる方向だった…職場でも家庭でも。

Episode 131 平穏ではなく凪なのです。
周囲の支えがある平和な時期を「平和」で流してしまう失敗について。

 平穏な2年間には、平穏な理由がキチンとあったのです。
平穏な間に出来ることはいっぱいあったのだと思います。
でも、その時期の私は…子どもを見るはおろか、パートナーとの意思疎通もどうだったかと思うのです。

Episode 132 後悔先に立たずです。
平和の上に胡坐をかくと、崩れたときの対応に慌てるという件について。

 長女と次女、ふたりが別々の理由で不登校の方向に向いてしまった2005年の初夏、そこに持ってきて2歳半にもならない長男がいて…。
パートナーは3人の子どもを抱えて一気に窮地に追い込まれるのです。

Episode 133 SOSを出すのです。
抱え込まずに助けを求めるということの大切さについて。

 見る見る間にパートナーは余裕をなくしていきます。
精神的に追い詰められれば、合わせたように体力もキツくなる…。
パートナーの弱り具合に焦りを感じた私は、意を決して義母に電話するのです。
「助けてくれ」と。

Episode 134 新しい風が吹くのです。
大切な人の気持ちを落ち着かせるのに大切なものとはなにかについて。

 義母は私とパートナーの考え方に新しい風を吹き込んでくれました。
「学校は、休んでも良い。」たったそれだけのことです。
でもこの一言を夫婦以外の信頼できる人から聞けたことは、私とパートナーの気持ちをどれほど軽くしてくれたことでしょう。

Episode 135 安定で凍り付つくのです。
ASD的なルーティンの良い部分と悪い部分について。

 自分で動きやすいルーティンを作り上げるところまでは周りとの関係を考えているのですが、そこで一定の型が出来上がって安定して平穏に見える状態が作り出されると、そこで関係が固定してしまって凍りつく、そこから周囲の状況が変化することを拒むようになる…と言うことです。

Episode 136 ペットに救われるのです。
ASDの私とあなたの間に必要なスペースを作り出すペットについて。

 「クッピ」と「にゃーちゃん」には本当に感謝してます。
ASDという特性を持つ私がダイレクトに子どもと接すると、私の言っていることが理解できない子どもたちにイライラしてしまうことが多いのです。

Episode 138 そしてキャンプにハマるのです。
「ゆるい」共同作業がもたらす良好な関係を作ることについて。

 キャンプという緩い共同作業をすることで一体感は出るわけです。
ペットの面倒を見るのも同じです…緩く共同作業をして繋がっている感じでしょうかね。
ポイントは自分のペースを維持しながら、それをごり押ししないで済む環境があるか…ということなのです。

Episode 139 BBQではダメなのです。
キャンプのメインにダッチオーブンを置くという共同作業について。

 火の前でドッカリと腰を下ろし、酒を呑みながら周りを見渡す余裕のある鍋料理やオーブン料理は、手抜きのコツを覚えればASDとの相性はとても良い。
火の番は非常に重要な安全確保のポイントですから、核心を握って座ってられるわけですよ。

Episode 140 再出発をするのです。
努力は当たり前ではなく、最大限の誠意だと思えるものだと感じた件。

 その世界がどんな世界なのかは想像するしかないのですが、クラス経営に失敗するクラスを出すということが、担任教師が替わると言うことが、失敗が許されないだろうと簡単に想像できる「公的機関」や「聖職」というポジションでは、想像を超える厳しい状況なのだろうと思うのです。

Episode 142 やっと本拠に動くのです。
当初の理由は時間を置いて今の理由になり得ないかもしれない件について。

 そこで私は、今まで経験したことがない難しい局面を迎えることになるとは異動当初に知る由もなく、希望を胸に職場に向かうのです。
ここから先は、私が躓き、その根に発達障害があったのだと分かり、それを受け入れて今に至るまでの話です。

Episode 143 鳴り物入りはダメなのです。
期待が大きいと即戦力としてのハードルが上がる件について。

 会社に勤めていて職種が変わらずに異動する場合は、新部署で自分のカラーを出して仕事を進める前に、現状のやり方を理解して慣れる必要があります…そこが問題。
期待値が高ければ高い程、入ってきて直ぐにバリバリと仕事をこなすことを要求されてしまうのです。

Episode 144 地域差を感じてしまうのです。
自分の感性に合う地域は存在し、発達障害がその範囲を狭めている件。

 地域性というのはどうしてもあるもので、それが良い悪いではないんです。
ただ、私のような気持ちを推し量るのに難があるような人にとって、反応が良い地域から反応が弱い地域への引越しがもたらす感覚の差が、ストレスの原因になりうるというのは経験上の事実です。

Episode 145 凹が目立ってしまうのです。
入れ替わりの少ない部署のマニュアルの潜む危険性について。

 食品メーカーの事務方なんて、常に新人が採用され続けるファーストフードやファミレスのチェーン店とはワケが違うのです。
マニュアルが必要とされる頻度も違うから、マニュアル自体もあまり必要に迫られないワケで、使いにくさの意見が出ないから成熟して行かないのです。

Episode 146 そして追い詰められるのです。
作業を理解するための「なぜ」の部分が抜けることの気持ち悪さについて。

 流れていく作業を「良いからこの手順で覚えて!」って言われても…。
ああして、こうして、こうなるから…の部分がないと私の頭の中には全く入ってこないのです。

Episode 147 自覚だけではダメなのです。
ASDを自覚するだけでは不足で、自覚した後の方が大事だということ。

 誤解を恐れずに敢えて言えば、竹宮恵子先生の名作マンガ「地球へ…」で描かれる「不適格者(=ミュウ)」の存在こそ発達障害の世界であるような気がするのです。

Episode 148 現場に復帰するのです。
工場の力仕事というのは、意外とASDに合う部分があるかもしれない件。

 この部署に配転されると言うことは、病気の有無に関わらず、リストラの対象ですよね。
でも、私にはそうは映らなかった。
だって自分だけで良い、対人関係はほとんど考えずに済むのですから。

Episode 149 経験が役に立つのです。
持ち合わせた知識を今に活かせる場面は必ずどこかに訪れるということ。

 ここでまた私は「どんぶり勘定」と出くわすことになるのです。
「叩き上げ」が多い現場の人間で、効果的にデータ分析を使う人が少なかったワケです。
工場でのひとり仕事は、自己流のルーティンを作るのに最適だった。
そして、そこに以前経験した数値管理の応用が利いた。

Episode 150 QC手法が得意です。
現場で数字が扱えることに優位性が発生することについて。

 数字で具体的に示す…とは、自分自身の作業の根拠を示しているということで、それ故に「この数字が出るからこうなります」と説明できるのです。
現場作業者の多くは、この部分の説明が上手くできないのです。
そういう意味でデータの積み上げから問題点を把握するQC手法は、私の行動パタンとマッチしていたワケです。

Episode 151 同じ失敗をするのです。
同じことで頭角を現し、同じことで失敗するのは自分を知らないから。

 「凸凹に早く気が付いて!」というメッセージを送り続けるのは、凸を評価されて這い上がっても、凹に足元を掬われるからです。
だから、凹という「落とし穴」を意識して凸を使わないといけない。
理想を言えば、落とし穴を意識して避ける道を会社や社会と一緒に共有できれば一番いい。
少なくとも、自分自身が落とし穴の存在に気が付いていないと同じことの繰り返しをすることになる。

Episode 152 訓練次第で出来るのです。
マルチタスクは訓練によってマルチではなくなることがあるということ。

 重要なのは「嫌じゃないこと」だと思います。
結局、身についたそういう能力って、苦痛を伴わない訓練だったからだと思うのです。

Episode 153 落とし穴が見えません。
自分の苦手に対する誰かの態度が同じとは限らないということ。

 工場長というのは工場の安全衛生と予定された利益を創出するための工場のトップ、最高責任者であって、飾りではありません。
どの様に工場を運営するのかは、トップの考え方が色濃く反映するモノなのです。

Episode 154 漸く決心するのです。
自覚から自認に向けて必要な診断を受けるにも決心がいるということ。

 何度となく這い上がっては、その度に谷底に突き落とされてきたのです。
漸く、自分自身にぽっかりと空いた社会的な不適合を抱えた落とし穴を発見する決心をするのです。

Episode 155 スタートラインに立つのです。
診断結果を聞いてスタートラインに立つかどうかは自分次第ということ。

 「劣等感なく発達障害を受け入れる。」
これから先、人生を歩いて行く上で重要なキーワードになると、私は思うのです。

Episode 157 すれ違うのもアリなのです。
夫婦の生活時間が物理的にすれ違うことの効果について。

 すれ違ってみれば、家事は平等に分担するし家族のことは考えているしで、私自身で言うのもアレですが、思った以上に「良い亭主」だったのだろうと思います。

Episode 158 正解とは限りません。
環境が変わることがプラスに出るかマイナスに出るかは時による件。

 結果的に、望んで手に入れたホームグラウンドへの異動で、まともにプラスの結果を出せたのは、そもそも誰とでも仲良くできる感じの長男くらいのもので、他の家族はそれぞれ壁にぶつかってみたり、足元を掬われたり…。

Episode 159 周囲の支えに気づくのです。
自分自身の不調で大切なものに気が付くことがあるということ。

 私自身、今までもずっと支えられて生きてきたのです。
でも、それに実感が伴っていなかった…そう、子どもらが当たり前のようにご飯の準備をしてもらい、食べおわって片づけてもらえるかのように、全てが当たり前だったように思います。

Episode 160 再び歩き出すのです。
単純作業の部署でも仕事を与えてくれる安定は重要だった件。

 リストラの失意を感じるかどうかは、個人の問題です。
前職では出世頭で、最短距離でマネジャー職に到達し、この会社に移ってからも、2019年の今現在もキチンと稼働しているシステムを開発し、製造部署の親方も経験しているのです。
ここだけで見ればプライドをズタズタにされるほどの左遷人事なワケです。

Episode 162 出世が全てじゃありません。
うさぎドロップに思う、仕事や出世が全てではない件について。

 「どうしようもない」と思われる部署が、本当にどうしようもないのか…といえば、私はそんなことはないのだと思います。
確かに出世コースから外れて、会社の運命を左右するような「やり甲斐」のある重要な仕事は出来ないけれど、重要な仕事をすること「だけ」がやり甲斐なのかと問えば、それはまた No だと思うのです。

