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インクルーシブが必要です。

元日に発生した地震の後、私は数日間、X へのポストをストップしていました。

ただ、投稿(ポスト)をストップしていただけで、X のタイムライン自体はチラチラと眺めていたのですよ。
その中に、気になるポストがありましてね。

清瀬市議会の穴見れいな (@reinakiyosejcp) 議員によるそのポストは、災害などによる避難所に(知的に限らず)障害者の居場所が、極めて少ない現実が示されていました。
少なくとも東日本大震災の時については当時の現地実務者からのお話しがあり、今回の地震でも同様のことを心配している…というところまでは間違いないでしょう。

このポストの内容の後半は、だからこそ行政の担当者に災害時の障害者とその家族にかかる肩身の狭さを知ってほしい…というハナシの流れになっているワケです。
うん…その意見は極めて真っ当で、現状の切実な問題としてこのことを認識する必要があると、私も思うのです。
ただ、ひとつ気になるのは、行政側が障害がある人とその家族と、どのような認識で向き合うのか…ということ。

私の主催する自助会でよく話題になることとして、「仕事」が上げられるのです。
障害を持つ人にとって、「仕事をする」「勤める」というのは、なかなかにしてハードルが高いことが多いのです。

そしていつも問題になるのは、「一般枠で仕事をするのか、それとも障害者枠にするのか」みたいなこと。
そこには、(支援者も含む)当事者の意識の中に障害者手帳を取得しているか(≒障害者認定を受けているか)…というスタート地点が存在しているように思うのですよ。

そしてその障害診断(認定)と手帳取得のベースには、定型社会への適応を求める姿勢と、適応できない部分への福祉の提供という「医療モデル」型障害対応が幅を利かせている現実があるというのか私の意見です。

敢えてステレオタイプ的な「雑な表現」を使えば、定型社会の標準に到達できない(障害がある)とされた時に、普通の学校に行くか、特別支援学校(またはそれに準じる学校/学級)で悩む…というのは、障害がある子の保護者の多くが悩む部分で、それはつまり障害者の学校教育体制が医療モデル的に二択を迫られていることを示しているワケです。
コレと同じことが就職するタイミングで一般枠か障害者枠か…という二択となって現れるということです。

こうして「障害者福祉」という名目で障害者が社会から分離/隔離された結果、一般社会で障害者を見かける機会が減っている…という点は、今回の穴見議員のポストに隠された日本の障害者を取り巻く環境の、最大の「弱点」だという気がするのです。

災害時はどうしても通常通りの生活対応が難しい状態になるワケでして、それ故に災害時の行動や環境に対応し難い「災害弱者」が想定されるのです。
恐らくここまでは、誰もが想像できていることなのだと思います。
現在の施策としては、だから災害時に災害弱者向けの避難施設(福祉避難所)を考えよう…なワケですよ。
ただ、災害時に被災しているのは災害弱者だけではなくて、その地域の全ての人が被災している…ですよね。
その中で、専門的な知識を持った人が専用の避難施設を開設することがどれほど難しいか。
結果として「災害弱者」が避難所に入ることを諦めて、ギリギリの自宅待機を余儀なくされるとした時に、学校教育や雇用問題にも見て取れる「分離/隔離」の姿勢が、障害者福祉の方向性として正解なのか…は、今後議論される重要な課題であると思うのです。

もちろん、今の社会の仕組みにおける、今現在の対応は重要で、だからこそ「今の窮地」を救うことに最善を尽くすことは最優先であることに異論はないのです。
当然、災害に直面してある今現在の「人命」は最優先であるから、私の言っていることは「二の次」なのです。
ただ、災害が収束に向かえば、必ず災害を検証して対策が施されるワケですよ。
その時に、災害検証と対策を考える立場の方々が、「当事者」とどのように向き合うのか…は重要な要素だろうと感じます。

もしかしたら「インクルーシブ」の本当の意味とは、こういう時にこそ発揮されるのかもしれません。


今回の地震によって被災された皆様に、お見舞い申し上げます。
私は、緊急性が高く、今の仕組みで今救えるものに全力で取り組むことが最優先であると考えています。
その一方で、仕組みが機能せず、できなかったことは、反省を基に粘り強く改善に向けて努力していくことが重要と考えています。

関連記事をひとつ、置いておきます。


このnote記事で引用した穴見れいな議員は「日本共産党」の所属ですが、私自身の支持政党と今回の記事の関係性はありません。

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