Episode 764 そこが相似に見えるのです。
ここ最近の私の記事は、禅問答みたいになっているかもしれません。
今回も同じような流れです…例によって「壁打ちポスト」からの思考整理から。
この「壁打ちポスト」に反応してくださったのは、今回もまたレイ(@wagonthe3rd)さんでした…。
この引用ポストは以下のように続きます。
レイさんは(X のプロフによると)西日本出身、ニュージーランド在住の方で、海外在住の視点から Autism/Autistic の地域差…特に欧米文化圏と和風文化の対比を通して、その特異点を指摘されることが多いのです。
そのレイさんの主張の核心部分に、「日本社会はオーティスティックに親和的」という指摘があるのです。
先日のこと、X 上にこんなポストが上がりました。
…と、いうワケで、「日本社会はオーティスティックに親和的」なのかを真面目に考察してみよう…と思うのです。
恐らく、単発の記事ではカバーしきれないので、店を広げ過ぎずに数回のシリーズでお話ししていこうと思います。
そして今回は、その1回目…です。
どこから手を付けようか迷ったのですが、やはり身近な部分(具体的な事象)から根本原因に向けて掘り下げていかないと理解しにくいかな…と。
この手は「何故?」を掘り下げていく「なぜなぜ分析」の手法が有効…ですかね。
というワケで、振り出しはコレ。
レイさんが「日本社会はオーティスティックに親和的」を導き出すキーワードととして多用する「相似形」の解釈ですね。
「@wagonthe3rd」というレイさんのアカウント名+「相似」という単語を入力して X で検索すると、「Autistic(自閉の民) と Allistic(非自閉の民) 」の関係性が「日本と欧米/中国」の関係性と似ている…という指摘に数多くヒットします。
例えばこのポストも、その中のひとつです。
「出羽守(でわのかみ)」とは、他者の例を引き合いに出して物事を語る人のことを指すスラングで、ここでの解釈は「日本の事情を度外視して他所(この場合は欧米の目)の例を声高に言われても参考にならないよね」という反感/反発を生み出す…でしょうかね。
ところで、私たち日本人は、一般人の一般的認識の範囲として、「欧米の目」がどのような認識をスタンダードにしていて、それがどのように和風スタンダードと異なるのか知っているのでしょうか?
わたしはここの部分に自信が持てないのですよ。
多くの日本人は、和風文化が欧米圏(又は中華圏など)の文化とは異質で独特だということを知っているのだと思います。
そしてその異質で独特であることが、マイノリティ文化としての "Cool" を作り上げていることもね。
その異質と独特であることが、欧米圏の方々からどのように見えているのかを説明できないままに、欧米圏の文化と折り合おうとするあたりに、本質を理解できないままに、形だけの対応でグローバル (な社会性) を保とうとする、Autistic が多用するカモフラージュ(≒擬態) の影を見る…。
恐らくですが、レイさんが指摘する相似形とは、「世界をスタンダードにした日本が、世界に対して対応してい『風』に見せる行為」と「Allistic(非自閉の民) をスタンダードにした Autistic(自閉の民) が、Allistic に対して対応している『風』に見せる行為」がよく似ていることを指していると私は思います。
今回はここまで。
それを踏まえて、次回 (第2回) に続く。
"Back to the Future" 『風』に言えば、"TO BE CONTINUED…" …でしょうかね。
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