Episode 163 実績が期待に化けるのです。
完全クローズ就労であれば相応の仕事を求められる件について。

 リストラされた部署に入っても、自分に対しての期待感があれば悪い気はしないものでして、何となく流れに乗ってしまったのは事実です。
「まぁ、私で出来ることなら手伝いますよ…。」
結果的に私は上長の仕事を手伝うことになってしまうのです。

Episode 165 止める術がないのです。
出来る仕事を与えられた時、何とかしようと思ってしまうのは普通のこと。

 気が付けば、宵越しの仕事は持たないハズの出荷業務を受け持つ物流部門で、年単位の宵越しの仕事を抱えてしまう私がそこにいました。
自覚して自制しているハズで、自制できない。
それはブレーキの甘い自転車で下り坂を行くみたいな話だったのです。

Episode 166 言い続けるのはシンドイです。
施策を実行に移してから、それからの作業がキビシイのだということ。

 同じことを言い続けるのもしんどいし、言われる方も「イヤ」になってくるのです。
「何度も聞いたわい!」
「だったら言われないようにせんか!」
定着してしまえば、それが普通になるので、何のこともないのですが…。

Episode 168 分かっていても事故るのです。
苦手を知っていても止める術がなければ事故は起こるということについて。

 私には、人をまとめる力がない。
それはASDとしての私は分かっていても、クローズ勤務の上司が知る由もないのです。
今回の物流部門のできごとは、私自身の欠点を人に話せず内側に閉じ込めて…自滅です。

Episode 169 隠しごとはツラいのです。
自分の苦手を知っていてそれを隠しながら仕事をするストレスについて。

 配送センターで仕事をしていて、急に涙が溢れて止まらなくなる…多分カラダがSOSを出していたのだと思います。
ショックでした…もう少し「何とかなる」と思ってたのに、今回は自分自身で発達障害の特性に気が付いていたのに。

Episode 170 統一感が必要です。
診断あり・手帳なしという「宙ぶらりん」な感じが嫌だったことについて。

 手帳を取得して、それを行使するかどうかは取れてから考えよう。
とりあえず、自分自身の中の食い違い感…医学・心理学的見地と社会的見地の統一が成されれば、問題がひとつ解決するのではないか?

Episode 171 ありがたく黙認されるのです。
良く知らない言葉を信じず、見たものを信じる上司の姿勢に救われたこと。

 新しい上長は黙って話を聞いてくれて一言…
「あなたの仕事ぶりを私が確認してからです。」
上長は発達障害に対しての具体的な知識や理解はない人でした。
でも、自分の目で見たものを信じるとハッキリと言ったのです。

Episode 172 ケアは欠かせないのです。
3級の手帳を取得して、その等級が意味することを考える件。

 私自身の心が「ブレーキが甘い自転車」であることは良く分かったのですから、最低限の定期メンテナンスを欠かしてはならないのです。
上司にはそのことを理解しておいてもらうのが「賢い立ち回り」なのだということです。

Episode 173 キチンと話しをするのです。
発達障害の発達凸凹を自他共に理解することの重要性について。

 会社の評価システムは間違いなく定型者向けに作られているわけで、特定の分野が高評価を取ると、その分野がそのレベルなら他の分野でもそれなりにって感じに…勝手に基準が上がる仕組みになっていることが多いからです。

Episode 174 これはひとつの答えです。
障害者雇用に関しての柔軟な考え方のスタイルなるかもと思うこと。

 私の上長は、障害者に対しての専門的な知識を持ち合わせていません。
でも、私の障害のレベルであれば、知っていていただき、他の従業員と同じレベルのストレス配慮の中で、私が受けている定期的なケアの状況を上長に報告していることで仕事は成り立つのです。

Episode 187 悪循環がおきてます。
私のことを伝えられない結果として悪循環が起こるということ。

 自分らしく生きようとする結果が「カサンドラ症候群」を生む…。
このジレンマをどのように解決するのか…。
解決の糸口が見えない袋小路に迷い込んだ気がします。

Episode 188 違う理由が欲しいのです。
私が理解できないことを受け止める余裕が無い件について。

 長男の言い分は、大好きなキャラのスマホケースが手に入ったのだけど 6 用だった、だから通信設定しないで iPod として 6 を使いたかった…ということのようです。
理由が分かればどうでもない話なのです。

Episode 190 切り替え作業が苦手です。
気持ちを切り替えて仕切り直すことの大切さと難しさについて。

 「あ、ごめんね! また喋り倒しちゃった。」とか、
「また質問ばっかりしちゃった。」とか、
スパっ!と自分がダメだったところを認めて深呼吸ひとつで切り替えることが出来れば、その「ごめん!」が会話の入り口になるのにね。

Episode 197 上手く親父になれません。
子どものことを信じて「やりたいこと」が見つかるを待てなかった私。

 振り返って、私は長男がやりたいと思ったことを言い出すのを、粘り強く待っていたのか?
ASD的な予定調和が長男の人生にレールを敷いていなかったか?

Episode 198 Automatic な私です。
自分がレールに乗ってオートマチックに成長したように思うことについて。

 宇多田ヒカルが "It's Automatic" って歌うあの恋の歌、あの Automatic なイメージはきっと、どうしてもそうなってしまう感じが強烈な印象を残すのでしょう。
私は恋愛に限らず、全てにおいて Automatic だった。

Episode 200 自己中心を悔いるのです。
家庭内の毒とは、青酸ソーダではなくてアスベストのようなものかも。

 子どものことを一生懸命に考えた私の行動が「毒」になっていたのではないか?
それは「青酸ソーダ」のように猛毒の即効性があるものではなく、「アスベスト」のように静かに体内に溜まって肺を侵すような、家庭内の空気中に漂う塵みたいなものだったのではないか?

Episode 201 「良かれ」が良いとは限りません。
私があなたを思うことは、あなたにとって心地よいとは限らないという件。

 子どもにとって私は厄介だったのだと思います。
理論的には私は正しいのです。
自分の考えられる最善の方法でのルートを作り、時刻表にする。
そこに寄り道はありません。

Episode 202 距離が近いとダメなのです。
正論パンチが届く範囲の気詰まり感はアスベストのような不快感に似てる。

 ASD的なコミュニケーション能力の弱さが作り上げる「予定調和」的な世界観と、子育ての「現場・現物合わせ」的な折り合わせのズレが、立場の弱い子どもたちにだけストレスを与えていたのだろうと、今になって感じるのです。

Episode 203 自他の区別がつきません。
相手を思う程にあなたの気持ちを乗っ取ってしまうという特性について。

 自分の子ども時代を振り返り、同じように考えるようにならない子どもたちにイライラする。
結果的に、表面上はリベラルを装いながら、理論武装した独裁を敷いていたのではないか?

Episode 206 距離を置くのが大事です。
ASDのコミュニケーションの取り方で「距離を置く」というのもアリな件。

 子どもたちが家で同居していたころを振り返り、そして同居で現在進行形の長男を見て、私には物理的に近い距離の人への精神的な距離の取り方に問題があると理解するに至るのです。

Episode 207 出来ることをするのです。
ルーチンワークのあり方を上手く共有することで出来ることについて。

 帰宅後のタイムテーブルとしてルーティンワークを共有するようにすれば、流れに乗って家事を分担できるというワケです。

Episode 213 意外なところで繋がります。
「料理ができる」は、仕事で覚えた技術だったハナシ。

 私の調理技術は店舗運営に必要な技術として仕事上で習得したもの。
だから私の作る料理は家庭の味ではなく、レストラン or 居酒屋風になってしまうのです。
後にこの会社を退職して某中堅食品メーカーに転職するワケですが、前職で身に付けた調理技術は家事を行う上で大きな助けとなったわけです。

Episode 218 蝶ではなくてモグラです。
外用の技術を家庭で使う発想の乏しさは、コミュニケーションの弱さかも。

 畑の上を飛ぶ蝶のように「食事の準備という花」を飛び回れたのなら、上空から俯瞰して「仕事花」と「家事花」を上手に行き来できたのでしょう。
でもモグラの私は畑の土の中で「仕事花」の根の周りをウロウロして「家事花」の根にたどり着けなかった。

Episode 219 察しをつけられないのです。
家庭料理と仕事としての調理で、何が違うのかが分からないこと。

 仕事ではなく家事として料理をするという「回路」が繋がっても、家庭料理はどのように仕事のでの調理とは違うのかの理解は、それとはまた別の回路の話です。

Episode 245 言い放ってしまうのです。
家庭の状況が日々変わることへのストレスと我慢の限界について。

 ついに「私は変わらない!」とパートナーに言い放ってしまうのです。
修正に次ぐ修正に疲れ果てた挙句の「修正放棄宣言」でした。

Episode 246 上手に充電できません。
ASD的な"Home"は、「ルンバ」の充電ベースに似ている件。

 仕事を終わらせた私は、"Home"に帰るのです。
それは当にロボット掃除機が充電器に戻るような話です。
独身時代と結婚してからと「何が違うか」と言えば、この"Home"の状況が違うのです。

Episode 251 地道に経験するのです。
「誰かを慮る」と「二人称が消える」との境目とは。

 中途半端でマゴマゴするだけの4日間が過ぎ、義父母が帰っていた日の夜、パートナーは涙を流して「あなたの態度は何なのか?」と訴えてきたのです。
興味がない時はスマホを弄り、積極的に会話に参加しようともしない私に嫌気がさした…と。

Episode 252 逆に上手くいくのです。
「ひとり」が物理的に可能なことで出来ることが広がる可能性はあって。

 休みが合わないことが、逆に物理的に適度な距離感を作っているのかもしれません。
こんな生活が、かれこれ9年間続いています。

Episode 253 共通認識が必要です。
物理的な「ひとり」に明確な理由付けがあることの安心感について。

 適度な距離を置くための「天の川」の、その正体をハッキリさせておくことはお互いの気持ちの安定のために重要なことだと思います。
合意のない「天の川」は悲しみを作るだけだと私は思うのです。

