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Episode 728 役割分担が必要です。

今年元日に起きた能登半島地震では、多くの方々が被災し、甚大な被害が出たのはご存知の通りです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
また、被災された方々にお見舞い申し上げます。

さて…。
前回の記事で私は、災害などの緊急時における障害者の居場所不足について、その根本的原因に日本の障害者福祉が「医療モデル」的発想ベースの制度であることの限界がある…と指摘しました。

一般的な「日本人的な障害者観」というものを考えた時、身体/(知能を含む)精神の機能に不具合があり、その不具合があるが故の「弱者」として扱う節があるのだと感じます。
そして「弱者」を救うための社会規範として「道徳」が機能するワケですね。
ところがその「道徳」には、大きな落とし穴が存在するのですよ。
それは義務教育で『道徳科』を必修とした時の、日本学術会議による報告にも表現されています。

価値注入的な道徳教育の最大の問題は、反省を経ずに素朴かつ直感に頼って道徳判断がなされてしまうこと、判断の根拠が問い直されないことにある。
あるテーマや主張に対する、根本的に批判的で(根拠を問い直す)、反省的で(自分の行動や思考方法の足元を問い直す)、対話的な思考としての哲学的思考を道徳教育に導入することが有効である。
「子どもの哲学」の試みはその注目すべき実例といえる。

報告「道徳科において「考え、議論する」教育を推進するために」ポイントより

その「直感的で素朴な道徳観」ゆえに、障害者を弱者として保護支援する福祉の対象として固定していないか?

埋め込み引用させていただいた「株式会社SmartHR」(@SmartHR_jp)が作成したYouTube動画の前半部分は、その「直感的で素朴な道徳観」による「やさしさ」の限界が良く現れている…と思います。
そして、その「やさしさ」は、やさしさの仕手である健常/定型者の余裕によって担保されているワケです。
ならば、今回のような災害時に、そのやさしさはどこまで確保されるのでしょう…。

この動画の後半部分は、「だから『やさしさ』だけでなく『しくみ』が必要だ」と説くワケです。
具体的には、その仕組みこそが「合理的配慮」だということになるのですが、私はこの動画にもうひとつ重要なメッセージがあると感じるのですよ。
それは、障害者が同じ職場にいる…ということ、つまり「インクルーシブ」であるということです。
そして重要なことは、障害者が「合理的配慮」という仕組みを整えることによって、健常/定型者の「やさしさ」で保護されるだけの弱者ではなくなる…という点です。
更には、障害者が近くにいて、その存在に慣れるということは、どういう配慮が必要なのかの「目星」を周囲の人たちが付けやすくなる…ということも同時に意味するワケね。

翻って、「日本人的な障害者観」に不足しているものは何か?

今回の地震災害に思う、前回の記事で扱った「分離/隔離での弊害」と、そこから今回の記事に続く「インクルーシブの重要性」は、障害者を取り巻く問題と環境の大きなポイントになるのだろう…と、私は思います。
ただし、今の仕組みに「インクルーシブ」のみを放り込んでも、混乱するのは間違いないのだとも思います。
その理由こそ、「日本人的な障害者観」の礎になっている「弱者支援の道徳観」に基づく価値観と制度だろう…と、私は思うのです。

だからこそ、ここに楔を打ちたいのだけれど。

私の引用リポストの元になった石橋尋志(@ihi1484)さんのポストは、「変わらない公教育を変えることに労力を割くよりも、変わらないことを前提に私と子どもの関係に力を注ぐべき」ということを説いているのです。
私にもこの考え方は理解できます。
自分や自分の子どもの環境や生活が最優先…は当然のこと。
だからこそ、できることに集中する必要があるワケです。

では、私のような立場なら、とのように考えるでしょうかね?
私のところは一番下の子ももうハタチを過ぎた成人で、直接の利害関係を持って義務教育と向き合うことは、もうありません。
過去にはASD特性からのコミュニケーション不調による二次障害で休職していた時期もありましたが、冷凍倉庫のフォークリフト・オペレーターと言う今の職種で復職してから、自己理解のためのブログ執筆や自助会運営の成果もあって、大きな不調もなく生活できる程度には、何とかやっているワケで。

公教育の問題や職場の問題は、「たった今」という目の前の困り感と向き合うことが多いからね、その今の困り感を取り除くことは最優先で重要なことなのは当然です。
「たった今」に対応するためには、今の仕組みの中での最善を考える必要があるのですよ。

一方で私にはもう、公教育に対しての直接利害関係はありません。
だからこそ出来ることがあるだろう…と。

今回の大きな災害を通して感じた問題を通して、社会をインクルーシブに導くムーブメントが必要だと、私は改めて感じたのです。
そして、この先を見据えた息の長い活動をするのに適した人がいるハズだ…と、そんなことを思うのです。

今の今に取り組むとは別の、先の先を考える人がいても良いじゃないですか。

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