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AS系ASD当事者のあれやこれや。 自閉スペクトラム症(ASD)で精神障害者保健福祉…

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AS系ASD当事者のあれやこれや。 自閉スペクトラム症(ASD)で精神障害者保健福祉手帳(3級)を所持しています。 先ず私のことを知ってください。

マガジン

  • Dark Grey Rainbow

    視覚優位・三次元映像認知タイプのASD当事者が書く「日常生活」コラム。

  • 【見上げる】

    Instagram 投稿の一行詩。

  • Dark Grey Rainbow -オモイコミ-

    受動型ASDの性格形成に関係しただろうとと思われる「幼児体験」のあれやこれや。

  • Dark Grey Rainbow -ヒダリキキ-

    Dark Grey Rainbow からのマガジンカット。「マジョリティが有利な社会」と「マイノリティの私」の、アシンメトリーな関係性。

  • Dark Grey Rainbow -北風と太陽-

    イソップ寓話「北風と太陽」に喩えた、ASD自覚についての話。

最近の記事

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索引(index)#1

この索引(Index)は 1ページ目です。 ここでは主に発達障害(神経発達症)と社会の関係や、発達障害(神経発達症)を持つ私の特徴を扱います。 発達障害(神経発達症)を持つ私の過去を振り返るエピソードと、自助会の運営に関する記事は、索引(Index)#2 を参照してください。 Who are You ?(まえがき)Who am I ? #1 当事者目線の記事、書きます。  居住地の新潟で、発達障害当事者会を主催しながらコツコツと書き溜めたコラム記事を元手に副業ライターとし

    • 紐付け作業が必要です。

      私は以前、とある雑誌のコラム欄への執筆をお願いされたことがあります。 私の人生で(今のところ)唯一の有料寄稿記事でもあるその記事の内容は、「定型発達」とは何か…という用語解説だったのです。 今から2年ほど前のことです。 私が書いた文章ですが、有料の雑誌に掲載された記事ですからね、その内容を勝手に転載するワケにはいきませんが…。 発達障害に関する用語解説のハナシだったので、「やってみたい」とお返事したら、お題が「定型発達」というワードだった、ビックリ…というのが私の正直な感

      • 隠れ Autistic がいるのです。

        最近私は、自らの特性について Autism という英語表記を使い、そういう特性を持つ人として Autistic という表現を使うことが多くなりました。 これは Autism の日本語表記である「自閉」という言葉だと、自らの特性をカバーし切れないと思うようになったからです。 同じように、ASDという表現を使うことも、少なくなったと思います。 「Autism Spectrum Disorder 和訳:自閉スペクトラム症」とは、日本語表記で「自閉」と言われる状態の、「ここ」と特定

        • 「見て覚える」タイプもいるのです。

          先月末の「公開版『自閉文化を語る会』抽象的コミュニケーションは苦手…は本当か?」で話題になったハナシを、もうひとつ掘り下げてみようと思います。 録音の後半…1時間36分あたりからでしょうか、まかろん (@makaron_jp2911) さんの発言から、話題は「曖昧な表現が苦手」とか「モノを見ているか、人を見ているか」と言う視点のハナシに向かいます。 私はこのハナシをしながら聴きながら、スタジオ地図 細谷守監督のアニメーション映画「ばけものの子」の主人公である少年「九太」を思

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          12本
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          12本
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          3本
        • Dark Grey Rainbow -ピーキー-
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        記事

          安易な判断は危険です。

          『葬送のフリーレン』の登場人物に Autism 性を感じるのはどうやら私だけではなかったようで、X (旧Twitter) に「フリーレン ASD」とキーワードを入力して検索すると、多くの方が『葬送のフリーレン』という作品に Autism 性を言及しているようです。 もちろん私もその中のひとりなのですけどね。 『葬送のフリーレン』に関しての Autism 性の言及は大きく分けて2パタンがあるようで、 ①主人公、エルフの魔法使い「フリーレン」を Autistic と見るケース

          安易な判断は危険です。

          多数派研究も必要てす。

          3月27日の夜、公開版「自閉文化を語る会」が開催されました。 毎月1回クローズのスタイルで行われているこの座談会ですが、3の倍数の月は公開版と言うことで、X (旧Twitter) のスペース機能を使ってオープンに公開されるのです。 基本的に年4回開催される公開版…今回はその1回目、「2024年冬春シーズンの会」ということです。 毎回テーマを決めて対話をしていくのですが、今回のテーマは「(自閉文化者は)『抽象的コミュニケーションが苦手』は本当か?」…という内容だったのです。

          多数派研究も必要てす。

          知る×継続=啓発です。

          今日4月2日は国連が定めた「世界自閉症啓発デー」で、今年も今日から「発達障害啓発週間」が始まります。 行政機関が主催して、多くの関係部所を巻き込んで大々的に実施されるイベントですからね、これが「発達障害を知る機会に」…というキッカケになれば、それはとても嬉しいことです。 でもね、本当に大切なのは「自閉症」や「発達障害」という言葉を知った後に「どうするのか」なのですよね。 私のnote記事でいつもお世話になり、すっかりお馴染みの石橋尋志 (@ihi1484) さんのポストに