Episode 259 目的自体がズレるのです。
親の介護に思う、現場合わせの苦手という事実について。

 現場合わせの話の中から真意をつかみ取る能力が無い。
結局「両親に会いに実家に行く」という予定調和で行動せざるを得ない私と、会ってどうするのかを望む実母とには思考の差があって、それを埋められないのです。

Episode 274 パートナーに感謝です。
時代背景に翻弄された社会と生活の関係で思うこと。

 時代はゆっくっりと全ての人権を尊重する時代に向かって動いているのだと思います。
今この時代になって急に発達障害という定型ではない思考パタンを持つ人が誕生したとは考えられません。
古い時代にもそういう人たちは存在していて、そして社会に溶け込んで埋もれていたのでしょう。

Episode 279 新生児の記憶がありません。
「子どもと一緒に」ということの少なさは、幸運か、不幸か。

 ASD者が三世代同居が当たり前の時代に生きてこれた理由…その一端を私は体験したのだと思います。
唯でさえ「ワンオペ育児」が社会問題になっている時代、無自覚なASD者とパートナーで核家族を構成するという現実は、相当な高難易度だと言わざるを得ないと思います。

Episode 280 同じ環境で2人目です。
子どもの乳児期にASD的な核家族夫婦を経験しないということ。

 パートナーの実家の手厚い援助もあって、無事に育つふたりの愛娘。
いずれにしても、自分自身のことで手いっぱいの私は、ふたりの子育てに参加していたのかと問われれば、No としか答えられないのです。

Episode 281 失われると病むのです。
ASD的な仕事と家庭の両立は、好調だから維持できるということ。

 あのころ、ひとりの時間が作れなかったことが苦しかった。
仕事も上手くいかない、家族とどのように過ごしていたのかも分からない。
私は空っぽでした。

Episode 282 寄り付かないのも道理です。
ASD的な「これは!」と思える分野が世界を変える仕組みとは?

 子どもたちが小さかったころ、私は子どもたちと一緒に遊んでいた記憶がほとんどありません。
簡単なことです。
幼い子どもたちが、大学を卒業して曲がりなりにも社会人で管理職を経験した私のやり方が理解できるワケがないじゃないですか。

Episode 361 良い子が歪みを作るのです。
ASD受動型とアダルトチルドレンの親密性について思うこと。

 私は虐待を受けたことはありませんし、それ故に親に対してのトラウマはないと思っていました。
ただトラウマがあることと、歪んだ感情があることは必ずしもイコールで結ばれない。
パートナーに散々言われた「素直に」の意味が漸く分かり始めて、理想の息子を演じるために自分の気持ちに蓋をする私が見えてきたように思います。

Episode 394 偶然の中の必然です。
長くクローズ就労が続けられたのは「環境」が大きいということ。

 20年勤続できたのには…やはりそれなりの理由があるのだと思うのです。
それには、この会社の業務内容と規模に秘密があると私は思っています。

Episode 395 一匹狼ではありません。
「独りがラク」なASDは、必ずしも一匹狼ではないという件。

 ASDは我が道を行くタイプが多いと思われがちです。
実際に私もそのような部分があって、独りでいることが多かったのです。
ただし、それは「一匹狼」ではなくて、組織の中での孤立です。

Episode 396 守備範囲が広いのです。
メーカーという組織がASDに有利に働く可能性がある件。

 社内での「リトライ」が可能な「メーカー」のような業種を選ぶというのは、安定して仕事をするための、ひとつの方法なのかも…と思うのです。

Episode 397 プライドなんか要りません。
現場仕事×ASDが考えられないといけない理由は何だろう…と思う件。

 ブルーカラーはホワイトカラーよりも立場的に低く見られがちです。
でもそれは、どちらの仕事がより自分の性に合っているのかと、全く関係がないのです。
大卒のプライドにしがみ付いて、向いてないホワイトカラーの業務に固執していたら、私の人生はこんなに豊かにならなかったでしょう。

Episode 398 やってみることが大事です。
現場の仕事に入ることで見えてくる得意もあるというハナシ。

 現場たたき上げの部署は数字に裏付けられた改善提案が非常に苦手のことが多くて、感覚的に上手くいく方法を作業員がそれぞれ独自で編み出しているのに、それを部署内に展開することができないのです。
私に勝負できる「武器」は、そこにあった!

Episode 399 永年勤続に感謝です。
永く面倒を見てくれる会社との出会いは大きな幸運だったというハナシ。

 勤続20年…見捨てずに面倒を見てくれた会社に言えるのは「ありがとう」の一言。
安定した雇用の中で長い時間を掛けて特性と向き合うことが出来たのは、私にとって最大級の幸運のひとつだったのです。

Episode 446 袋の緒が切れ気付くのです。
ASDの自覚に導くイベントとは何なのか?

 向き合わないと自覚に繋がる袋は思うように膨らまない。
でも、向き合うことは自分の袋にも相手の袋にも「花粉」を溜めることになりかねないのです。

Episode 482 介護の話を始めます。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと①。

 ASDの私が、私自身のASD特性を通して父の認知症と、その介護をする母を、どのように見ていたのか。
この視点をお話しする必要があるのではないか…と感じています。
ASD的な「相手の視点に立てない」が、介護の現実に影響を及ぼすことがあるのではないか、そう思う点があるのです。

Episode 483 「長男だから」と思うのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと②。
 
私がこの会社に入って20年もの歳月が流れてしまったのですが、今思えば「介護ありき」でこの会社を選んだ部分はあったのだな…と。
そして、その考え方の基本的な部分に家制度にまつわる「日本的な家族の道徳観」があったように思うのです。

Episode 484 農家の真似ごとをするのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと③。
 
その頃の私はと言えば、なるべく両親が自力で出来ることには手出しをしない…と言えば聞こえは良いのですが、「郷里の家」とは距離を置くようにしていたように思います。
衰えていく両親の姿は会って話せば明白で、それを受け入れきれなかったのが本音でした。

Episode 485 火の始末をするのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと④。
 
父にとって、ガスは「豊かさの象徴」だったのかもしれません。
そして私は、その気持ちを汲むことなく「物理的な最善」を何事もなかったかのように提案したのかもしれません。
これをASD的な物理的・具体的な最善を冷静に選択する良い部分と見るか、冷たい部分と見るか…。
今となっては、父はその答えを話してくれないのです。

Episode 486 ループで疲れてしまうのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと⑤。
 
今日一日、今日だけなら何とかなる…でも。
言って理解してくれて、でも先に進まずにスタート地点に戻ることは、ASD的思考ではなくても、精神的にかなり削られると思います。
そこに私のASD的な特徴のひとつである「予定調和」があるとどうなるか。
私は自分の行動を「工程表」で管理してしまうことで安定を得る、その思考方法が根底から成り立たない、先の予測が立たない霧の中でどれだけ耐えられるのか?

Episode 487 クルマが助けてくれたのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと⑥。
 
クルマを引き取ってもらい、免許を返納するきっかけになったのは、クルマが動かなくなるという物理的な出来事でした。
私がASDと診断される直前のことです。

Episode 488 気持ちを汲めていないのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと⑦。
 
認知症を患う方は、記憶の歯抜けがあったり短期記憶が極端に弱くなったりして辻褄が合わないことを言ったり、同じことを何度も聞き返したりしてしまうのですが、だからといって感情がなくなるワケではないし、その気持ちを全て忘れてしまうワケでもないのです。
母は「父の気持ちの部分」を汲もうとしていた…では、私は?

Episode 489 理屈じゃないを知るのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと⑧。
 
「日中を手放すからには、夜は守りたい。」
母を頑なにさせてしまったのは、私の合理的すぎる思考だったのかも…と思うことがあるのです。

Episode 490 摺り合わせないとダメなのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと⑨。
 
この期に及んで「ようやく」意見のすりあわせによる妥協に活路を見出した私は、今までの私の身の回りの出来事を振り返り、ASD思考の摺り合わせの難しさがいつも私に付いて廻っていたことを思い知るのです。

Episode 491 「一歩遅い」を悔やむのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと⑩。
 
介護の話が、どれもこれも一歩遅い。
デイサービスの提案も、夜の大変さの察知も、ショートステイの提案も。
それぞれの出来事の察知が、もう半年…いや、もう3ヵ月早ければ、大ごとになる前に対応できたのかもしれない…。
暖かく介護しやすい夏場までに「ショートステイ」を始められれば、寒さが気になる秋が深まる時期に立ち行かなくなることはなかったのかも…。

Episode 492 ふたつの確認が必要です。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと⑪。
 
誰かを介護をするとは、ふたつの意思確認が大事になるのだと思うのです。
ひとつ目は介護者の気持ちの問題…これがないと介護にならず、下手すれば当事者に対しての「暴力」に繋がりかねないのです。
そしてふたつ目は、客観的な介護負荷の判断です。
そのために必要なのは、絶対に介護者ひとりで判断させないこと。
最低「二人以上」で現場の状況確認をして、過度の負荷がないことを確認しあうこと。

Episode 493 折衷案を試すのです。
「認知症父親×ASD息子」の組み合わせで介護する…に思うこと⑫。
 
デイサービスとショートステイを併用して、介護者が納得した上で負荷を減らす体制を、「母が倒れる前に」実現できなかったことを私は残念に思います。

Episode 536 親の受容が重要です。
親が子を認めない結果として、子が親を容認できない可能性はないか?

 親が子どもの障害を理解していないことで発生する子ども側のダメージは、親をフォローすべき年齢になった時に「フォローする気になれない」という形で吹き出す可能性を感じるのです。

Episode 640 グチを後悔するのです。
愚痴を言ってはいけないとは言わないけれど、言う場所はぶべきだよね。

 私のTwitterに投げた「グチ」が、日本社会に平均的に普及している職業に対する倫理観(道徳)と交ざり、職業に対する倫理感の強化に繋がっている可能性はないか?
それがガチャを構成する職業に対する平均的な倫理観(道徳)を補強している可能性はないか?


