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Episode 274 パートナーに感謝です。

今日6月15日は、パートナーの誕生日です。
女性の実年齢を公表するほどヤボではありませんが、私と連れ添って24年目ですから…まぁ、それなりの年齢です。

私はパートナーと別れようと思ったことはありませんが、パートナーは何度となく離婚を考えたようです。
結婚と同時に妊娠が分かり出だしから夫婦共同での家庭生活に躓いた私たち夫婦を支えたのは、良い意味でも悪い意味でも社会構造そのものだったと思います。
今以上に社会の仕組み自体が男性が中心にした構造であることを暗黙の了解とし、それ故にシングルマザーへの風当たりもかなり強かった、そういう時代だったハズです。
生まれてきた大切な我が子を守るためには、経済的に厳しことが目に見えているシングルという選択肢を消去せざるを得なかった点は否めません。
もちろん、それだけの理由で離婚が回避されたワケではありませんが、世に言う「子はカスガイ」は事実だと思わざるを得ません。

私たちが生まれた時代がもう20年早かったら…離婚の「り」の字も出なかったでしょう。
それくらい女性の権利は蔑ろにされ、高度経済成長のサラリーマンとその妻というテンプレートに乗っていたのだろうと思います。
逆に20年遅くて…いま当に結婚数年目で子育て真っ最中であれば、今の世の中に合わせてASDとカサンドラの問題に直面していることでしょう。

時代はゆっくっりと全ての人権を尊重する時代に向かって動いているのだと思います。
今この時代になって急に発達障害という定型ではない思考パタンを持つ人が誕生したとは考えられません。
古い時代にもそういう人たちは存在していて、そして社会に溶け込んで埋もれていたのでしょう。
ASDの夫と連れ添っても、カサンドラ妻には離婚する力はなかったでしょうし、近所付き合いや父母のフォローなど、今はナカナカ難しくなったサポートは受けやすかったでしょうし、それ故に嫁姑問題とか旦那が絶対の権力を持つとか、面倒くさいこともいっぱいあったのでしょう。
ASD向きの「職人仕事」もたくさんあったでしょうしね。
発達障害は遺伝傾向があるようです。
私の実父にもその傾向があったと、私がASDと診断されてから振り返れば、あれこれ思い当たる節もあるのです。
良いも悪いも含めて表に出さずに内封して、緩く社会を作り上げていた時代は私の親の世代で終了します。

子どもの人権、女性の人権、障害者の人権と、社会的弱者と言われる人たちの人権に光が当たり始めるのが私の世代です。
提唱される理論と旧態依然の社会の狭間で生活せざるを得なかったのが私の世代です。
パートナーは、理論と現実の間で、私を見て、社会と照らし合わせて、苦しい思いをしてきたのだろうと思います。
能天気な私がその「現実」に気が付いたのが5年前、ずいぶんと時間を掛けてしまいました。

幸いなことに、いつも環境がパートナーの味方をしてくれました…あのときも、このときも。
常に逃げ道を確保できていたことが夫婦仲を保ったと思います。

今、やっと自分自身とあなたを見つめる日々です。

誕生日おめでとう。
今までありがとう。
これからもよろしく。

旧ブログ アーカイブ 2019/6/15

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