          知る×継続=啓発です。

          溶け込む感覚を知るのです。

          私はあまりYouTube を見る機会は多くないのですが、数少ない視聴機会の中では「ストリートでのジャズセッションの動画」とかは、わりと良く見る方なのです。 そんな中でも、Jacob Koller さんのストリートセッションものは「お気に入り」でして、ジャズの名曲に限らず、ポップスやアニソンのジャズアレンジとか、その場の雰囲気で楽しそうに演奏しているのを流していることがよくあるのです。 そもそもにおいて「オープンスペースでのジャズセッション」ですからね、キッチリと聴く…と言

          溶け込む感覚を知るのです。

          春遠く、つぼみに綿帽子。

          春分の日を過ぎたというのに、寒の戻り、雪景色の朝。 大きくなり始めた桜のつぼみに、綿帽子。 今年の開花は「平年並み」。 でも、ここ数年は早かった年が多かったから、少し遅く感じる。 春は目の前、もう少し、あと少し。 Instagramの一行詩【見上げる】更新。

          春遠く、つぼみに綿帽子。

          過敏で補強されるのです。

          先日、気になる X のポストを見つけたのですよ。 大元のポストは sakurako(@sakurako_iroha) さんのもので、それを むむむむ (@hununununu66) さんが引用RPしたモノを、さらに Eureka(@simple68524222) さんが引用RPしたもの…が埋め込んだポストです。 お三方はそれぞれに自ら(またはお子さん)が、聞き分けの良い「育てやすい子」だったことを話題にされています。 そういう私も「育てやすい子」だった…と、母親が言っていた

          過敏で補強されるのです。

          バロメータかもしれません。

          1993年の1月から3月にかけてTBS系列で放送されTVドラマ『高校教師』は、内容がセンセーショナルであったこともあって「名作」して名前が上がることが多いのですが、私の場合は卒業論文から解放された大学生活の最後の3ヶ月であったが故に、よく覚えている…でもあったように思います。 当時は今のように、多くの作品がサブスクで見逃し配信されるようなネット環境があるワケではなく、それ故に興味の分散もされ難い時代であったようにも思います。 今のようにいつでも見られるワケではないから、大衆が

          バロメータかもしれません。

          「気付きの断崖」から飛ぶのです。

          「ダニング=クルーガー効果」という良く知られた認知バイアスがあります。 その「認知バイアス」を表した、こんな曲線もまた、よく知られていますよね。 この認知バイアスに対しては否定的意見も多くあるのですが、私自身としては図に示された一番左側の頂点…「馬鹿の山」を経験することが「ダニング=クルーガー効果」を認知バイアスとして意味があるものにする様に感じるのです。 つまり私は、「馬鹿の山」があるからこそ「絶望の谷」という谷底を感じることができるのですよね…っていう意見なのですよ。

          「気付きの断崖」から飛ぶのです。

          「ぎこちなさ」を感じます。

          不定期連載「フリーレン考」は、ひと月に1回くらいのペースで進めてみよう…などと勝手に思っています。 第1回は2月のことでしたから、今回の2回目は3月分ということで…。 前回のフリーレン考察のポイントは、フリーレンはエルフであるが故に人間との時間感覚に齟齬があり、他者の接触やコミュニケーションが希薄になりがちなことが、人からは「自己中心的視点」の持ち主に見えること、この雰囲気がフリーレンを Autistic に見せているのだろう…ということでした。 今回の「テキスト」は単行

          「ぎこちなさ」を感じます。

          「ない」の連鎖を知るのです。

          私はこの私のnoteアカウントでの記事でも、それと連動することが多いSNSでのアカウントでも、Autism 性の問題のスタート地点に「他者視点がない(または弱い)」を置いた上でお話しをしているのですが、はてさてその「他者視点」とは一体何なのでしょうねぇ…。 餅餅茶【鮹船茶】(@12theearthqq) さんのポストが云わんとするところは「その通り」で、誰もが「私と相対するあなたの気持ち」など分かるワケはないのでしょう。 では何故、私のような Autistic は「他者視

          「ない」の連鎖を知るのです。

          学習で改善されません。

          その昔、「自閉スペクトラム症(ASD;Autism Spectrum Disorder)」という概念は、いくつかのタイプに分かれていた…というのは、おそらく多くの方が知っている事実だろうと思います。 代表的なところとしては、知的障害を伴うとされる「カナー症候群」と、知的障害を伴わないとされる「アスペルガー症候群」があります。 私自身は「自閉スペクトラム症(ASD;Autism Spectrum Disorder)」の中でもアスペルガータイプにカテゴライズされるワケで、そのア

          学習で改善されません。

          近いが故にできません。

          前回の「フリーレン考」を挟んで、その前の投稿で書いた、レイ(@wagonthe3rd)さんのこのポストから思うこと…今回はその後編です。 先ずは前編のおさらいから…。 Autistic の中にも一般定型者がメインの現状の環境適応に長けたタイプが一定数いて、Autism 特性が隠されずに押し出されているにもかかわらず、そのタイプの人が何故か「まぁ良いか」…と許される理由は、Autism の当事者が発する非言語メッセージにポジティブな要素が多く含まれるからだろう…というハナシ

          近いが故にできません。