自助会立ち上げと運営

Episode 156 機会があるのが大事です。
地方都市で自助会を始めようと思った頃の戸惑いについて。

 地方都市だということもあり、絶対的な人口が首都圏・近畿圏などの大都市圏に及ばないのは事実です。
それ故に、発達障害を扱うサークルも、ネット検索できる辺りでヒットするのは「自助」を目的とするものではなく、「支援・援助」を目的つとするものが多く、なかなか自分自身が欲しい仲間や情報にたどり着けないのが実情でした。

Episode 164 出し合う機会が欲しいのです。
なぜ自助会を立ち上げようと思ったのか、その理由について。

 そもそもがマイノリティな発達障害者たち、しかも社会でうまく行かない人が多い分、意見を交換し合う仲間も少ない。

Episode 167 続けることが大事です。
先ずは集まれる場所を作ること、意見はその後のこと。

 正解かどうかわかりませんが、発達障害者という「さざれ石」が仲間とともに「巌」になる道筋を途切れさせてはいけないような気がするのです。
地方と全国を繋ぐオンラインに、私は希望を感じているのです。

Episode 185 誰かの助けが必要です。
同じ悩みを持つ者同士が集まる意味について。

 何のためにサークルを作り、運営するのか。
パートナーが20年近く前に経験したことを、私が今になって追いかけている気がします。

Episode 192 人それぞれの個性です。
同じ悩みを持つあなたと出会うことの意味について。

 発達障害の当事者は「発達障害者」という一括りに捉えられがちですが、私と同じASDという診断を受け、同じ3級の手帳を持つ同性の彼の話を聞きながら、「こうも違う経験をしてこられたのか」という違う個性を持つ人間として当たり前の事実を改めて感じたのです。

Episode 199 ちょっと聞いてがしたいのです。
自助会というのは、心軽く喋れる場であることが大事な件。

 お茶飲み話をしながら決まったことは、「何も決めない」ということだったのだと思います。

Episode 220 参加者みんなに感謝です。
初めて自助会を開催した感想とお礼の話。

 目の前に同じように感じている人がいて、話しが出来ることに感謝する。
この出会いに感謝して、次回につなげようと思うのです。

Episode 255 雑談会で良いのです。
2回目の自助会と雑談会の意義について。

 障害をオープンに出来なかったら、絶対に喋らないような内容が含まれていたから。
それは、喋っていい安心感みたいなものだと勝手に思っています。
これで、良いのだと。

Episode 283 雑談に発見があるのです。
3回目の自助会で感じた個人ごとの環境差と地域特性。

 私の住む街は政令指定都市…と言っても、平成の大合併で何とか政令市になった中堅都市。
選べるくらいのクリニックはあって、でも近隣市ではそれ自体が難しかったりするわけです。
それぞれの個人が抱える環境も違うのです。

Episode 370 チカラを感じる継続です。
地方都市での自助会の継続とニーズについて。

 オアシスのような地方都市には単独の専門店が少ないのです。
大手量販店のショッピングモールのような複合施設を用意しないと、個店の魅力だけでの集客は見込めない…。

Episode 371 飾らないのが良いのです。
困っていますが言えいる安心感について。

 私、困ってます。
これを飾らずに言える場所であること。
私が目指す自助会の姿はこんなにもシンプルで、これほどに意味のあることだと思い直すのです。

Episode 384 続けることが大事です。
自助会は継続することに意味がある…の理由とは?

 ひと言で言えば、定例会を開くという行為だけ。
それを続けること…それはつまり、次に真の姿を解放できる場所をキチンと用意しておくということ。

Episode 414 成長しなくてよいのです。
自助会に必要なことは、門戸が広く敷居が低いことではないかという件。

 私は今住んでいるこの街で、山本直純氏と同じことをしたいと感じているのだと思います。
私ができることは、足元の地面を踏みしめてその景色を眺める…ということです。

Episode 496 言葉に定義が欲しいのです。
自助会という言葉の難しさと定義について。

 自助とは、マイノリティが自らを支えるために必要とする生き延びるための知恵。
自助会とは、「自らを救うために自ら行動する会」だと言うことが、言葉としての共通認識になってほしいなぁ…と、私は思うのです。

Episode 500 持ち帰るのは気持ちです。
「自助」には何が求められているのかを考える。

 私は先に記したnote記事の中で、「生き延びるためにそれぞれの知恵を持ち寄り自助のコミュニティを作る」と指摘しました…それを踏まえて。
私が指摘した「自助」と、首相が掲げた「自助」の共通点として浮かび上がるもの…それは「自ら動き、自ら掴み取る」なのかな…と思います。

Episode 519 居座ることでの成長です。
成長しないという進歩もあるということ。

 繰り返し何度も話される内容は、何とか自助グループにたどり着いた「あなたが一番『知りたい』と思っていること」だ、ということ。
それは、「一回聞いただけで納得できるほど簡単なものではない」ことが殆どだということ。
何回も「聞いて話して」…をしているうちに、自分の中で安定した考え方ができるようになってくるということ。

Episode 564 勧める理由を話すのです。
自助会は当事者だけに発見がある…ワケではありません。

 「ASDの私は、今後あなたとどうしていきたいのですか?」という問いに答えを出す必要があると考えます。
そして「あなたとともに楽しく生きたい」という答えを出したからこそ、「あなたと対話する決心」が強く私を動かすことになるのだろうと思うのです。

Episode 607 「あなたが」ではなく「私が」です。
自助会が自分のプラスになるには、タイミングがあると感じる件。

 パブリックにオープンに話すなら、「あなたが」ではなく「私が」であることは、きっと大事なことだと私は思うのです。
自助会に参加されるなら、「私のことが語れるか」がひとつの目安になるように思います。

Episode 620 逆転で気付きを得るのです。
自分の能力や知識の向上が、参加の敷居を高くしている可能性はないか?

 私の理想とする自助会は、成長しないことです。
敷居を下げ、間口を広げ、同じ場所で同じことを粘り強く…でも。
いつの間にか身に付けたスキルが、自分の目指すものを遠ざけていた可能性は否定できません。

Episode 710 それは「冷たい」ではありません。
自助会は自助だから、「自助であることを貫かなければならない」のです。

 「私の悩みの理解」をするのは自助会ではなくて私、「私の悩みの解決」をするのは自助会ではなくて私なのですよ。

Episode 713 イワシの群れを作るのです。
自助会が「既存の組織」としてピラミッドを作ってはいけない理由とは?

 自助会の連合体を作るなら、従来型のヒエラルキー組織は難しいでしょう。
だからこそのティール組織…具体的には、個体は無関係でバラバラでも、群れを成すことで大きな存在感を示すイワシのようなものを目指すのがベターなのだと、私は思うのです。

Episode 731 アンプを用意するのです。
大都市の方法が地方ですべて通用するかと言えば、否。

 粘り強く、地道に淡々と、それを見つけて参加するかを考えてくれるかは、継続することによって道が拓れる、その考え方はわかるのよ。
でもね、人口という天然のアンプリファイアをたくさん持ち合わせている都市部と同じ手法が地方で可能なのか…と問うた時、ロウソクの炎を持ち続けるだけで本当に道が拓けるのか?

Episode 732 数が多いほど有利です。
千差万別の発達障害を、ひとつの自助会が全てカバーできるワケはなく…。

 それじゃぁ、私の主催する自助会に参加して「うーん…」と思った人はどうしたら良い?
ほらね、たから自助会は、「数」が必要なの。
そしてすごく大事なのは、それぞれの自助会がそれぞれの主催者のカラーで自信を持って運営することなのですよ。

Episode 733 組織ではなくネットです。
自助会は組織化に馴染まない、その理由とは?

 別に全ての自助会が「みんな仲良し」にはならないでしょうし、意見の食い違いも当然あるでしょう。
でもね、「意見が違う」と言うことは、あなたと私のところは違うことをしている…と言うことを端的に表しているワケで、そのどちらを選ぶのかは、参加する方の決めることですから。

Episode 744 知る×継続=啓発です。
「啓発活動」というのは、一体どういうモノを指すのでしょう…?

 啓発はます知ることから。
その取っ掛かりとして「世界自閉症啓発デー」も「発達障害啓発週間」使わない手はないでしょう…折角、政府行政が行事として立ててくださるワケですから。
その取っ掛かりから得た「知る」を、常に見える場所で記憶に残すことが「継続」です。
そして「知る」を「継続」する活動こそが「啓発」だと私は思います。


ASDを取り巻く環境の問題(ジェンダー論)

Episode 429 士郎の視点が欲しいのです。
マンガ「美味しんぼ」に見える士郎と雄山の確執に感じる生活環境の差。

 物語の中で、ふたりが発達障害者だったという件は、1mmの描写もありません。
これは私が「ASDの性差を感じる」ということを伝えるための例え話です。
恐らく、○○型とよばれるASDのタイプ分けの他に、生きてきた環境による考え方の差は大きな要素になっていると感じます。
その背景には定型社会に根差す、男女のコミュニティの差が見え隠れするのです。

Episode 430 スズメと過ごす渡り鳥です。
ASD当事者を渡り鳥に見立てた「オトギバナシ」第1話(プロローグ)。

 ポイントはね、自分自身が渡り鳥だって気が付いていないこと。
やって来て帰り道を忘れちゃったのか、恋に夢中で「なり切ろう」と努力するのか…。
何れにしても、日本という環境のスズメという留鳥の世界で、スズメとして生活しようとする渡り鳥がいる…というのが物語の設定です。

Episode 431 ツバメは気付いてしまうのです。
「オトギバナシ」第2話 ASD女性が女性らしくないと感じ易いのはなぜ?
 
そもそも女性ASDの認知特性はツバメ型であってスズメ型ではない…とすれば、スズメの世界での同調がツバメの理に適っているワケはないのです。
「刷り込み」されて「こういうものだ」と思っていたことが、どうも自分の本意ではない…ということに気が付くのは、自分が「女性らしくない」ということとボンヤリとリンクしているように感じます。

Episode 432 気付かぬ呑気な白鳥です。
「オトギバナシ」第3話 男性と女性のコミュニティって何が違うのか?
 
