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Episode 414 成長しなくてよいのです。

作曲家で指揮者でもあった故・山本直純氏は、口ひげと黒縁メガネがトレードマークのクラシック音楽の普及・大衆化に力を注いだ人物でした。
彼は、後に世界的指揮者になる小澤征爾氏に「自分は日本に留まって音楽の底辺を広げる。お前は世界を目指せ」と言ったそうです。

テレビの画面の向こう側でしか見たことのない方でしたが、私は彼が大好きなのです。

私の父親はクラシック音楽が大好きな人で、それは認知症を患い、3分前のことも覚えていられなくなった今になっても変わらないのです。
居間の古いステレオにはマーラーの「巨人」のCDがセットされ、聴いているうちに寝落ちしてしまうほどに集中力が続かないくらい年老いても、私に向かって「世界の小澤」を語り、大衆音楽に足を突っ込んだ山本氏をディスるのです。
山本氏がテレビ番組「オーケストラがやって来た」をスタートさせたのが1972年のこと…1938年生まれの父親は当時34歳。
時同じころ…小澤征爾氏はボストン交響楽団の音楽監督に就任し、新日本フィルハーモニー交響楽団創立の中心人物として活躍していたのをクラシックファンである父親は当然知っていて、世界に通用する日本人指揮者のフラッグシップたる彼に陶酔していたのは間違いないのだろうと思います。
父親からすれば、その一方で「山本直純(氏)は」…ということになるのでしょう。

もちろん、小澤氏の功績は大きいのです。
世界に通用する…ということが、その当時の日本でどれほど大きな意味を持っていたのか、「巨人・大鵬・卵焼き」と表現されるその時代を端的に物語っている様に思います。

思えば、その後の日本も世界に通用する…を持ち上げたがる「その姿勢」は恐らく変わっていないのでしょう。
1977年に王貞治氏がプロ野球の通算本塁打数の世界記録を樹立するも「それは日本のプロ野球」とされたのに悔しい思いをしたのは事実。
1995年に野茂英雄氏がメジャーリーグの扉を開け、世界を夢見てプレーする若い選手が一気に増えたのも事実。
2001年にはイチロー氏がメジャー入りして、一段と世界に通用する日本人への関心が高まる感じを私は目の当たりにしてきたの、また事実です。

ただそれは、努力することが当たり前であるとする日本人的な「美意識」と共存関係にあったのではないか…と、私は思うことがあるのです。
何と言うのかな…「高みを目指す行為=努力」という感じでしょうか。

社会的な成功を「立派」と捉え、それを成し遂げることを「努力」という感覚に違和感を感じるようになったのは、挫折を経験したからなのでしょうね。
ただ、日本に生きる人全てが成功するワケもなく、落ちこぼれた人間の行きつく先は、それでも人と比較するカーストなのかと思うことがあるのです。

ゆっくりと日が翳るゆるい坂道に
あてどなく転がっている夢がある
ざわめきを離れた狭い路地裏に
やるせなさを紛らす唄がある

シンガーソングライターの山崎まさよし氏は「未完成」で、こう歌うのです。

問題は、この日本的な社会において取り残された人の存在。

山本直純氏はテレビ番組「オーケストラがやって来た」を紆余曲折の中、約10年続けました。
その間には、不祥事謹慎ということこそあっても、山本直純氏の人間的な成長は確実にあったハズです。
もしも仮に、その成長に合わせて番組内の音楽的な技術も高度化していくことがあったなら、この番組はそんなに長く続かなかっただろうと思うのです。
「この話は、以前話したので…」
まるで学校の学年が上がるように、部活で技術を習うように、努力とともに組織が高度化していく…まるで「落ちこぼれなんかない」と言わんばかりに。
でも、実際の社会はそうではないのです。
新たに音楽に興味を持つひとは、興味を受け入れてくれる入口を探します。
この世の中は、この入口が、悲しいくらいに狭い…。

スポーツや音楽が「楽しむ」という方向に向かいにくいのは何故なのでしょうね。
それを考えた時に、どうしても「巨人の星」や「アタックNo.1」的な努力を美徳とする日本人的な美意識が見えてくる気がするのです。

私は、どんな分野にも山本直純氏が必要なのだと感じています。
同じ場所に座って同じことをしながらでも、人は成長できると理解していた人。
クラシック音楽界では「異端児」だったのかもしれません。
日本的美意識に塗り固められた私の父親には、そのすごさは理解できなかったのかもしれません。

私は今住んでいるこの街で、山本直純氏と同じことをしたいと感じているのだと思います。
私ができることは、足元の地面を踏みしめてその景色を眺める…ということです。

旧ブログ アーカイブ 2020/3/12

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