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Episode 361 良い子が歪みを作るのです。

「子どもじゃないんだから、もっと素直にお母さんと話したら?」って、度々パートナーに言われます。
そんな、アラフィフのオッサンが何を今さら母親の話に付き合うって…思ってました。

私の両親は共に80歳を過ぎましたがまだ健在で、父親の勤めていた会社の定年延長後の嘱託期間終了に合わせて郷里である日本海側の政令指定都市に自宅を構えて隠居したのです。
かれこれ18年くらい前の話…になります。
私が高校生時代まで両親と姉の4人で過ごした埼玉県南部の公団型の団地は隠居する時に引き払われ、私は幼いころから「多感な」高校時代までを過ごした土地への足掛かりを完全に失うことになります。

私が転職したのは、前職で膨大な対人コミュニケーション能力が必要とされるマルチワークに耐えられずに壊れたからなのですが、転職先に選んだ食品メーカーは両親の郷里に本社を置く会社でした。
長男である私は、結婚して家を出た姉とは違い、どこかしらに両親に対しての責任感を持っていたのは…多分本当のことです。
というよりは、無意識のうちに両親が求める息子像に捉われていたのです。
だって、結婚するという行為は法律的なお役所仕事の立場から見れば、それぞれが所属していた戸籍を出て、新たな戸籍を作る話なわけですよ。
その時にどこを本籍地にするのかは当事者の自由なワケで、TDLやUSJの住所を本拠にする人がいても全く問題ないのです。
現実問題としては、戸籍関係の書類が必要になったりすると、その地域のお役所に申請しなければならないワケでして、利便性を考えると遠い場所に本拠地があるのはあまり合理的ではないのですけどね。
そのどこにしても全く問題ないハズの本籍地に私が選んだ場所は、まだ両親が隠居庵を建てる前の更地、戻る場所として確保していた土地だったわけで…。

大学進学時に全くの白紙を手に入れたい一心で親元を離れた私は、その後結婚して今に至るまで親元に戻ることはありませんでした。
もちろん、親子として疎遠になっているワケではありません。
今は隠居庵からクルマで20分ほどの自宅から、畑仕事や買い物のフォローで両親の様子を伺いながら生活しているワケでして、大学生時代から琵琶湖岸の町で暮らしていた10年くらい前までと比べれば、格段に両親との距離感は近いのです…でも。

多分…私は、ASD的な良い子のままココロの中で親に反発し、それを口に出せずに典型的な反抗期もないまま高校卒業と同時に家を出たのです。
私と親の境界線が引けず、己をぶつけることが出来ずに引き摺って、そしてその想いは成仏できずに澱となって、未だに心の重しになっている…。

私は虐待を受けたことはありませんし、それ故に親に対してのトラウマはないと思っていました。
ただトラウマがあることと、歪んだ感情があることは必ずしもイコールで結ばれない
パートナーに散々言われた「素直に」の意味が漸く分かり始めて、理想の息子を演じるために自分の気持ちに蓋をする私が見えてきたように思います。

自分では自覚がなく意識してませんでしたが、私は間違いなくACだと気が付くのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/9/10

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