女の子社会の同調性が生まれる背景の一因に「人を選び、遊びが決まる」があったと仮定した時、「自分のレベルを殺す(=手加減する)」遊びが発生する…は、十分に考えられるワケです。
前回の記事を振り返り、ここに同調の「刷り込み」が発生する…。
その一方で男の子です。
「遊びがあり、人が集まる」である場合、参加しない遊びがあることが許されるワケです。

Episode 433 スルーの幅が違うのです。
「オトギバナシ」第4話 男性社会の競争性とASD資質の関係について。
 
こうなると社会的に見逃してもらえる範囲が急に狭まるワケでして、同じ失敗をしても「出来る」側で見られる白鳥は許される内容ても「出来ない」側では「社会常識」というスズメが仕掛けた網に掛かってしまうことが多くなったりするのです。

Episode 434 外モードというマジックです。
「オトギバナシ」第5話 診断という網から逃れるために編みだしたもの。
 
夢中であるもののレベルが高い程に放置される時期・範囲も広がることになるワケです。
そうは言っても社会は一人っきりで生きられるほど甘くありません。
そこに社会で生活する「形式」をテンプレートで用意する必要が出るワケです。

Episode 435 恋するツバメは悩むのです。
「オトギバナシ」第6話 女性ASD当事者が迫られる決断があるよね。
 
現実的に「結婚・出産」を考えているのでしょうから。
それは本人だけの問題なのではなくて、周囲からの期待という「余計なもの」まで想定しなければならないスズメというコミュニティの現実でもある…と、私は思うのです。

Episode 436 見えている世界が違うのです。
「オトギバナシ」第7話 所属コミュニティによる見え方の差について。
 
女性の地位向上などが声高に叫ばれるたびに思うのは、セットで考えなければならない男性の「女性に対しての権利・権限委譲」と「家事・育児のシェア」という発想の貧困さです。
スズメの網は外に出ようとする女性を阻み、中に入ろうとする男性を阻むのです。

Episode 437 アシンメトリーなモビールです。
「オトギバナシ」第8話 男性ASDのコミュニティに関係する問題とは。
 
もうお察しのことと思いますが、白鳥の私は男性側から見たスズメの世界を「丸暗記」なのですよ。
男性とはこういうもの、女性とはこういうもの…良くも悪くも裏表なく「物理的に」コミュニティの現実を理解します。

Episode 438 錘を背負うツバメです。
「オトギバナシ」第9話 女性ASDのコミュニティに関係する問題とは。
 
必然的にツバメ型(女性)ASDは、所属するコミュニティの性質上、自分の能力を発揮するための「外モード」と、自分の能力を抑えて紛れる「擬態」の二種類の社会適応を必要に迫られて編み出すことになるのだと思うのです。

Episode 439 「理由が不明」は共通です。
「オトギバナシ」第10話 「怒られたからやらない」の中身は空っぽ。
 
怒られた白鳥は「夏場に田んぼに入っちゃダメなんだな」って、覚えるワケですが、問題は米を収穫するために稲という作物を育てているため…という「その理由」までキチンと理解しているかなんですよね。
これは設問があまりにも単純なので当然理解できるでしょうが、世の中の全てがこんなに単純ではないワケです。

Episode 440 錘を外して舞うのです。
「オトギバナシ」第11話 ASD女性がさっぱりとした性格に落ち着く理由。
 
理由は分かる、納得も出来る、でもね、私はそうじゃない。
納得できるものを壊してまでのことはしない…でも、納得できて理由が分かれば、何でもかんでも一律に錘を抱えている必要もないよね?

Episode 441 空の箱だと気づくのです。
「オトギバナシ」第12話 コミュニティを作り出しているのはマジョリティ。
 
白鳥が網に掛かるタイミングとは、個々の白鳥が抱えられる「ブラックボックス」が物理的な許容量を越えて、オーバーフローし始めた時だと私は思っています。

Episode 442 網に掛からぬ勝負師です。
「オトギバナシ」第13話 外モードの逆が内モード…ではないよね。
 
外モードはあくまでも瞬間的に能力を発揮するための「マジック」であって、その効果は常に発揮されるわけではないということ。
よく「外モード」の対比で「内モード」という表現が使われることがあるようですが、私はこの表現に懐疑的です。

Episode 443 網に掛かってもがくのです。
「オトギバナシ」第14話 網に掛かればもがくのだけど…。
 
絡まった網を解くには、力業では歯が立たない。
網に掛かった白鳥が生き抜くには、そこに気が付くのかどうかなのだと思います。

Episode 444 絡んだ網を外すのです。
「オトギバナシ」第15話 掛かった網を外すにはどうした良いかと考える。
 
私は白鳥型とツバメ型のどちらが自由でどちらが優れているのかをお話ししているのではありません。
ASDである私の生育環境が違えば、その現れ方が大きく変わるということ、コミュニティへのアプローチを逆から見ると対処の方法が見えてくることがある…ということをお伝えしたかったのです。

Episode 445 日本の住みつく渡り鳥です。
後から追加した「オトギバナシ」の前書き部分。
 
違う見え方をする「一番身近な仲間」である異性を意識することで、きっと違う世界が見えてくる…わたしはそう思います。

Episode 468 「男性だから」はあるのです。
男性優位の社会構成でこそ、女性がカサンドラになり易いと感じる理由。

 あちらこちらから集めた情報で何とか社会で生きていくための「知識・知恵(=ライフハック)」を得た私ですが、経済的自立や競争原理がはたらき易い…それ故に同調圧力がかかりにくい男性社会においては、両刃の剣だったのかもしれません。

Episode 573 逆手に取って考えます。
ASD的な論理性を好む性質がジェンダーの問題にメスを入れる可能性は?

 論理的に自分事として捉える。
それは私のことではないから…ではなく、如何に自分に関係する様に物事を捉えるか、捉えられるか。
一度「自分事」として論理的に思考したことは、自らの考えとして自分自身に定着します…経験上。

Episode 611 女性が少ないとは思えません。
ASD女性は本当に少ないのか…を考えると見えてくるもの。

 「私は男性らしくない」と思う男性ASDよりも、私は「女性らしくない」と思う女性ASDが多いのではないか…と。
それは女性型コミュニティとの相性の悪さからの「居心地の悪さ」というものが影響しているのではないかと、私は思うのです。

Episode 619 事象の抽象度を上げるのです。
ASD特性を縦軸に、コミュニティの質を横軸にして見えてくるものとは?

 男女問わず「横軸型の関係構築が苦手」…がポイントとしてあり、それがコミュニティの質により大きく表れ方を異にする…という構図が見えてくる…ではないか。
今回の対談で改めて思うのは、そんなASDの本質と表れる現象の、環境によるバラツキの関係性です。


ASDを取り巻く環境の問題(教育/家庭環境論)

Episode 448 ハードルが下がる環境です。
詰め込み型教育と相性の良いASDがいることについて。

 学校という決められた答えを出すことを求められる「ブラックボックスを作りやすい環境」だったからこそ不思議を感じることが無かったのかも知れないと、そんなことを思うのです。

Episode 510 受け入れることが支援です。
自ら考えて提案する能力は、障害の有無を問わず必要だと感じること。

 恐らく…殆どの方は私と同じように、「提案をして受け入れてもらう」という経験が乏しいのだろうと感じるのです。
社会全体を通して「提案を受け入れてもらう経験」が乏しければ、「提案を受け入れる土壌」は育たないのも道理なのだろう…と感じます。
これが現実なのでしょう。

Episode 517 自虐の余裕が必要です。
環境が作る国民性があり、それはASD資質との相性にも影響があるよね。

 イロイロと諄い話を書きました…で、「私が言いたいのは何か?」と言うと、この「同調圧力の強い国民性」ってヤツはね、持って生まれた性質ではないってことです。
つまり、社会が作りあげた地域の常識に過ぎないということ。

Episode 526 忠誠心が曲者です。
応援はあなたの背中を押すであり、組織に一体感を求めるではないハズ。

 学力であれ、スポーツであれ、「あぁ…あの学校、すごい!」の評価があればこそ、自信を持って母校の名前を呼ぶことができるでしょう。
センバツに出場できるくらいの強豪…とかね、恥ずかしくない実績が名前に箔をつけるのです。
ところで…本来、「応援する」という行為は、あなたの努力に対して私が「背中を押す」ということで、その社会的評価は関係ないハズなのですが…。

Episode 527 障害を隠せる社会です。
学力を隠れ蓑に「考えない方法」を選ぶと障害は隠せてしまうかも。

 ASDの私は、社会規範に基づく他者評価が基準の「横並び一列を求める日本の教育体制」を隠れ蓑にして、自らのASDに気が付かないまま社会人になり、会社が求めるまま搾取の先鋒指揮を執り、壊れたのです。
もし仮に「あなたはどう考えるの?」を粘り強く指導する教育方針が基本ならば、少なくとも学生の内にASDの自覚ができていたのではないか…と思うのです。

Episode 528 できる基準が問題です。
閉鎖環境が作り出すストレスが何を生み出すのか…。

 今の日本の教育体制で児童・生徒が躓くか躓かないかは、年齢相応の社会性と学習能力の基準をクリアできているのかにかかっている、残念ながら、それが表面的な真似ごとであるかは関係ありません。
定型者であろうと発達障害者であろうと、このクリアするべき基準がストレスになる可能性はあり、発達障害者はどうしても定型者よりもストレスを受けやすくなる…ということなのだろうと思うのです。

Episode 529 無自覚は危険なことなのです。
素直で育てやすいとは、30年前の価値観を受け入れることかも…。

 自分の気持ちの代わりに社会的常識を持ち出す危険性…道徳には何故それが善い行いとされるのかを「自分が納得する」作業が漏れなく付いてくるハズなのに、それが無く「思い込む」ということは、戦前戦中の教育勅語による思想洗脳と変わらないのではないか…と、私は感じるのです。

Episode 530 社会に答えはないのです。
あなたはどう考えるのかということこそ教えるべき本質ではないか?

