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Episode 756 だから不満が出るのです。
私は「界隈」という言葉が嫌いです。
かい‐わい【界×隈】
1 そのあたり一帯。付近。近辺。「銀座界隈」
2 特定の業界や趣味などの分野。また、それに関わる人たち。
そもそも「界隈」という意味は、国語辞典で指す「1」の意味だったのでょうね。
・・・何でも事の起りは、あの界隈の米屋の亭主が、風呂屋で、隣同志の紺屋の職人と喧嘩をしたのですな。どうせ起りは、湯がはねかったとか何とか云う、つまらない事からなのでしょう。そうして、その揚句に米屋の亭主の方が、紺屋の職人に桶で散々撲られたのだそう・・・
なんと言いましょうか、そもそもはその地域が持つ「独特な雰囲気」を含めた「そこら辺」を指して「界隈」と言うように思います。
そこから転じて、ネット用語として使われることが多くなったのでしょう。
ご存知の通り、ネット用語としての「界隈」には地理的な意味はなく、特定のジャンルなどを指して使われるのです。
ですから、ネット用語が指す「界隈」とは、特定のジャンルが持つ「独特な雰囲気」という意味になるのでしょうね。
「配慮」とは「心づかい」だと国語辞典に載っているけれど、「合理的配慮」とは「合意によって作り出されるやり方の共有」という別の意味であることに注意。
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) May 14, 2024
その上で、合意に至る提案は、誰が出すか決まっているの?
双方の合意がポイントです。|HOTAS @HOTAS10001 #note https://t.co/DQCZv93XZI
これポストは、前々回の私のnote記事「双方の合意がポイントです。」を X で紹介する時に書いたモノです。
「合理的配慮」の「配慮」は、国語辞典に載る本来の意味とは違うことに注意が必要…とワザワザ念を押したのは、ネット用語としてのスラングから派生した「界隈」のように、本来の意味と違う同音異義語として取り扱う必要があると感じたからです。
はい‐りょ【配慮】
[名](スル)心をくばること。心づかい。
その一方で、この新しい意味としての「界隈」と「配慮」は、それぞれに元の意味からどのようなカタチ (経緯) で捻り出されたのか…という点で大きな差があるのだと私は思います。
それは「界隈」という言葉が民衆から自然発生的に使われ出したのに対して、「配慮」は "Accommodation" という単語の和訳として、意図的に「強引に割り当てられた表現」である…と言う点で、です。
合理的配慮の原語は "Reasonable(=筋の通った、正当な) Accommodation(=
宿泊設備、(列車・飛行機などの)(座)席、便宜、助け、融通、用立て)" という英語で、「上手くいくように調整する」というようなニュアンスになるのだと思います。
自然発生した「界隈」は、民衆の中から生まれ、その「特定のジャンルが持つ独特な雰囲気」というニュアンスの適切さが庶民に支持されたワケです。
だからこそ、最新の国語辞典にも新しい意味として「2」の項目が割り当てられた…。
その一方で、"Accommodation" という単語の和訳としての「配慮」はどうでしょうかね?
私は、既に定着しつつある「合理的配慮」という言葉の変更を望みません。言葉を変更しても、変更した言葉に関しての定義の議論から始まるなら、言葉を変更することが「真意の理解」に直結するとは思えないから。
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) May 14, 2024
今ある現代用語で「真意の理解」に繋げるにはどうしたら良いか…が、私の持論でして。 https://t.co/FNSfyTKhbm
「合理的配慮」という言葉は、その割り当てられた和訳表現の拙さを度々指摘されるのです。
だから、表現の変更についての意見はいつも何処かに燻っているように思います。
でもね、私はこの「言葉/表現」を変えることには否定的なのですよ。
もちろんそれは理解しています。
— ɦσ+(ɦσƭαร) (@HOTAS10001) May 14, 2024
ただ、日本語は単語として生み出されると同時に単語が一人歩きする悪癖があるから…。
どんなに適切な訳を用意しても、外来語として横文字のまま使っても、都合良いように扱われる言葉という箱そのものに意味を感じない…と。
日本語に限らずどんな言語でも「古くさい言い回し(表現方法)」というモノがあるのだと思います。
言語は人が使うモノですからね、時代に合わせて表現方法もニュアンスも、時には文法までも変化するもの…違いますか?
一方で「使わない/使いにくい表現」は、いつまで経っても定着しないのですよ。
私は「今使っている表現が拙いから、違う名称を…」と言って名称を変更して、それが上手く行った事例をあまり知らないのです。
特に意図的に「強引に割り当てられた表現」にこの傾向は顕著です。
発達障害って、神経発達症って名称になったんでしたっけ?
ASDやADHDの正式名称って?
障害者は、障碍者…それとも障がい者?
このようにネガティブ要素の払拭のため、意図的に名称変更された表現は、定着し切れずに幾つもの表現が並行して使われることが多くてね。
私は「界隈」という言葉が嫌いです。
それは「2」の意味では、本来の「1」の意味にはあった「特定の地域が持つ独特な雰囲気」という情緒/情景の部分を感じることができないからなのだと思います。
でもね、今となっては「2」の意味で使われる「界隈」は、庶民の日常生活に溶け込んでいるワケで、私の意見とは関係なく、日本語という意思伝達手段を構成する単語として成立するのです。
確かに "Reasonable Accommodation" の訳としての「合理的配慮」という表記が、実態を上手く言い表しているとは言い難いのが現状だと思います…でも。
自然発生ではない人工的な表記が単語として定着するには、誰もが納得するキャッチーなイメージと重なることが必要なのだと思うのですよ。
その "Reasonable Accommodation" のイメージを社会で共有できてないのに、そのイメージを共有する言葉が表現できるワケがないじゃないですか。
私は表記に頭を悩ませるよりも先に「イメージの共有」を進める方が良い…と考えています。
そもそも、言葉は意思疎通のためのツールですからね。
イメージが言葉を作るのではなく、言葉がイメージを作っている内は、どんな表記で表現しても、必ずどこかに不満が出るのだろう…とか思うのです。
本当に必要なのは、言葉という箱ではないワケでして。
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