 この話は、小学校の生活科/社会科で学ぶ「身近な出来事/地域」の延長線上にあります。
原発に賛成/反対…それぞれの立場からの意見を考慮して、この地域の将来を良い方向に導くための「私の意見」を自分で探す必要があります。
私が聴きたいのは一般論ではなく、あなたの意見です。
そして当然のように、あなたの意見と真っ向から対立する意見が立ちはだかります。

Episode 544 理由を知るのは大事です。
教育制度に問題があるのなら、その理由が何なのか把握するのは大事。

 残念ながら、これが「日本式教育体制」と「障害者の合理的配慮」の相性がすこぶる悪い…の正体だと思うのです。
これが根本的に改善されることが一番望ましい…でも、簡単にはいかないのも事実でしょう。
だから、「なんでこうなっているのか」の構造を知って欲しいのです。
構造が分かっていることは、必ず「交渉すべきポイントの把握」に役立ちます。

Episode 545 迂闊に乗ると危険です。
ライフハックは誰を対象にしているのかを理解しないといけないよね。

 それ(ライフハック)を「誰かに伝えたい」と思うのなら「HACCP」が必要になる…つまり、成功経験のお話だけでは不十分で、成功談の裏側にある「危害要因」の分析を行い、成功談の補強をする必要が出てくるワケです。

Episode 549 それは「カンタン」ではないのです。
日本語ディスレクシアには、欧米にはない理由が存在するかもしれません。

 「ひらがな」の上に、より難しい「漢字」が存在する…ではないと思うのです。
私は今でも「ひらがな」が苦手ですが、漢字が入ることで障害とされるほど文字で苦労していません。
これが「ひらがな」が苦手な状態で、ひらがな表記がスラスラ読めるまで漢字学習に入れなかったとしたら…。

Episode 550 カスタムに未来を感じます。
IT技術革新に関連する配慮の実例は、身近な場所に転がっていると思う。

 IT技術が世界を変える…なんて言われて暫くたちます。
今までこれが何を指しているのか、今ひとつ「ピン!」と来なかったのですが、ひとつ気が付いたことがあるのです。
それは「専用品」の拡充…今まで「汎用品」だったものを個人でカスタマイズできる範囲の拡大ということです。

Episode 552 努力の種類が違うのです。
算数ドリルと漢字書取りは、全く同じ反復訓練ではないと思う件。

 同じように見える反復練習でも、私のような得意と不得意があるようなら、得意と不得意を分ける「何らかの理由」が存在するのだと思います。
反復練習が苦手な子に対して「集中力がない」と言うのはカンタンです。
でも本当に大切なのは、その「集中力が保てない理由」を知ることなのだと、私は思うのです。

Episode 553 不得手を知るのは大事です。
自分の上手くいく方法を知ることは、配慮の意味を知ることに繋がる。

 配慮を受ける側が「配慮の必要性」を説いても相手に理解されないのは、配慮する側の「苦手を見つけて解決策を探る」という作業経験の不足があるのではないか。
配慮する側の「改善経験」は、配慮を受ける側を「受け入れる」土壌になるのではないか。

Episode 601 当事者抜きではダメなのです。
「守りたい誰か」の議論に「守りたい誰か」の意見がないという不思議。

 この国の倫理観で私が残念に思うのは、「守られるべき弱者」というものが存在し、強いものが弱者を擁護するという思想が根強く残っていることです。
それ故に「強い既得権益層」の価値観が幅を利かせ、当事者抜きの議論が繰り広げられるのだろう…と。

Episode 602 拒読の裏の過読です。
本が好きだということが作り出す「ASD放置」の可能性を考えます。

 もしかしたら、「本が好き」という一目置かれるキャラが、ASDの核心的部分の理解のカムフラージュと機能しているのかもしれない…なんて思いが、私の頭の中で渦巻いているのです。

Episode 604 当事者の意見は大事です。
その「正解」は、あなたが望んだ方法で導き出されたモノなのか?

 この自閉傾向的な「心の理論の回避策」が発見されずに放置されるのは、知識重視の日本的な教育体制に因る部分が大きい様に思います。
正答が導き出せることが重視されるなら、答えの出しようはある…ということです。

Episode 612 「出来ない」ジャッジは危険です。
「できる/できない」を標準化することの危険性について。

 小さな子どもに対して、どんな小さなことでも「できたね!すごいね!」って、褒めるじゃないですか。
それが何時しか、「出来るもの」として標準化された基準との追いかけっこに変わるのです。

Episode 613 人材育成の極意です。
最適な教育を考えるなら「合理的配慮」は必須事項なのだと思う件。

 つまり合理的配慮とは、一般社会に合わせるための道具ではなく、「人材育成の極意」なのですよ。
ここを上手く理解するために必要なことは、得意と苦手のポジティブな自己理解であるのだと、私は思うのです。

Episode 624 内包される成分です。
インクルーシブ教育は、障害者を一般枠で受け入れるという事ではない件。

 障害者として切った線の向こうから合流させるのではなくて、もともとひとつのグループで課題を扱ううちに、多様性の理解に内包される成分として障害(者)が存在する…というイメージです。

Episode 632 粘り強さの象徴です。
卒業と同時に発言権を失うことに思うデメリットについて。

 私は学校を卒業した当事者やその家族が、学齢期行政の問題点について話し合う場所を作りたいのですよ。
経験を基に時間を掛けて焦らすジックリと話せる、結果として「保守(右派)」が「話を聞かせて欲しい」と言ってくれるような、多数派にも大きなメリットがある提案に繋げられるような、そんな場所。

Episode 636 人権が土台になるのです。
福祉/支援を受けるものに対して、「足りていない重要なもの」がないか?

 そこには、日本社会における低調な人権意識がある…と感じるのです。
これは障害者に限ったハナシではなく、性的少数者・人種/民族・部落問題から子どもや女性の社会的権利に至るまで、人権の代わりに「道徳+福祉」が暗黙の了解の社会通念としてまかり通っているためだと、私は感じるのです。

Episode 641 答えが違って当然です。
ASDの思考パタンが「従順と反抗」の二系統に分けられる理由とは?

 その理由は、きっとこの「マスキング」と呼ばれる行動です。
「擬態」や「外モード」とも呼ばれる「定型風に見せる」カムフラージュの類に生活の活路を見出していたのかどうかです。

Episode 650 組織に潜るもあり得ます。
ASDは集団生活が苦手…とは限らないですよ。

 私は…と言えば、「普通の模倣」をすることによる「社会への潜伏」を目指す典型的な「潜伏型(≒よい子)ASD」ですからね、学校が求める組織への帰属意識に疑問を持つワケがないのですよ。
むしろ積極的に組織の中に入り込もうとする…なぜならば、組織の枠に収まり完全に潜ることが生き延びるための知恵なのですから。

Episode 677 環境の方が問題です。
受動型ASDというタイプが形成される理由は「教育環境」にあると思う件。

 こう考えた時に、受動タイプのASDが「何も考えていない」「自分の意思がない」と言われてしまう理由が見えて来る気がします。
つまり、自分の意思に従い行動することを止め、周囲に合わせる「受け」が生活の術として求められた時に、自分の意見を持つことは「生きる為の邪魔になる」ワケです。

Episode 678 苦手の黙認も必要です。
得手不得手はあるのですよ…ASDもまた、人間だから。

 私の家族は、私以外でキュウリが苦手な人はいないのですよ。
だから「普通」にキュウリが食卓に登場するのです。
私がキュウリを苦手にしていることは家族みんなが知っているから、私がキュウリに手を出さないことを気に留めることはありません。
実はこれ、とても大切なことなのだ…と、思うのですよね。

Episode 679 「空箱の道徳」は危険です。
理屈を抜きにして世をサバイブするタイプの人に「道徳」は危険…。

 聞き分けがよく、危ないことはしない。
その賢さ故に、ものごとの理解には問題がない…と思われていた「良い子」は、道徳という既存の地域社会の倫理を、その成り立ちの理解を飛ばして答えだけを丸呑みにしてしまう危険性があるのではないか?

Episode 681 言える環境は大切です。
「普通」と言う感覚が作り出す「説明を許さない」感覚があってね。

 何度も繰り返してしまうのですが、「普通」とは数的優位が作り出す「(わたしの)想定内。」で「説明省略。」なのですよね。
「普通」を普通だと思って立ち止まらずに通過すると、相手に意見を言ってもらう機会を失うことになるのかもしれません。

Episode 683 「機会が増える」は大事です。
ASDの早期発見で期待するものとは…。

 私が発達障害の早期発見を期待するのは、早く自分の特性を理解して、その特性と上手く付き合う方法を見つける機会が必要だと思うからです。
そのために必要なことは何か…と、考えた時、回り回って発達障害の適切な理解…ということになってしまうのです。

Episode 696 使える能力は使うのです。
「過集中」という能力を「意図的に使った」可能性はないか?

 このツイートからも同じ匂いを感じます。
ある意味で「私を邪魔するモノ」から身を守る為に、過集中という周囲を消し去る「マジック」を積極的に使った可能性は、ないか?

Episode 697 共有するのは環境です。
「感覚/感性の共有」と「環境の共有」は、一体なにが違うのでしょうか?

 私はASDの一当事者で「専門家」ではありません。
その当事者の感覚として、「インクルーシブ」や「(ニューロ)ダイバーシティ」で重要なのは、場所や環境を共有することで、考え方/物事の進め方や価値観の共有ではない点のように思います。

Episode 700 腐海の瘴気を考えます。
突飛な設定で行う思考実験は、社会の柵を消し去る重要な役目があって。

 ナウシカの「腐海」をそう言う「思考実験」で哲学すると、環境(文化)に起点とする思想の問題を俯瞰できるように思います。
難しい言葉で理論を考えるより、私はこの方法の方が遥か私の理解に繋がり、楽しいのです。

Episode 701 気付いて凹んでしまうのです。
障害者が持つ「不公平感」の正体とは、一体何なのでしょう?

 いくら努力しても、周囲の期待に応えられる私になりません。
「選んで今の私の能力になったワケではない」という気持ちに不公平感が生まれる素地がある…ではないか?

Episode 702 自分の芝生で生きるのです。
「隣の芝生」は本当に青いとして、それは私が育てて維持できるものなの?

 己を知り、己のできる範囲で何をするのか。
ASD資質自体は、自分で選んで与えられたワケではない…それは事実。
でも、そこから先は自分の手の届く範囲で自分で選ぶのですよ。
手の届く範囲が狭いことを嘆けば、「隣の芝生は青い」から抜け出せない。
必要なのは、どうやって自分の芝生を青くするのか…なのだと私は思うのです。

Episode 703 世界共通ではないのです。
言葉は伝えるための道具ではあるけれど、万能ではないのだと思う件。

 私は、この「学術としての言語」と「地域コミュニティに流通するコミュニケーションとしての言語」を分けて考える必要があると思っています。
ここ、とても大切だと私は思っているのです。
「海外では…」を言うのなら、この辺りのニュアンスの調整が必要であると、私は思うのです。

Episode 704 特性と個性は別なのです。
特性ではなく個性のハナシこそが重要なのだと思う理由とは。

 ASD者は、もっと日常の生活を語る必要があると思うのですよ。
それはASD特質に関係あるない…に、拘らずです。

Episode 707 私の『糸』を歌うのです。
多様性の容認とは、個人のオリジナリティを認めること…ですよね。

 多様性の容認とは、人種や障害の容認のように感じている人がいるのかもしれませんが、もっと簡単な部分から考えなければならないように、私は思うのです。
148人(組) のアーティストがそれぞれの味の『糸』を紡いだ、その自由な表現が、あなたも私も認められるということこそ多様性の容認かな…と。

Episode 708 自分で積み木を選ぶのです。
興味のあることを深掘りするには、深掘りするための知識が必要でして…。

 興味関心への熱中とその情熱は、技術と知識を得るための最大の近道なのだと思います。
そして、その情熱を傾ける積み木の種類が限定されないことが「多様性」なのだと私は思うのです。

Episode 709 私を成長させるのです。
多様性の尊重と容認とは、自分以外の誰かのため…ではなくて。

 多様性とは「自分とは違うあなたの尊重」であると同時に、「あなたとはちがう私の尊重」でもあるのだと思うのです。
その「あなたと違う得意をもつ私」が、あなたの得意から刺激を受けてアップデートしていくこと。

Episode 711 グリーンに必要なものなのです。
早すぎる概念が作る不安は、一体どこから来るのでしょう。

 社会の成熟とは、その価値観を地域住民が等しく持つことによって達成されると思うのです。
日本の現状が「アンバー→オレンジ」への変革期にあるとして、グリーン組織の考え方である多様性を投げ込んで、それが正しく機能するのか…と考えた時、それは難しいだろうと思うのですよ。

Episode 712 それらは違う話です。
社会の進度は「何が切り口?」によって大きく違って見えると思う件。

 同じような組織の発達段階から見える「ダイバーシティ」にも、経済活動の側面のダイバーシティと、社会福祉の側面からのダイバーシティの成り立ちは、別の視点の別の事象と捉える方がスッキリしますよね。

Episode 718 理論と世論は違うのです。
世論とは、寄せては返す「波」のようなものなのだと思う件。

 世論というのは、常に先に進むもの…ではないと私は思うのです。
何かの時期で、今言われている他人事としての「ニューロダイバーシティ」は壁に突き当たることになるでしょう。
そして揺り返しが起き、本当に「ニューロダイバーシティ」が必要なら、前回ダメだった部分の検証と修正を加えながらブラッシュアップした「ニューロダイバーシティ」が登場すると予想します。

Episode 719 体験談は重要です。
読書は良いこと…から見える「普遍的価値」への思いこみのハナシ。

 本好きな方が本を選ぶのと同じように、本が苦手な私は本を選ばない…は、同じダイバーシティのハナシであって、本を選ばない私が非難されるのであれば、社会(または個人)のユニバーサリティ(普遍性)への固着になるワケです…理論的にはね。

Episode 727 インクルーシブが必要です。
「インクルージブ」の本当の意味とは見慣れることではないか…と思う件。

 こうして「障害者福祉」という名目で障害者が社会から分離/隔離された結果、一般社会で障害者を見かける機会が減っている…という点は、今回の穴見議員のポストに隠された日本の障害者を取り巻く環境の、最大の「弱点」だという気がするのです。

Episode 728 役割分担が必要です。
経験した出来事を次の世代に活かす活動をしたいと思いませんか?

 一方で私にはもう、公教育に対しての直接利害関係はありません。
だからこそ出来ることがあるだろう…と。
今の今に取り組むとは別の、先の先を考える人がいても良いじゃないですか。

Episode 729 向かい風が必要です。
帆船には「順風」が良くても、凧には「逆風」が必要でね…。

 今の最優先である「目の前の大事」に目が行くのは定型的アロセントリック視点では当然のことで、根本原因の解決は一旦横に置いて現場に集中するワケです。
この結果として、「目の前の大事」とともにあったハズの根本原因も、「目の前の大事」の収束とともに見えなくなる可能性はありそう…違いますか?

Episode 730 多数派の変化が必要です。
ところで、あなたの常識は何に担保されているのですか?

 Autism 側 OS XのWindows対応バージョンアップは今後も当然必要なこととして、定型一般側 WindowsのOS X対応バージョンアップが必要なことに、そろそろ本腰を入れて考えないと。
Autistic の違和感を全てAutism の問題にしていても、その違和感を解消することは難しいのではないか?

Episode 737 学習で改善されません。
ASD者が学習によって得た知識は、一体なにを改善するのでしょう?

 私は私の経験から、生まれ持った Autism 性は生涯持ち続けるもので、Autism 性が薄まる(弱まる)ことは基本的には「ない」と思っています。
では、「社会性が身に付いてきた」ように思われる行動は何か…と言えば、それは Autism 性質が原因の社会的不具合を、知能とライフハックでカバーする「ストレスを伴う言動」です。
より社会で上手くできるように…と締め付けをキツくすれば、当然ストレスも増えることになる…と。

Episode 738 「ない」の連鎖を知るのです。
根本的に「ない」が作り出すものは、その次の「ない」を誘発する…。
 残念ながら、(定型者の思う)人間に「普遍的にある」と思われている部分が存在しない…は、私の経験上「ある」ワケで、でもその「普遍的にある」と思い込んでいるからこそ「学習で獲得できる」は成立するのだとすれば、この様な場合「定型/典型者が思う学習による獲得」は可能なのか…。

Episode 743 溶け込む感覚を知るのです。
日本にインクルーシブが馴染まない宗教的な理由があるとすれば…。

 「私の生活エリアの安定」は、隣の誰かが「日本的な宗教観」とは違う何かを信仰していて、それが仮に「私の生活」に危害を加えないとしても、価値観の違う隣人に対する同一エリアの棲み分けに一抹の不安を感じる…みたいなものでしょうか。

Episode 748 隠れ Autistic がいるのです。
自分のことを解説できるASD者は、やはり言語に長けているとすれば…。

 その「言葉に頼らない」タイプの Autistic が、言葉による自らの Autism 性の解説をするのか…と考えだ時、「上手く解説できなくて諦める」とか、ありそうだと思いませんか?

Episode 750 「合意」はとても大切です。
単純なものほど丁寧な合意形成が重要だと思う件。

 「合意」はね、単純で簡単な作業であるほどに、非効率で首を傾げる作業であるほどに、念入りに確認しなければならないのだと思います。
単純で簡単であるのに非効率を続けているのは、変更への合意が難しいからである可能性が高い。
ここを蔑ろにしてはいけない…と、私は私の経験から、そんなことを思うのです。

Episode 753 「私を認める」が大事です。
「できなかった私」の分析で必要な、とっても重要なこととは?

 コツコツできなかった私は、だからそうできなかった私を認める必要があると感じます。
コツコツが難しい、そういう性格/特性の人もいることを認めないと、コツコツできない人は「努力できない」と結び付けられてしまうかも知れません。


ASDを取り巻く環境の問題(職場環境論)

Episode 520 企業のカサンドラを感じます。
ASDの人が仕事をするにあたって問題になる企業体質って、あるよね。

 私の(会社内の)「成功」と「失敗」の経験には、私の個人的な「ASDとしての得意と不得意」とは別に、日本企業の「日本的な社会常識」に基づく発達障害者との相性の悪さがあると思うのです。

Episode 521 「カイゼン」結果で悪化です。
利益の向上はカイゼンの結果であって、カイゼンの目的ではない件。

 中途半端な「QC手法」理解で恐いのは、カイゼンの目的を「品質向上」ではなく「収益改善」に求めてしまうパタンです。
ロス率削減(歩留まり改善)の結果としての「○%の収益改善」なら良いのです。
でも「収益改善目標達成のために歩留まりを○%改善せよ」はマズイ…特に、収益改善目標が人件費に向くのは最悪です。

Episode 522 根性で仕事はできません。
業務改善が人件費に向かう危険性に気が付かないと、職場環境は悪化する。

 次につながる「余裕」を剥がされると、実質的な作業に掛かる時間だけが「裸」の状態で剥き出しになる…最終的に個人の能力に頼るところまで削られると「サイアク」です。

Episode 523 プライスレスが必要です。
機械化による業務改善の結果として、投資の回収が重荷になる可能性あり。

 今まで薬剤師たちが自らの手で行っていた作業を機械が代行できるのならば、そこに多くの薬剤師を配置する必要はない…結果的に、そこで仕事をする薬剤師の仕事に余裕が生まれるかどうかは、経営側の判断に委ねられることになるように思うのです。

Episode 524 ジェネリックな日本です。
追いかける立場の日本の環境が作る「労使一体感」の弊害はあるよね。

 労働条件が経営側の意中の範囲であったことも、間違いないのだと思うです。
この労使の関係が、日本の雇用…特に障害者などの「一人前と認められにくい」方たちの立場を、一層あやういものにしている一因になるだろう…と、私は思います。

Episode 525 WSが牙を剥くのです。
追いかける立場の日本の環境が作る「労使一体感」の限界はあるよね。
 
発達障害者に限らず、定型の方も対人関係がストレスになってウツなどの精神的問題を抱える方が多いのは、「自己表現を抑圧する教育」と「それを良しとする社会構造」に原因があるのだろうと感じます。
一人前の範囲が狭いことで発生する問題は、発達障害者やカサンドラの問題に限らず、多くの精神的なトラブルに現れているのだと、私は思うのです。

Episode 535 納得感が大事です。
仕事は結局、労働者の仕事に対する納得感が大事なのだと思う件。

 オリンピックに絡む看護師確保の話を聞いて、日本の仕事観を考えます。
この考え方の底辺に障害者雇用の難しさを思います。
「やれるか」に対しての「できるか」で、納得感が生まれるのか…です。

Episode 551 ムリは長続きしないのです。
支援が支援者のムリに繋がれば、その支援は長続きするワケがありません。

 あれやこれやと手を貸して、世話を焼いてくれるのが支援なのか…といったらNoですよ。
障害者の意見を聞いて、実現できるように努力してくださるのはありがたい…でも、それが継続して可能な支援なのかは、良くよく考えてみる必要はあると思います。

Episode 593 現れ方が逆なのです。
効率化が作り出す「多能工」依存とその弊害について。

 ひとつの仕事に対してどっしりと黙々と取り組める…という環境が急激に減り、(PCなどを含む)機械を操作して複数の案件を並行して処理していく業務が増えるワケで、それに合わせて世の中が進化するワケです。
その社会の流れに乗れる人たちが多数派を形成し、多数派に有利な社会がより進化を加速させる中で、こぼれ落ちた人たちが少数派を形成する、その一部に「発達障害」とカテゴライズされた一群があるとしたら…。

Episode 642 すべての人に有効です。
当事者が声を上げることの意味と必要性こそダイバーシティの姿かも。

 障害の当事者が社会に出たときに、職場の雇用関係は雇用主と労働者の問題となり、保護者(支援者)が入り込む余地が急に少なくなるということ。
こう考えたときに、教育環境も労働環境も、どちらも当事者が十分に声を上げているとは、私には思えないのです。

Episode 644 真実の探求が必要です。
その「合理的配慮」が成功/失敗した理由を考えたことがありますか?

 本当は「上手くいった」に辿り着いた時、あなたと私で「上手くいった理由を共有する」方が重要なのかもしれません。
障害と配慮の具体的行動を通じてお互いの理解を深めることが、合理的配慮の本当の意味なのかも知れない…などと、私は思うのです。

Episode 645 モノには順序があるのです。
机上の根拠が空回りする理由は、地に足が着いていないから。

 一足飛びに「ニューロダイバーシティ」という用語に飛びつくことがないように…と切に願います。
理想と言葉だけが先行すれば、東欧諸国の社会主義の「二の轍を踏む」可能性があるのだと、私は思っているのです。

Episode 646 必要、必然、ベストです。
現状分析の結果で必要なものは「声高な正論」とは限りません。

 「人権モデル」を構築するベースになるのは「医療モデル」と「社会モデル」の両立です。
なぜ「社会モデル」が経由する概念として重要なのか、それは「社会モデル」に求められるマジョリティ側の長所と短所を、ある程度マジョリティの一般層が理解することが大事だからだと感じます。

Episode 649 安価な労働力ではありません。
ダイバーシティが「戦力」になるのは、必要とされた結果である件。

 「必要に迫られて出来てしまった多様性に対してダイバーシティと名前が付いた」と考えるとスッキリします。
決して安い労働力として女性や障害者を戦力にしようとしたのではなく、必要とされた人材が結果として多様性を作り出したのです。

Episode 657 「必ず邇きよりす」なのです。
理想を実現するのは理想を掲げることなのか?

 私が学生時代に学んだ歴史(私の専門は近代日本の歴史学)と、私が数十年に亘って勤務している会社を見つめてきた実感から導き出される私なりの答えは、理想が社会を変えるのではなく、必要とされるものが社会を変えるのだということです。

Episode 691 外野から見て思うのです。
「ダイバーシティ」とは、一体何なのか?

 企業の中で仕事をしていて「ダイバーシティとは何か?」と問われたら「視点の拡大による認識のバージョンアップ」と、私は答えるでしょう。
生産性の向上と収益の拡大は、その結果として生まれるもの。
恐らく、「ニューロダイバーシティ」も同じです。

Episode 714 「納得の門」をくぐるのです。
ASD者の「適職」とは、一体何なのでしょう?

 ASDに限らず、仕事に納得感があるか…は職業選択の重要な要素であると思います。
その納得感と切り離された場所に「ASDに向く仕事」が示されることに対することにモヤモヤを感じていたのかも知れません。

Episode 725 自粛は謹慎ではないのです。
「資格のない当事者」が緊急時にできることはなにか?

 私のこのアカウントでできることは、「落ち着いた聴く耳を持つ環境」でこそ効果を発揮するワケで、人命救助を筆頭に、緊急性が高い重要案件がある中ではなく、平時の活動によって私の言葉が浸透することでこそ、この緊急時に活かされる…と、考えます。

Episode 726 後方の安定は重要です。
「緊急時の現場」に赴くこと以外にも重要なことは、あるのです。

 日々できる平時のことを淡々と。
それが私にできること。
現場ではなく後方にいる Autistic な私が、私の特性を鑑みて思うのは、現場の現状を指摘して、誰かのリソースを奪うことではない…と思うのです。

Episode 754 双方の合意がポイントです。
合理的配慮は申請しないとできないものなのでしょうか?

 車イスに対しての配慮が全て「合意」の上で…が必要かと言えば、支援として必要な場面もあるから、それはまた違うハナシになるのでしょうが、自助会の会話の中で見つかった視点としては、「問題の把握とその改善案/対応案は、当事者が示さなければならない」…とは限らない点なのね。

Episode 755 それは「善意の悪手」です。
非当事者側から合理的配慮を提案する時、何に注意したら良いと思う?

 上手く提案ができない当事者に代わり、周囲の人が提案することは大切なことだと思います。
ただ、その提案が「ふつう」を目指すために当事者への努力を求めるだけのものにならないように…と、思います。


ASDを取り巻く環境の問題(フリーレン考察)

Episode 735 親近感を感じます。
フリーレンが Autistic (自閉の民) と仮定して思うこと…単行本①より。

 おやおや、何処かで見覚えのある場面です。
私もそれと似たような「後悔」を経験したような気がするのですよ。
私は Autistic でエルフではありません…が、その「他者のかかわりの優先度の低さ」という点で、フリーレンと同じような「この人のことを何も知らない」を突きつけられ、ようやく人との関係性を考え始めるに至った…と感じでいるので。

Episode 739 「ぎこちなさ」を感じます。
フリーレンが Autistic (自閉の民) と仮定して思うこと…単行本②より。
 
フェルンが言うように、「いつもは興味なさそう…」には、フリーレンからニューロティピカル的なアロセントリックな他者を慮る雰囲気を感じない…ということでしょう。
ヒンメルの死によって「人への関係性」の重要さを知ったエルフであるフリーレンは、エルフ故に人への関係性の作り方に苦労する…。

Episode 746 安易な判断は危険です。
フリーレンが Autistic (自閉の民) と仮定して思うこと…単行本②③より。
 
ところで…。
Autistic には、人を思う心は存在しないのでしょうかね?
フリーレンの物語で描かれる魔族には、誰かを慮る描写は存在しません。
同じように、Autistic にも誰かを慮る感覚がないのならば、「Autistic =魔族説」を訝しがる要素は殆どなくなると、私は思います。
でもね…。

Episode 752 「真似している」を感じます。
フリーレンが Autistic (自閉の民) と仮定して思うこと…単行本④より。
 
ザインが大人であったからこそフリーレンを信じて許し、結果として楽しかったに導かれるのだとしたら、これが失敗すれば「千と千尋…」のカオナシのそれになる…。

Episode 759 希望の灯火に見えるのです。
フリーレンが Autistic (自閉の民) と仮定して思うこと…単行本⑤より。
 
フリーレンほど優秀で、伝説的な魔法使いならば、フリーレンのような立ち振る舞いでも魔法を駆使しながら生きていけるのでしょうが、そこまで優秀でないならば、モノゴトの本質への愚直な行動が、社会的には不協和音になりかねないだろう…と感じます。


Look up at…(Instagram 一行詩)

Look up at... #1 GWの青い空。
田植えと、ツバメと、紫外線。

Look up at... #2 いのちを繋ぐ電柱の上。
せめて巣立つまで、見つかるなよ。

Look up at... #3 南風が運ぶもの。
湿気とともに、南風…か。

Look up at... #4 雨上がりの朝。
いいことありそうな、雨あがりの朝。

Look up at... #5 ありふれた、月曜の朝。
佐野元春「ジャスミンガール」

Look up at... #6 入道雲の夏。
夏空来たる。

Look up at... #7 秋晴れのトラス橋。
秋晴れトラス

Look up at... #8 煉瓦煙突の先。
曇天貫く、煉瓦煙突の凛々しさ。

Look up at... #9 大雪の朝、ためいき交じりの雪の花。
勘弁してくれ…。

Look up at... #10 青空、大雪の先。
久しぶりの、青空。

Look up at... #11 「倍返し」の冬。
また、降ったのか。

Look up at... #12 雨降り美人林。
雨降り美人林。

Look up at... #13 藤花の滝。
見上げれば、藤花の滝しぶき哉。

Look up at... #14 夏の里山スライダー。
さと山ハイキング…暑い。

Look up at... #15 かぼちゃ色の電車。
旧車の、仁王立ち。

Look up at... #16 秋空に飛行機雲。
空にも交差点があるらしい。

Look up at... #17 青空に映えるレトロ。
傾斜50°の、鉄仮面。

Look up at... #18 木漏れ日のブナ林。
ブナの木越しの陽射しの、柔らかさ。

Look up at... #19 澄んだ青空に映える。
ブルーインパルスも真っ青。

Look up at… #20 総天然色のモノトーン
モノトーンの景色。

Look up at… #21 桜の花より濃い色を。
今年もまた、桜を見上げる季節。

Look up at... #22 山頂に聳える電波塔。
御神体にも副業があるようだ。

Look up at... #23 白く、凛々しく。
海と山が交差する場所に、灯台…と。

Look up at... #24 継続する夏。
秋に、ならない。

Look up at... #25 冬を運ぶ使者。
冬色一番星、見つけた。

Look up at... #26 薄雲の月夜に思う。
おほろ月夜の、帰り道。

Look up at... #27 空をパスする道。
空に掛かる大動脈。

Look up at... #28 今年もじっと、春を待つ。
立春過ぎて、春待つ裸の大欅。

Look up at... #29 春遠く、つぼみに綿帽子。
春分の日を過ぎたというのに、寒の戻り、雪景色の朝。

Look up at... #30 熊蜂の飛行。
自宅の庭に大きな羽音を立ててやってくる「お客様」がいて。


Talking to myself… (Note) 

Talking to myself… #1

Talking to myself… #2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?